「なにあれ……まさか、
「いや――」
縦横に飛び交うそれを見たフェレシーラの言葉を、しかし俺は即座に否定する。
個体数そのものは少ないとされるが、生息範囲は非常に広く、岩山や断崖の孤島に巣を構えながらも、信じがたい飛翔能力でもって食料が豊富に得られる平野部にも姿を現すことで知られている。
しかし、いま現在俺たちが目にしているそいつは、まったくの別物だった。
白い頭頂部と茶褐色の翼といい、鋭く突き出た黄色の嘴といい、それは確かに猛禽類のものと酷似していた。
だが、大空を猛然と蹴って走るそいつの半身は、鳥類の特徴からあまりにかけ離れていた。
風を切り裂き大空へと飛翔し、地へと駆け下りるそいつの下半身は……猫科の猛獣のそれだった。
その堂々たる威容を前に、俺は呟く。
「グリフォン――」
「え? グリフォンって……え、あの、いまビュンビュン飛んでるヤツが? 有名な、あの幻獣の?」
「ああ。前にも何度か森に来たグリフォンを、師匠と塔の術具で追い払っていたから……間違いないと思う」
信じられない、といった風に目を丸くしてきたフェレシーラに、俺は視線を動かさずに答える。
彼女が戸惑うのも無理はない。
グリフォンといえば、上半身は鷲、下半身は獅子のそれを持つ強力な幻獣だ。
その生息範囲は基本的に、獲物を狩ることに適した草原地帯が主であり、飛翔に適さぬ森林域を縄張りとする傾向は低いとされている。
されては、いるが……
「ええと、何だったっけかな……あいつらが、森の中にまで入ってくる理由って……」
「ちょっと。今は理由とか、そういう細かい話は後回しよ。それよりあれがグリフォンだって言うのなら、なんであんなに暴れまわってるのかを確認しないと。貴方、私より目はいいでしょう?」
「あ、ああ。そうだな……ちょっと木が多くて見えにくいけど。もう少し降りて近づけば、何であんなに飛び回っているのかわかると思う」
フェレシーラの言葉に、俺は古い記憶を呼び起こすことを中断して答えた。
そうだ。
今はあれこれ考えすぎている場合じゃない。行動あるのみだ。
俺には……己にかけられた疑いを晴らすという、目的があるのだ。
それを思い返すと、選ぶべき道筋が見えてきた気がした。
「よし……! じゃあ俺、先に降りて様子を見てみるよ!」
「え。ちょっと待って、アレが本当にグリフォンだって言うのなら――あ、ちょ、ま、待ちなさい、フラム!」
「大丈夫! もしこっちに来ても、あそこなら隠れてやり過ごせる場所はたっぷりあるって!」
言って俺は勢いよく駆け出すと、緑の絨毯へと身を躍らせた。
「――っとぉ!」
両の脚で踏みしめた斜面は、見立てよりは幾分角度がきつかった。
だが、足場としてはそう悪くもなく、動きを御せないほどではない。
俺は足の爪先を浮かして身体を雑草の群れに預けると、ブーツの踵で制動をかけつつ、坂道を滑り降り始めていた。
「ちょっとフラム! ほんと、無茶は――!」
「わかってるって! 適当なところで止まるから、そっちはゆっくり降りてきてくれ!」
既に遠ざかり始めていた少女の声を背に受けて、次第に速度が増してゆく。
頬を打つ心地良い風の感触に、場違いにも気分が高揚してゆく。
このまま一気に、坂道を滑りきってしまいたい――
そんな衝動を抑え込み、俺は身に付けていたナップサックの掛け紐を強く引き絞る。
同時に、ブーツの側面で地を捉える。
そうして斜面との接地面に意図的な凸凹を作り上げると、スピードが一気に殺された。
やがて、全身を取り巻く乱気流が消失し始める。
落下にも等しい降下運動は、そこで終点となった。
「ふぅ……」
一瞬、何もかもを忘れて天を眺め……俺はすぐに、両の脚へと力を籠めて身を起こした。
「思ったよりも、下に降りちゃったか」
