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第24話 『影追いの術士』

 第一印象は、黒い鳥。鴉。

 第二の印象は、魔術士。それも明らかに力のある、高位の術士。


 だがそれは、あるかなしかの微風にはためく黒一色のローブから来たものではない。

 俺がそう感じた理由は唯一つ。


 辺りでもっとも高所にいた俺よりも、3mほど高い位置に「浮いていた」男の姿にあった。


「驚かせてしまったようだね」


 落ち着き払った声と共に、男は光り物を探し当てた鴉よろしく空より降り立ってきた。

 一揃いの閉じた翼を思わせる長衣の裾が、岩肌の上へと広がる。


 身長は俺やフェレシーラとそう変わらない、160㎝半ばといったところか。

 しかし、肩幅だけは随分と広い。

 長くざんばらにのばされた黒髪のせいもあってか、背丈以上の存在感がある。

 彫りが深い、無数の皴が刻まれた面立ちは、木々の梢に座した梟のようでもあった。


「あんた――」

「ああ、そう警戒しないでくれ給え……といっても、流石にこの登場では仕方ないか」


 滲む警戒心を隠せず身構える俺に、男は動じる様子も見せてこなかった。


「私の名前はバーゼル。流しの家庭教師……当然だが、魔術を生業にしている者だ」 

「バーゼル……」


 男の名乗りにも、俺は緊張を解かない。

 何者かはわからないが、この状況で気を許すほうがおかしいだろう。


「それで、その家庭教師のバーゼルさんが、何の用だ?」 


 右手をポケットの内……短剣の柄へと伸ばしながら、俺は問いかける。

 定型文のようなその質問に、暗褐色ダークブラウンの瞳が細められてきた。

 古木を連想させる肌をしている割に、男の声には張りがあり、年齢不詳といった形容が相応しく思えてしまう。


 男は笑っているようだった。

 だがしかし、その瞳に嘲りや侮蔑の色はない。

 何かを思い出し、懐かしむ様な……そんな眼差しがそこにあった。


「若いな、君は」

「……悪かったな、ガキで」

「失礼。少々羨ましく思えてね。そういう意味で言ったつもりはないよ。それと出来れば、その懐の中のものは収めて欲しい。こちらは争う意思がないのでね」


 何が何をとは口にはせずに、男――バーゼルは小さく頭を下げてきた。

 その対応に俺は内心、ほぞを噛む。


 争う意思がないと言うのは、本当だろう。

 向こうにその気があれば、頭上からの攻撃魔術で蜂の巣にも出来たのだ。

 仕方なく、俺は両手を軽く上にあげてみせた。


「わかった。なら、手早く用件だけ言ってくれないか。悪いけど、こっちは色々と立て込んでるんだ」

「ふむ。では単刀直入に失礼するよ。君は影人を探しているのだろう?」

「カゲビト……?」


 聞きなれないその言葉に、自分でも眉間に皴が寄るのがわかった。

 同時に、とある直感があった。


「もしかしてそれって、ここら辺で暴れまわっている……人型の、魔物のことか?」 

「名答」 


 再び目を細めてきたバーゼルに、今度は自分の顔があからさまに歪むのがわかった。

 からかう様なその眼差しに耐えきれず、俺は尚も言葉を投げつける。


「なんで俺が、その影人を探してるってわかるんだよ」 

「それは……一目瞭然という奴だよ。君の姿をみればね」 

「ぐ……!」 


 愚問だった。

 そもそも俺は、自分そっくりの魔物を探してここに来ていたのだ。

 ならばその魔物を影人と呼ぶバーゼルが、その姿を知らない道理はないのだ。


「言うのが遅れてしまったが、家庭教師の傍らに生物学者の真似事をしていてね。影人に関しても多少の知識とそれなりの興味があり、この森を訪れていたわけだが……」

「……だが、何だよ」 

「その調査の途中で、聞き伝わっていた影人によく似た容姿の少年……つまりは君を見つけてしまった、という次第だ」

「なるほどな」 


 そこまで聞き終えてから、俺は黒衣の男から視線を外し背を向けた。


「なら、これ以上あんたの道楽に付き合う必要はないってわけだな。言ったとおりに、俺はいま」

「影人を探しているのであれば、あちらの坂道を降って往き給え」 

「――」 


 その言葉に背後を振り向く。

 だが、既にそこにバーゼルの姿はなかった。

 急ぎ俺は上下左右、全ての空間を見回す。


