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第14話 その怒り誰が為に

「それ……ちょっと、火力上げ過ぎじゃない……?」 

「――へ?」 


 その言葉に俺が再び視線を前へと戻すと、そこには限界ギリギリにまで出力を上げた加熱用の魔法陣。


「やば……! 調子に乗って回しすぎたか……! あっち……!」 

「ちょ――回しすぎたって、何よそれ!?」


 切羽詰まった俺の口調に、フェレシーラが素っ頓狂な叫び声を上げる。


 魔法陣の限界稼働。

 停止用リミッターの作動寸前までに追い込まれたそれを目にするのは、この従士の少女にとっても初めてのことだったのだろう。


「まさか貴方、出力上限を超えて……い、いえ! とにかく、すぐに離れ――」

「……なーんてな」 


 ひょいっ。


 慌てるフェレシーラの姿を十分に堪能してから、俺は風呂釜に刻まれたもう一つの魔法陣へと右手を翳していた。


「ほい。冷却開始、開始っと」


 その宣言に合わせて、今度は冷却用の魔法陣が青い光を放ち始める。


 翳した右手に、ひんやりとした冷気が集まってゆく。

 その場に渦巻いていた熱気が瞬く間のうちに相殺されてゆく。


「あー、すずしー」


 噴き出す涼風に、ついつい間延びした声が漏れた。

 あまりの気持ちよさに、こそばゆさを覚えて俺は身を捩る。


 そうしたことで、フェレシーラの姿が視界へと飛び込んできた。


「……」 


 見ればフェレシーラは、ぽかんと口を開いた状態で固まっていた。

 その視線は二色の光を放つ魔法陣へと注がれている。

 前方に突き出された両腕を見るに、何らかの神術を発動しかけていたらしい。


 う……ヤバい。

 今のは流石にちょっと、おふざけが過ぎたか……


「――ちょっと」 


 焦る俺に、しかしフェレシーラはすぐさま硬直から脱したかと思うと。

 憮然とした面持ちでこちらに詰め寄ってきた。


「あ、いや、ごめ……! じゅ、術具で遊んで、わるか」 

「いいから、そのまま」 


 そして彼女は、慌てて言い訳を口に昇らせるこちらの手を掴み、命じてきた。

 その迫力に俺は押し黙ってしまう。


 フェレシーラの視線は魔法陣に注がれている。

 その様子を見るに、怒っている感じは……たぶん、ないと思うけど……


 なんだこれ。

 なんだこの状況。


「あのー……フェレシーラ、さん……?」 

「ねえ。これって、加熱用と冷却用を同時に作動させている状態よね」 


 恐る恐る声をかけると、そんな言葉が返されてきた。


 やはりと言うべきか、意外にもと言うべきか……

 こちらが仕掛けた悪戯に腹を立てているわけではないようだ。


 そのことに心の中で胸を撫で下ろしつつ、俺は頷きを返す。

 すると、青い瞳が驚きに見開かれてきた。


「信じられない……二つの魔法陣を……術法式を、単独の術者が同時に起動するだなんて……」 

「へ?」 


 フェレシーラの呟きに、俺は間の抜けた声を洩らしてしまう。

 今度のそれは、先程の様な下手糞な演技ではない。


「信じられないって……コレがか?」 

「そうよ。それしかないでしょ、こんなこと……ねえ、これってアトマの動き、どうなってるの? 一つのアトマを二つに分けてるの? それとも同じアトマで、二つの魔法陣を動かしてるの? これって体の負担、大きくないの? これって貴方の――」 

