書置きの内容に従い、屋敷の裏庭へと顔を出すや否や。
「遅い」
そこには仁王立ちとなったフェレシーラが、立木の陰でこちらを待ち構えていた。
その足元には愛用の胸甲に、小盾、戦槌が並べ立てられており、中々に物騒な雰囲気を醸し出している。
「あー……おはようござ」
「早くない」
ごーん。
短すぎるやり取りに示し合わせたように、間延びした鐘の音が響いてきた。
幾度も繰り返されるその報せを、俺は無言で受け止める。
「はい。今、合わせて何回鳴りましたか」
「……十一回でした」
「さっき食べたのは?」
「朝ごはんでした……」
「よろしい。すぐに支度を終わらせるから、余計な口を挟まないように」
無用な叱責を一切伴わぬ少女の言葉に、俺はぐうの音もあげられずに頷くしかなかった。
「まずは本日の行動予定から」
こくこく。
「第一に、ドッペル魔物の捜索。第二に、状況を見ての討伐。第三に、村に帰還しての報告」
ドッペル魔物ってなんだよと思ったが、ここは黙っているしかない。
こくこく。
「まずは捜索に関してだけど……これは既に被害の出た地点を中心に、フレンと一緒に村周辺を調べ終えているから。なので今日からは、徒歩でしか探れなそうな場所に出向く予定よ」
なるほど、それで昨日は道端で俺と鉢合わせたわけか。
こくこく。
「……次に、首尾よくドッペル魔物を発見した際の対応だけど。村の人達の怪我の具合や地物の荒れ具合から見た限り、対象の戦闘能力はそう高くないという見立てだから――」
ふるふる。
「……発言を許可します」
「はい、フェレシーラ先生!」
「誰が先生よ。それで、質問の内容は?」
こちらがビシッ、と右手を突き上げると、フェレシーラが呆れた風に首を傾げてきた。
構わず、俺は質問へと移行した。
「その、相手の戦闘能力はそう高くないってさ……具体的に言うと、どの程度なんだ?」
「オーク以上、オーガー未満。ま、中の下ってところね。思い切り突進してきても、この木も折れないぐらいじゃないかしら」
言ってフェレシーラは、日除けに用いていた木を掌で叩いてきてみせた。
ブナ科のものと思しき、がっしりとした若木だ。
彼女にしてみれば、それが物理戦闘における「中の下」のラインなのだろう。
だが……
「そいつの胴回り……俺の頭ぐらいないか……?」
「あるわね。加えて言うのなら、頑丈さはこっちのほうが上だと思うけど?」
「……オーケー。ク以上ガー未満、理解しました」
しれっとのたまってきたスパルタ教師には、務めて平静な声で返しておいた。
オークやオーガーと言えば、代表的な人型の魔物だ。
オークの特徴は、豚面と巨大な下犬歯。
繁殖力に優れ、群れを成して山野に蔓延る。
オーガーの特徴は、筋骨隆々の巨躯に立派な二本角。
蛮勇を誇り、戦地を好み流れ住む。
共に食欲旺盛。
総じて知能は低く、原始的な生活を営む。
戦闘においてはアトマの扱いは不得手とし、肉弾戦を頼りとする。
そんなところが、両者の特徴だが……
「そう言われても、この森には両方生息してないぽいしなぁ……」
「所詮は、見立ては見立てよ。大凡の危険度、イメージぐらいに捉えておきなさい。それよりも大事なのは、その見立てを大きく上回ってきた場合よ」
「上回るって……オーガー以上に強かったら、討伐を諦めるってことか?」
「そういう可能性もあるけど。そもそも今回の相手が、術法やそれに準ずる能力を備えていないとは限らない……っていう話よ。そうなってくると、討伐の難易度は桁違いだもの」
「それは……嫌だな」
戦闘能力がどうとか、性質がどうのといった話ではない。
敵がアトマを操ってくる可能性がある。
その至極当然とも言える想定に、俺は反射的に顔を顰めてしまう。
「自分のそっくりさんに、術法を使われるの嫌かしら?」
「それは……そうじゃないって言えば、嘘になるな」
「言うと思った」
恐らく俺はそのとき、仏頂面となっていたのだろう。
フェレシーラはこちらの顔を見ると、口元に手をあててクスリと笑ってみせてきた。
だが、その眼差しに悪意は見受けられず、こちらを茶化すような色もない。
「……もしかして、何か対策があるのか?」
その視線に興味を惹かれて、俺は彼女へと問いかける。
同時に、そういえば、という心当たりにも行き着いていた。