 しかしやはり、黒衣の魔術士の姿は何処にもなかった。


「転移の術法……なのか? それも、詠唱もなしだなんて、嘘だろ……」


 呟き、俺は呆然と空を見上げる。


『転移の術法は、遥か昔、神代の時に人の手から失われたと言われる遺失術法の一つ。研究は進めているけど……残念ながら、私にも扱えないの』


 脳裏に響く女性の声は、珍しくも悔しさに満ちたものだった。 


 ……いや。

 何でもかんでも、すぐにあの人の言葉に結び付けるのはよくない癖だ。


 バーゼルと名乗った男は、『浮遊』の魔術を使っていた。

 ならば、それを使って高く浮かび上がり、こちらの死角になる形で距離を取った可能性だってゼロではない。

 それに『擬装』や『幻影』といった幻術の類いも多数存在する。

 考えるだけ無駄だろう。


 混乱しかけた精神を押さえつけながら、俺は目の前にある結果を、そう結論付けた。 


「っと……それよりも、だ! あのおっさん……影人を追うなら坂道を進め、とか何とか言ってたよな……!」


 あの瞬間、バーゼルは確かにそう告げてきた。 

 無論それは、怪しさ爆発のアドバイスともいえないお言葉だ。 

 とはいえ、正体不明であった魔物を影人と呼び、その特徴を知り得ていた男の言葉は無視し難いものがある。


 ならば、採るべき選択は一つしかない。

 男の素性だとか、目的だとかは一度頭から全部消した。

 消しきって、今度こそは「すぅ、」と息を大きく、思い切り吸い込み――


「――フェレシーラ! 聞こえているか! フェレシーラ! 聞こえていたら、今すぐこっちに戻ってきてくれ、フェレシーラ!」 


 ありたっけの叫び声で、俺は頼れる相棒へと助けを求めていた。

 そうしながらも、岩棚の足場を伝い坂道側へと降りてゆく。


 確認の為に間近に寄ってみると、雑草の生え茂った斜面は四十度近い角度があった。


「フラム!」


 そうこうしているうちに、フェレシーラが舞い戻ってきた。


「ここだ、フェレシーラ!」 


 一度は高台で立ち止まった従士の少女を、俺は急ぎ呼び寄せる。 

 フェレシーラは、すぐにこちらに気付き駆け寄ってきた。


「何があったの」

「この先に例の魔物がいる可能性がある」


 頬を微かに上気させる彼女に、俺は坂道を指して告げた。

 続けて、バーゼルとのやり取りを手短に報告する。


「家庭教師兼、生物学者を名乗る黒づくめの術士ね……」


 一通りの説明を受けた後、フェレシーラは露骨に「胡散臭い」といった顔で応えてきた。


「どうする? ぶっちゃけ、怪しすぎる流れだとは思うけど」 

「まあね。今の話が本当なら、むしろそのバーゼルって男が影人とやらの関係者だとみるべきだもの」 

「関係者……裏で騒動の糸を引いているとか、そういう話か」

「有体に言ってしまえばそんなところね。でも――」

「ここは敢えて、乗ってみる……か?」 


 こちらの洩らした推測には、不敵な笑みが返されてきた。


「ええ。その男にどんな思惑があるにせよ、私たちがやるべきことに変わりはないもの。勿論、最大限の警戒は必要だけど……捜索を続ける以上、多くの手がかりを得ることを優先するべきよ」


 そこまで言って彼女は「でも」と続けてきた。


「問題はこの坂道ね。見たところ、結構な急勾配みたいだけど……」 


 恐らくは、滑りやすそうな斜面に不安を覚えたのだろう。

 フェレシーラは、坂道の頂点より僅かに身を乗り出した状態で動きを止めてしまっていた。


「そっか。そっちは装備の重量があるもんな。滑り降りていくのはちょっと危険か」 

「そうね……多少の衝撃なら、身体強化の神術を維持しておけば平気だけど。そうなると、貴方のフォローまでは難しくなるし……困ったわね」 

「いや、これぐらいの坂なら俺は平気だと思う。というか、まずは俺が先に降りて――」 


 ザンッ!


「!?」


 会話の途中、突如として木々の枝葉を揺らす荒々しい擦過音が響いてきた。 


「今のって――」 

「あそこだ、フェレシーラ!」


 突然のことに身構えるフェレシーラに、俺は眼下に広がる立木の一角を指し示してみせる。

 こちらからは、凡そ200mは離れていただろうか。

 そこには、木々の梢を震わせて飛翔する一対の翼があった。



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