「ちょ……ちょっと、まて――まてマテ待て! そんな一気に、聞いてくんなって!」 

「……むぅっ」


 突然質問の嵐を巻き起こしてきた少女に、俺は堪らず叫ぶ。

 叫び、そうしながらも両手は魔法陣から離してはいない。

 いや……離したく、なかった。


 しかし、そんな気持ちとは裏腹に、俺は尚も声を荒げてしまう。


「だからお前さ……! 色々と唐突なんだよっ、さっきから黙って聞いてれば!」 

「そ……そんなこと言ったって、私だって術士の端くれだもの! こんな出鱈目なもの見せられたら色々言いたくなるし、聞きたくなるのも当然でしょ!?」 

「で、でたらめって言うなっ! これでも、術具の扱いだけはまあまあ自信があるんだぞ!?」

「まあまあって、貴方――だから! そうやって、いつまでも猫かぶってるのを止めなさいって言ってるのよ、私は!」

「!」


 突然の非難に、言い返す言葉が出てこなかった。


「だってそうでしょう……!」 


 フェレシーラは、怒っていた。

 ちっぽけな見栄から仕出かした俺の悪戯などにではなく、なにか、別のものに対して……


「貴方ね。人が大人しく聞いていれば、出会ってすぐから破門されただの、魔術が使えないだのって。うじうじグダグダと、僕は何にも出来ない、落ちこぼれですみたいな顔ばっかりしておいて……!」 


 怒りながらも、彼女は手を離してはくれなかった。


「さっきも言ったけど。もう、わかってると思うけど」 


 ぐいと、左手が左手に掴まれた。俺はそのまま、魔法陣から手を離せない。


「術具がまともに扱える人に、術法が扱えないなんてことはないのよ」 


 離してしまえば、それで最後。

 俺は自分の技術ちからを見せることが出来なくなってしまうと、わかっていたからだ。


「術具に刻まれた魔法陣は、言わば呪文の自動詠唱機。呪文の内容を理解していない者が、アトマへの理解がない者がそれを唱えたところで、決して術法が発動しないように……魔法陣の何たるかを理解しない者がそれに触れたところで、何も起こりはしない」 


 彼女の言葉は、俺にはとても難しかった。

 難し過ぎて、よくわからなかった。


 それでも俺は、そこから目を離せない。

 煌々と輝く魔法陣から、フェレシーラの手から目を離すことが出来なかった。


「それを……貴方は何? 何なの? 魔法陣を、異なる種別の魔法陣を同時に起動できる? 術具の並列処理が出来て、当たり前? それで自分は術士じゃない? 嘘よ、そんなの……貴方、その気になれば使えるでしょ。二つの異なる術法を、詠唱法と思念法の組み合わせで、同時に扱える筈よ」 


 フェレシーラは怒り続けている。

 魔法陣は動き続けてくれている。


 お湯もそろそろ沸いている頃合いだ。

 これ以上の行使に、意味はない。

 なのに俺はそれを止められない。


「私の伺い知れない事情はあったんでしょうけど。魔術士になれなかったから破門だって言うのなら、こんな馬鹿げた話はないわ」


 彼女の言葉を、その続きを聞きたくて……自分はこんなにも出来るヤツなんだと叫び続けるのを、俺は一向に止められなかった。


「これだけの素質と特異性があって、たった十五で才能がないって言い渡された? 今がこれからっていう、一番大事な時期に? それが本当なら、ばっっっっかじゃないの、あんたのお師匠様とやらは。人を見る目がないにも、ほどってものがあるでしょう……!」 


 フェレシーラは、相変わらず怒っていた。

 こちらの右手に己の右手をそえ続けて、怒っていた。

 多分、彼女の言うとおりに情けない、俺の代わりに……


「う……うぁ」 


 気が付けば、俺は。


「う、うあああぁあぁぁぁ……なんで、なんで俺……!」 


 少し前まで名も知らなかった少女の胸元へと顔を埋めて、そこに溢れだしてきた言葉を吐き出しながら。


「なんで俺、貴女に捨てられたんですか……! なんで……マルゼスさん……なんで……なんで、おれ……!」


 みっともなく泣きじゃくる背中を、やさしく、やさしく撫でつけられていた……



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