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第128話 死闘 雷火従断

「そんな……なぜ彼が、ここに……」


 突如として宙空に出現した魔人の王を見上げて、ラパーニが呆然と呟く。


 あり得ないことだった。


 彼女が『転移』の術法を他者の前で使ったのは、今日が初めてだったのだ。

 当然、その効果を知る者は存在していない。


 混乱するラパーニの瞳が、魔人王の剣を……その刀身に輝く幾つもの軌跡を捉えた。


「刀身に、『転移』の意を示すアトマ文字……まさかあの激しい闘いの中で、こちらの魔法陣を、術法式を、模倣してみせたとでも言うのですか! ただ一度きりの行使を見ただけで!」 

「あれこそが、ノーシュが生みだした定まらぬすべの業です……皆、翁を連れて、私の周りに集まってください! 防壁の範囲を絞って、効力を高めて凌ぎます! 治療は、そのあとです!」

「そんな……いえ、しかしそれでも、不可能です……『転移』が可能だとしても……」


 震えの収まらぬ杖を手にミシェラが答えるも、ラパーニは抱えた疑念を声にして繰り返し、天を見上げていた。 


「あの場所から、一体どうやって私たちの居所を突き止めてきたと言うのですか……これだけ離れた場所に跳んだのを、こんな僅かな時間で探り当てるなど……まさか、魔法陣に描かれていなかった部分まで……私の練り上げた術法式すらも、容易く見抜けるというのですか! なんでも有りだとでも言うつもりですか! 答えなさい、ノーシュ!」

「我が瞳は、ゼスト様より賜りしもの――」 


 激昂するラパーニに、声が降り注いできた。


「ゼストさまから授かった、瞳……」 

「然り。その力は、アトマの光をつぶさに捉える。お前たちほどの輝きであれば、例え地の果てにいようとも……瞼閉じようとも、違えることはない」 

「アトマの光を捉える、ですって……? ふ、ふざけるのも大概になさい! 自分の眼が、神の瞳だとでも言うのですか! ゼストさまが、私たちを滅ぼそうとお考えになっているとでも、言うのですか!」 