傾斜の緩くなった草地より振り返り、高台を見上げる。
見ればフェレシーラの姿は、随分と小さくなっていた。
おそらくは、こちらの動きに気を取られていただろう。
未だ彼女は坂道を下れずにいるようだった。
そんな少女に、俺は一度大きく手を振り、己の健在を示す。
グリフォンの姿はといえば、辿り着いた位置の関係上、背高い木々に隠れたままだ。
しかし時折見えるその巨影から、今も枝葉を掠めながら激しく飛び回っていることが伝わってくる。
その音を頼りに、俺は目を細めて辺りの様子を探りにかかる。
音は、緩く続いた坂の向こうからやってきていた。
「なんだ、これ……何かと、戦ってるのか……?」
断続的にやってくる甲高な怪鳥音と、獣のような吼え声。
前者はグリフォンのものに、まず違いない。
だが、後者のものには聞き覚えがない。
ネコ科のそれとも、イヌ科のそれとも違う、濁った獣声だ。
自然、そこに影人という名が浮かび上がる。
無意識のうちに、俺は木々の合間へと足を踏み入らせていた。
再び、向かい風がやってくる。
今度のそれは生温く、お世辞にも気持ちが良いとは言えない。
何かに誘われるように足が前へと進み、一際大きなクスの木へと近づく。
すると、熱と水気を孕んだ風が「ぶわり」と吹いてきた。
「うっ……!」
鉄臭い、咽返るような臭気が鼻腔へと突き刺さる。
塔にいた頃、獣の皮を剥ぎ、肉を捌く度に辟易とさせられていた臭い。
血の臭いだ。
同時に、木々の向こうに広がっていた光景も顕わとなる。
何者かに激しく当て擦られて、ボロボロになっていた木々が惨状への道を描いていた。
まず第一に目に入ってきたのは、地に倒れ伏した複数の人型。
見て取れただけでも三つ。
身体の至るとこから血を流して、ある者はうつ伏せに、ある者は仰向けに、またある者はささくれ立った倒木の幹に突き刺さっている。
共に皆、中肉中背。
衣服の類は身に付けておらず、武器の類も手にしてはいない。
代わりに、と言うべきなのだろうか。
それらは全て、異様なほどに長く鋭く伸びた鉤爪と、剥き出しの犬歯を備えていた。
「……ははっ」
その光景に、気付かぬ内に笑いが零れた。
だがそれは何も、初めて目にする死体への恐怖心からきたものではない。
ただ、俺が堪らなく可笑しかったのは、一つだけ。
そいつらが全て、皆が皆、とても見覚えのあるボサボサの赤茶けた髪を生やしていたからだった。
それ以外に、理由などありはしなかった。
「ひっでぇ死にっぷりだな、こりゃ……」
恐らくは、単に気を紛らわせたかったのだろう。
俺は意味もなく、しかしやっとのことで口を開くと、込み上げてきた感想を吐き出していた。
思っていた以上に、気分が悪かった。
鼻腔の奥に刺さり続ける臭気のせいか、頭痛すらし始めている。
「一応これでも、自分そっくりの魔物を殺したら……どんだけ気持ち悪くなりそうだとか、考えてはみたけどさ……まとめて三匹とか、やりすぎだろ。はは……」
堪らず木の幹に身体を預けて、ボロ雑巾のようになったそいつらを視界から消しにかかる。
それで、粘り付く様な血の臭いと頭痛以外は何とかなってくれた。
正直言って、そんなことをしても何の解決にもなっていないのはわかっている。
だがそれでも、大体の状況は把握出来た。
グリフォンが戦っているのは、俺そっくりの人型の群れだったのだ。
バーゼルという男の言うところの、影人どもなのだろう。
そいつらが何故、こんなところで諍いを起こしているのかはわからないが……
どうやら戦いそのものは、グリフォンが優勢に事を進めているらしい。
らしいというのは、先程まで聞こえていた怪鳥音が途切れ途切れとなっていたからだ。
「――ム! フラム!」
「……あ?」
気がつけば、目の前に亜麻色の髪をした少女がいた。