「はぁ……私も甘いわね。これで貴方が、もし一人で――って」
おそらくはこちらの指導に熱が入るあまりに、気付くのが遅れたのだろう。
会話の途中、彼女は思い出したように辺りを見回し始めていた。
十数歩ほど先に転がる骸と化した影人ども。
その先の滝壺の傍で蹲る雌グリフォン。
それら全てを、フェレシーラが時間をかけて確認してゆく。
……まずい。
もしやとは思っていたが、どうやら彼女は俺のしでかしたことに気付かぬ状態にありながら、こちらを叱りつけてきていたらしい。
となれば、流石に言い訳の一つも挟まねば、今度こそ大目玉を喰らうのは目に見えている。
いや、言い訳するなって話かもだけど。
「あ、あのですね、フェレシーラさん。これには深いような、深くないようなわけがですね……」
「貴方がやったのね」
うっ――
「そこに転がっている影人、貴方が一人でやったのね?」
「……はい。そう、です」
真正面からの問いかけに、俺は観念して己が暴走の結果を認めるよりなかった。
早速のおいたがバレてのペア解消。
そんな結末が脳裏を過ぎる中、フェレシーラは滝壺へと向かい歩きだしていた。
「二体とも喉を一突き。この状況で、グリフォンは動かず、か……」
今まできっと、そうして独りで教団の任務をこなしてきたのだろう。
彼女は自らの脚と目で一通りの状況を確かめ終えると、瞼を伏して思考に没頭し始めていた。
その佇まいに、俺は再び無言となってしまう。
俗にいうところの『判決を待つ身』とは、こういう状態を示したりするのだろうか。
こちらが戦々恐々としていると、フェレシーラが瞳を開いてきた。
「色々と言いたいことはあるけど……まずはそこの影人。ウチの青蛇も真っ青の手際ね。正直言って、驚いたわ」
「青蛇って……たしか、教団の」
その言葉に、俺は記憶の片隅にあった知識を引き出しにかかる。
しかしそれよりも速く、フェレシーラは答えを返してきた。
「そうよ。聖伐教団きっての掃除屋たちに与えられる階位。それが青蛇よ」
「掃除屋って……対人戦闘のプロフェッショナルって、俺は師匠から聞いてたけど」
唐突に出てきた棘を感じさせる言葉に面食いながらも、俺は続けた。
「それってあれだろ。上からの命令があれば、相手が家族でも躊躇わないとか……俺がそこに転がってるヤツに容赦しなかったのは事実だけどさ。流石に、比較にならなくないか」
「そうかしら。自分によく似た相手というのは、中々に難度が高いと思うけど」
「それは……人によるだろ」
付け加えておくと、正直大して似てもいないと自分では思う。
それを口にしたところで負け惜しみになる気がしたので、言いはしなかったが。
そんなこちらの胸中を察したのか、彼女は「そうね」と肯定の言葉を口に昇らせてきた。
「初めは驚いたけど……いまは私もそんなに似てないかなって思ってる。背丈と髪、目の色……第一印象って、そういうわかりやすいところに依るものだから」
「そう言われると、逆に自信がなくなってくるぞ……いや、フォローしてくれるのはありがたいけどさ」
「ごめんなさいね。今のはそもそも私の例えが悪かったわ。あの人たちって、平たく言えば暗殺者集団だもの。同列に扱われて、喜ぶ人のほうがどうかしてるし」
「あんさ……えぇ……」
「気に入らないのであれば、アサシンとでも呼んであげましょうか?」
自らの同僚を指して冷淡な口調となるフェレシーラに、俺は言葉を失う。
「ま、彼らの仕事については今はどうだっていいわ。自分で口にしておいてなんだけど……このままだと要らないことまで言ってしまいそうだから、話を進めるわ。いいかしら?」
「ああ、うん……どうぞ」
曖昧な相槌を口に、俺は先を促した。
青蛇の名を口にして以降、フェレシーラは明らかに不機嫌になっている。
理由のほどはわからないが、ここは触らぬ神に祟りなし、というヤツだろう。
てか、この分だと黒獅子とかいう人たちも相当ヤバいのではなかろうか……
「とにかく、大した怪我もなく影人を始末出来たこと自体は、プラスに捉えておきましょう。欲を言えば、一度はちゃんとした形でやりあっておきたかったけど……」
ちゃんとした形とは、恐らくきっと二人で連携をして、という意味だったのだろう。
何処となく不服そうな表情で、彼女はそんなことを口にしてきた。
……ん?