それを見計らったように、フェレシーラが口を開いてきた。
「昨日言ったでしょ。ちょっといいものを用意してあげるって」
言うが早いか彼女は若木の影に手を伸ばすと、そこから大きな麻袋を取り出してきた。
袋に浮き上がった凹凸を見るに、形状の異なる複数の品が収められているようだ。
当然その中身は、これから入り用となる物に違いない。
……なるほど、それもあって木陰の傍で待ち構えていたわけか。
「とは言っても、説明が要るのは一つだけなんだけどね」
「説明?」
袋の中をガサゴソと探るフェレシーラの言葉を、俺は身を乗り出して復唱する。
そこに、筒状の何かが放り投げられてきた。
宙に弧を描きやってきたそれを、俺は反射的にキャッチする。
右腕に、ズシリとした重みが伝わってきた。
「これって……手甲ってやつか?」
「そ。フォリーに頼み込んで用意してもらったの。昨日、貴方が村長を説得した後にね」
続けてもう一つ、同じものが投げ寄越されてくる。
渡されたからには、身に付けてみろということだろう。
俺は手甲の内紐を緩めると、そこに腕を通していった。
「ここの猟師のお古ってことだったけど。まだ十分使えそうでしょう?」
「なるほど。お……サイズ、ぴったりだ」
「でしょうね。他のもだけど、とっくに採寸済みだもの」
「採寸済み? あれ、俺いつの間にそんなことしてたっけか……ぜんっぜん、憶えがないぞ」
「そんなのなくて当たり前よ。貴方が寝ている間にやっちゃったから」
「うっへ。マジか……よく起きなかったな、俺」
「本当にね。びっくりするぐらいの熟睡ぶりだったわ。あ、ちなみに補正はフォリーにお願いしてたから。今度会ったら、ちゃんとお礼を言っておくように」
「そりゃ言っておかないとだけど……ほんとナチュラルに人使い荒いな、お前って」
「失礼ね。誰の為にやってると思ってるのよ」
「……申し訳ございませんでした」
わかれば宜しい、とばかりに腕組みをするフェレシーラに、俺は頭を下げるしかなかった。
既に手甲は、会話の合間に両腕に嵌め終えている。
軽く指を閉じ開きして具合を確かめると、ほど良く使い込まれた鞣し革の感触が返ってきた。
「うん、いい感じだ。それで……これのどこに説明が必要なんだ? 見た感じ、普通の手甲だけど」
「それ自体は単なる入れ物だもの。ほら、内側にある綿入れの部分、開いてみて」
「入れ物って……お、このホックの部分か。どれどれ……」
言われるままにホックを外して、手首部分の空洞を覗き込んでみる。
すると何やら、薄い板状のものが見て取れた。
指を差し込み、その物体を引き出す。
縦横3㎝ほどの大きさをしたそれは、一見して銀色のネームプレートの様に見えた。
だが、そこに記されていたのは人の名前でもなければ、中央大陸語でもない。
特徴のある……しかし既知のそれとは、微妙に異なる文字。
思わず、俺は首を捻った。
「これ、アトマ文字みたいだけど……もしてして霊銀盤か? ってことは、これって術具なのか?」
「ええ。そう思ってもらって構わないわ」
「へー……こんなタイプのもあるんだな。随分高純度の霊銀が使われてるみたいだけど……ええと、読めそうなのは――力、流れ、固定……うっわ、なんだこれ。助詞が滅茶苦茶多い上に、前後の繋がりもぐちゃぐちゃで、意味不明だぞ」
「そりゃあね。そこを固定していたら、普通の術具と同じだもの。というかその反応からすると……もしかして、不定術法式を見るのは初めて?」
「不定術法式?」
初めて聞くその言葉に、増々首を傾げてしまう。
そんな俺に、フェレシーラは「そう」とだけ返してくると、不意に押し黙った。
「フェレシーラ……?」
「不定術法式っていうのはね。本来用途が限定される術具の効果に、幅を持たせる為に用いられるものよ」
「あ、うん……なる、ほど?」
唐突に説明を再開してきた従士の少女に、俺は戸惑い、曖昧な言葉で返してしまう。
「詳しい説明は道すがら、魔物探しの合間にしておきましょう。このまま延々話していたら、成果の一つも出す前に日が暮れちゃいそうだし」
「! と、いうことは……」
「ええ」
肯定の言葉と共に、彼女は己が武具へと手を伸ばすと。
「出発よ」
その一言を、捜索開始の合図とした。