「そうだ。言っただろう。私がお前たちと初めてあったときに」


 空に在りながら、地の底より響くような声で彼は首を縦に振ってきた。


「我が名は魔人王。魂絶神こんぜつしんゼストの命を授かり、諸君らの血肉を糧にこの地を魔人にて埋め尽くしに参った。いまこそ、終わることなき闘いを」 


 己を見上げる者たちの元へと、彼は銀の剣を手に舞い降りてきた。


「バアト! どっちだ・・・・!」


 魔人王が動くよりも速く、ベルギオが前に進み出た。

 その行動にバアトが歯噛みをする。


 戦闘か、それとも撤退か。

 即座に判断を下す必要があった。


 しかしそのどちらを取るにせよ、一度は体勢を立て直す必要がある。


「ミシェラ、ラパーニ! ディルザ翁を!」


 一縷の望みをかけて、バアトが叫ぶ。

 地に横たえられたディルザの傍には、術士である二人がいた。

 だが――


 鬼人族一の豪傑の前で、ミシェラが顔を俯かせて肩を震わせていた。

 その横で、ラパーニが静かに首を横に振っている。


 バアトの牙が、砕けんばかりに喰いしばられた。


「ベルギオ、足を止めろ! 私がやる!」


 バアトの叫びに、ベルギオが頷き、魔人王へと向けて駆けだした。


「任せろ! 迷うなよ!」 

「……ああ」


 ベルギオの答えは、すべてを察して呑み込んだ上でのものだった。

 最小限のやり取りを終えて、バアトが四肢に力を籠める。


 竜人族の中でも最も攻撃的とされる火竜族……その長である、バアト最大の武器。

 火の息吹ブレスを、全力で放つ為だ。


「よお、ノーシュ! そんなに地上を魔人だらけにしてえってのかよ!」 


 魔人王との距離を一足で詰めたベルギオが、その鋭爪を振るいながらも言葉を叩きつける。

 それに魔人王が剣は合わせずに、僅かに退きやりすごす。

 それは、バアトの攻撃を意識しての動きだった。


「おいおい……逃げてんなよ、このチキンが! 魔人王の名が泣くぜ!」


 その魔人王を、ベルギオが声で追い立てる。

 接近戦一辺倒の彼にしては、珍しいどころではない煽りよう、罵倒への力の入れようだ。


 獣人族の長としての誇りも、『雷閃』の異名も、すべて打ち捨てて彼は迫る。

 なにがなんでも標的の気を引き付けることしか、いまの彼の頭の中にはない。


「んだよ、その屁っ放り腰は! テメエのダチを手にかけて、ブルッちまったか!?」

「……お前たちとて、同じだろう」

「ああん? 俺らと魔人の、どこが一緒だってんだよ! 答えろ……答えてみやがれ、クソノーシュ!」 

「際限なく子を増やし、世界を食いつぶそうとするのは、どちらも変わらないと言っている」


 ベルギオの勢いに逆らうように、魔人王が口を開いてきた。

 そこに獣爪が迫り、嫌がるように銀の剣が持ち上がる。


「ハッ! それがどうしたよ! シソンハンエイってのは、生物の本能ってヤツだろうがよ!」

「それは獣の論理だ。人類種として力を与えられた我らは、考えねばならない」

「わざわざテメエに言われなくても、するさ! それがなけりゃ、俺たちゃ全員、あの最低最悪の創造神サマの言いなりだった頃と変わんねえだろ!」

「……!」


 魔人王の顔を覆い尽した兜のその奥に、躊躇いの輝きが灯ったのを、ベルギオは見逃さなかった。


 獣の両脚が瞬時にして膨張する。

 膨れ上がった筋肉が、しなやかさを以て前方へと解放される。


 銀色の刃が、それを遮らんと切っ先を向い合せてくる。

 微かな迷いを映し出したその白刃へと、ベルギオは飛び込んでいった。


「――がっ」


 どすんという、重量感のある鎧に肉がぶつかる感触が彼にはあり。


「ベルギオ!?」


 続いてやってきたのは、悲鳴にも似たラパーニの叫びと、ミシェラの息を飲む声。

 そして己の腹部を貫かせた・・・・剣を手に、凄絶な笑みを浮かべるベルギオの姿だった。


「よお。やっと捕まってくれたなぁ……この、へたれがよ!」 

「死ぬ気か、貴公……!」 

「いいや、違うね! 殺させる気だよ!」


 魔人王を正面から抱きすくめるようにして、ベルギオが吼える。

 その背後で、赫灼かくしゃくたる火が灯る。


 落ち逝く陽の最後の輝きにもにたその光に、ミシェラが弾けるように前へと進み出た。


「やめてください、バアト!」


 まるでその制止の声が、引き金であったかのように。

 竜長の顎がカッと開かれて、口蓋の奥より火が放たれた。


 蓄え、束ねられた火の息吹ブレスは、しかしバアトの前方に広くに撒き散らされることはなく。

 一点に撚り集められて収束したそれは、極高温にまで達した『熱線』として発露していた。


「――くっ!」


 魔人王が、輝く剣を振るう。

 既に死に体となっていたベルギオの体ごと、横へと放り出す。


 銀の剣を用いての、対抗術法の発動は間に合わない。

 捨て身となった獣の王が、それをさせなかった。


 黒い甲冑へと、『熱線』が突き刺さる。


「ぐ――」


 極大化した火のアトマが鎧の前面に吸い込まれて、魔人王が苦しげに声をあげた。


「ぉおおおおおおおおお!!」 


 バアトが咆哮する。

 捨て身となったベルギオの遺志を、ここで無駄にすることは出来なかった。

 直撃した『熱線』に残るすべての、己の命すら燃やし尽くすほどの力を注ぎ込む。


 魔人王がたたらを踏む。

 どちらに逃げようとも、その場に倒れ込もうとも……その先にベルギオの躰があったとしても、例えミシェラが割って入ってこようとも。

 バアトには、魔人王という仕留めるべき標的を逃すつもりはなかった。


 ディルザを失ったと知ったその瞬間に、彼女はすべての迷いを捨て去っていた。

 彼の代わりに真の意味で鬼となれるのは、この中には己しかいないと理解していたからだ。


「や……っち、まえ……バア……ごっ、ふ……ッ!」 

「ベルギオさん、喋っては駄目です! ラパーニちゃん、剣を引き抜いてください! すぐに治療します! はやく、はやくしないと!」 

「い、いけません……」 


 地に仰向けとなり吐血するベルギオに、ミシェラが駆け寄り、ラパーニへと呼びかける。

 だが、彼女の視線は『熱線』に晒される魔人王の左腕へと注がれていた。


「いけません、バアト! 彼は既に、対抗術法を――!」


 魔人王の手が、握りしめられる。

 半ば炭化しかけていたその掌が、凝縮された火のアトマを握り潰すようにして動く。

 魔人王が妖剣を手放すその直前に施していた『火炎操作』の力が、文字通りにバアトの『熱線』の力を掌握してゆく。


 己が腕を捨ててでも練り上げたそれが、決死の一撃すらも捩じ伏せてきた。


「な――」 


 驚愕するバアトの視界を、赤々とした輝きが薙ぎ払う。

 散り散りに吹き散らされた『熱線』が、まるで蜘蛛の巣のように広がり――


「ガッ!?」 


 瞬く間にして絡みついてきた灼熱の糸が、彼女の翼ごと胴体を捉えていた。


 バアトが膝をつく。

 強力な熱耐性を備えた竜人の長が、自らの練り上げた極高温に耐えきれずに崩れ落ちた。



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