「それ……ちょっと、火力上げ過ぎじゃない……?」
「――へ?」
その言葉に俺が再び視線を前へと戻すと、そこには限界ギリギリにまで出力を上げた加熱用の魔法陣。
「やば……! 調子に乗って回しすぎたか……! あっち……!」
「ちょ――回しすぎたって、何よそれ!?」
切羽詰まった俺の口調に、フェレシーラが素っ頓狂な叫び声を上げる。
魔法陣の限界稼働。
停止用リミッターの作動寸前までに追い込まれたそれを目にするのは、この従士の少女にとっても初めてのことだったのだろう。
「まさか貴方、出力上限を超えて……い、いえ! とにかく、すぐに離れ――」
「……なーんてな」
ひょいっ。
慌てるフェレシーラの姿を十分に堪能してから、俺は風呂釜に刻まれたもう一つの魔法陣へと右手を翳していた。
「ほい。冷却開始、開始っと」
その宣言に合わせて、今度は冷却用の魔法陣が青い光を放ち始める。
翳した右手に、ひんやりとした冷気が集まってゆく。
その場に渦巻いていた熱気が瞬く間のうちに相殺されてゆく。
「あー、すずしー」
噴き出す涼風に、ついつい間延びした声が漏れた。
あまりの気持ちよさに、こそばゆさを覚えて俺は身を捩る。
そうしたことで、フェレシーラの姿が視界へと飛び込んできた。
「……」
見ればフェレシーラは、ぽかんと口を開いた状態で固まっていた。
その視線は二色の光を放つ魔法陣へと注がれている。
前方に突き出された両腕を見るに、何らかの神術を発動しかけていたらしい。
う……ヤバい。
今のは流石にちょっと、おふざけが過ぎたか……
「――ちょっと」
焦る俺に、しかしフェレシーラはすぐさま硬直から脱したかと思うと。
憮然とした面持ちでこちらに詰め寄ってきた。
「あ、いや、ごめ……! じゅ、術具で遊んで、わるか」
「いいから、そのまま」
そして彼女は、慌てて言い訳を口に昇らせるこちらの手を掴み、命じてきた。
その迫力に俺は押し黙ってしまう。
フェレシーラの視線は魔法陣に注がれている。
その様子を見るに、怒っている感じは……たぶん、ないと思うけど……
なんだこれ。
なんだこの状況。
「あのー……フェレシーラ、さん……?」
「ねえ。これって、加熱用と冷却用を同時に作動させている状態よね」
恐る恐る声をかけると、そんな言葉が返されてきた。
やはりと言うべきか、意外にもと言うべきか……
こちらが仕掛けた悪戯に腹を立てているわけではないようだ。
そのことに心の中で胸を撫で下ろしつつ、俺は頷きを返す。
すると、青い瞳が驚きに見開かれてきた。
「信じられない……二つの魔法陣を……術法式を、単独の術者が同時に起動するだなんて……」
「へ?」
フェレシーラの呟きに、俺は間の抜けた声を洩らしてしまう。
今度のそれは、先程の様な下手糞な演技ではない。
「信じられないって……コレがか?」
「そうよ。それしかないでしょ、こんなこと……ねえ、これってアトマの動き、どうなってるの? 一つのアトマを二つに分けてるの? それとも同じアトマで、二つの魔法陣を動かしてるの? これって体の負担、大きくないの? これって貴方の――」
「ちょ……ちょっと、まて――まてマテ待て! そんな一気に、聞いてくんなって!」
「……むぅっ」
突然質問の嵐を巻き起こしてきた少女に、俺は堪らず叫ぶ。
叫び、そうしながらも両手は魔法陣から離してはいない。
いや……離したく、なかった。
しかし、そんな気持ちとは裏腹に、俺は尚も声を荒げてしまう。
「だからお前さ……! 色々と唐突なんだよっ、さっきから黙って聞いてれば!」
「そ……そんなこと言ったって、私だって術士の端くれだもの! こんな出鱈目なもの見せられたら色々言いたくなるし、聞きたくなるのも当然でしょ!?」
「で、でたらめって言うなっ! これでも、術具の扱いだけはまあまあ自信があるんだぞ!?」
「まあまあって、貴方――だから! そうやって、いつまでも猫かぶってるのを止めなさいって言ってるのよ、私は!」
「!」
突然の非難に、言い返す言葉が出てこなかった。
「だってそうでしょう……!」
フェレシーラは、怒っていた。
ちっぽけな見栄から仕出かした俺の悪戯などにではなく、なにか、別のものに対して……
「貴方ね。人が大人しく聞いていれば、出会ってすぐから破門されただの、魔術が使えないだのって。うじうじグダグダと、僕は何にも出来ない、落ちこぼれですみたいな顔ばっかりしておいて……!」
怒りながらも、彼女は手を離してはくれなかった。
「さっきも言ったけど。もう、わかってると思うけど」
ぐいと、左手が左手に掴まれた。俺はそのまま、魔法陣から手を離せない。
「術具がまともに扱える人に、術法が扱えないなんてことはないのよ」
離してしまえば、それで最後。
俺は自分の
「術具に刻まれた魔法陣は、言わば呪文の自動詠唱機。呪文の内容を理解していない者が、アトマへの理解がない者がそれを唱えたところで、決して術法が発動しないように……魔法陣の何たるかを理解しない者がそれに触れたところで、何も起こりはしない」
彼女の言葉は、俺にはとても難しかった。
難し過ぎて、よくわからなかった。
それでも俺は、そこから目を離せない。
煌々と輝く魔法陣から、フェレシーラの手から目を離すことが出来なかった。
「それを……貴方は何? 何なの? 魔法陣を、異なる種別の魔法陣を同時に起動できる? 術具の並列処理が出来て、当たり前? それで自分は術士じゃない? 嘘よ、そんなの……貴方、その気になれば使えるでしょ。二つの異なる術法を、詠唱法と思念法の組み合わせで、同時に扱える筈よ」
フェレシーラは怒り続けている。
魔法陣は動き続けてくれている。
お湯もそろそろ沸いている頃合いだ。
これ以上の行使に、意味はない。
なのに俺はそれを止められない。
「私の伺い知れない事情はあったんでしょうけど。魔術士になれなかったから破門だって言うのなら、こんな馬鹿げた話はないわ」
彼女の言葉を、その続きを聞きたくて……自分はこんなにも出来るヤツなんだと叫び続けるのを、俺は一向に止められなかった。
「これだけの素質と特異性があって、たった十五で才能がないって言い渡された? 今がこれからっていう、一番大事な時期に? それが本当なら、ばっっっっかじゃないの、あんたのお師匠様とやらは。人を見る目がないにも、ほどってものがあるでしょう……!」
フェレシーラは、相変わらず怒っていた。
こちらの右手に己の右手をそえ続けて、怒っていた。
多分、彼女の言うとおりに情けない、俺の代わりに……
「う……うぁ」
気が付けば、俺は。
「う、うあああぁあぁぁぁ……なんで、なんで俺……!」
少し前まで名も知らなかった少女の胸元へと顔を埋めて、そこに溢れだしてきた言葉を吐き出しながら。
「なんで俺、貴女に捨てられたんですか……! なんで……マルゼスさん……なんで……なんで、おれ……!」
みっともなく泣きじゃくる背中を、やさしく、やさしく撫でつけられていた……