もしかしてこいつ……実はチームプレイがしてみたかったとか、そういう感じだったのか?
そういや昨日も、微妙にテンションあがってたような……
「あとは、あのグリフォンに関してだけど――」
こちらが首を捻っていると、不意にフェレシーラが言葉を途切れさせた。
なんだ?
何をいきなり、惚けた顔で俺の方を見――
どんっ!
「うぉわっ!?」
突然、フェレシーラが俺を横に突き飛ばしてきた。
驚くほどの力で胸板を押し込まれて、体が左手側へと倒れ込む。
急転した視界を、夏雲ひしめく青空が駆け抜けてゆく。
そのまま尻餅をついてしまうことだけは、咄嗟に上体を捻ってなんとか回避した。
「おま、なにをいきなり――」
反射的に文句を言いかけて、俺はそれを抑え込む。
いや、正しくは……うつ伏せとなった体の上にやってきた、巨大な影により、無理矢理に抑え込まれていた。
刹那、俺は全ての思考を投げ打ち右に転がる。
叩きつけるようにした両の掌に、陽に灼けた石の感触が伝わってくる。
僅かに遅れて、右の脇腹を何かが掠めていった。
つい今しがたも目にしていた、獣の武器。
鉤爪だ。
影人が備えていたあの鉤爪が、こちらに振るわれてきたのだ。
「――フェレシーラ!」
新手の影人の出現。
何故いきなりだとか、こんな近くにだとか。
そんな疑問を吹き飛ばすかの様にして、俺は叫ぶ。
そうしながらも爪先は砂利土を蹴り、体は勝手にバランスを取っている。
十二の誕生日を迎えてから、師匠に叩き込まれてきた訓練の成果だ。
『魔術を使えないということに、惑わされてはいけないわ』
焦らなくとも、直にお前は立派な魔術士になると。
そう口にしながらも、彼女は俺を厳しく鍛え続けた……その成果が、今この瞬間に強固な血肉となり、俺の全身を突き動かしていた。
右手が再び、得物を握りしめる。
五指が硬質な短剣の柄を、逆手に握りしめる。
頭は低く、地面にしゃがみ込むようにして両脚にエネルギーを溜め込む。
急制動をかけていた踵には、爆発するイメージを送り込んだ。
「いい加減に……」
目標の位置は、既に振るわれた腕の動きから割り出している。
後はどれだけ速く、無防備なその喉首に辿り着くか。
それだけが肝要だった。
「――しやがれっ!」
仕留めろ。
衝いて出てきた憤りの声に被せるようにして、己の中の狩人が警告を発してくる。
陽光に煌めく白刃が、空を切り裂き標的へと迫る。
獲った。落とした。
そう確信した、瞬間に。
俺の右腕は「ギンッ!」という硬質な音と共に、後方へと弾かれていた。
「な――」
半ば宙を駆けていたところにやってきた、予想外の衝撃。
そこを突く形で振るわれてきた野太い左腕が、こちらの胴へと叩き込まれる。
吹き飛ばされる――受け身を取り、攻勢を維持しろ。
ふわりと、一瞬体が浮かされたところに次の思考が割り込んでくる。
その刹那の間隙に。
俺の視線はそいつの姿に……真っ赤に断ち切られるはずであったその首筋に、釘付けとなっていた。
「――ぐっ!?」
ずしゃあっ、と砂と布地が擦り合わさる音を立てながら、体が地へと落ちる。
そこに続けて、鉤爪が振るわれてくる。
動作自体はやはり単調な、しかし威力に関しては先程までの影人とは比べものにならない連撃だ。
それを俺は、後方に転がり続けることで何とか避け切っていた。
「こ、の……っ!」
童に蹴り飛ばされた毬のように転がる最中、無我夢中で体を跳ね起こす。
一体、どうやって立ち上がったのか。
それすらわからぬままに、俺はそいつと相対していた。