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第13話 お調子者は、かく語りき

 さばばばばばば……!


「おし、オッケー。量はこれぐらいで十分だ。井戸も近かったし、楽が出来たな」


 空になった水桶を手に、俺は透明な水で満たされた長方形の浴槽を覗き込む。

 するとそこに合わせるようにして、フェレシーラが窓の外から顔を出してきた。


「そうね。こっちも見てみたけれど、温度調整機能もしっかりついているみたい。旧式だなんて馬鹿に出来ない造りね」 

「へぇ、そりゃ便利だ。流石は公国製、術具工房様の御品ってところか」


 フェレシーラの説明を受けて、俺は浴槽へと再び視線を落とす。


 乳白色の保護剤で覆われた表面はすべすべとしており、浴室全体を覆うタイルのザラついた質感とはまた異なる代物だった。

 流石にポンプシャワーの類までは備えてはいないが、排水口が設けられていることもあり、メンテナンスは容易な造りとなっている。


 旅先の入浴施設……それも無料で使えるものとしては、ほぼ満点に近いだろう。

 ちなみに主な減点要素は、浴室そのものが妙に手狭であることだ。


「あら。貴方、それが工房製って一目見てでわかるなんて……アレイザの術具工房を見たことがあったの?」

「いや、工房自体を見たことはないよ。でも、マルゼ――師匠が、こういうの結構好きで旅商の人から買い付けてたからさ。それで少しは詳しくなったってのはあるかな」

「なるほど……ま、良くも悪くも量産品ぽさは漂ってるものね。納得納得」 

「量産品というより、完成品って感じがするけどなぁ。俺からすればだけど」 


 内外に分かれてフェレシーラと湯張りの準備を終えると、俺は浴室を後にした。


 離れの部屋に併設された浴室には脱衣所に勝手口が設けられており、そこから裏手にある風呂釜側へと行ける造りとなっている。

 薪割り斧や火箸といった用具の類は埃を被っていたが、飽くまで術具が故障した際の保険だろう。

 これから湯を沸かす分には、なんの問題もない。


「とは言え、塔以外の術具を使うのは初めてだからな……」 

「なにブツブツ言ってるのよ。こっちは汗でベトベトなんだから、早くしてってば」 

「へいへい。わかってますって」  


 既に外で待ち構えていたフェレシーラに急かされて、俺は風呂釜の前に腰を落とした。


 釜の造り自体は、想像していたよりは単純な構造だ。


 燃料口を備えた四角形のタンクと、そこから伸びる二本のパイプ。

 片方で浴槽から冷たい水を取り込み、もう片方で温めた湯を送る。

 所謂、自然循環式というヤツだ。

 湯の流れは弱く浴槽の上下でムラも出るが、循環用の動力を必要としないのが最大の利点と言える。


 しかし今俺が注目すべき点は、そうした風呂釜としての構造に関する部分ではなかった。 


「さて……この手のヤツのお決まりは、平べったくて面積の広いとこ、っと」


 そんな独り言を口にタンクの側面を確認すると、そこには精緻な紋様がびっしりと掘り込まれた銀色の平板があった。

 これまで幾度となく目にしてきた魔術装置……術具の要、魔法陣だ。


「ええと、魔法陣は……加熱用と緊急冷却用の、二つか。出力は十分、持続時間もまずまず、と……」


 その所在を確かめるなり、今度は魔法陣の内容を把握しにかかる。


「どう? ちゃんと使えそう?」

「ああ。陣の記述はおかしくないし、他の部分に問題がなければ……うん、わかった。オーケー、いけるよ」

「え? もう読み解いちゃったの? はやくない? 魔法陣、いま見つけたばかりよね?」 

「機能が単純だし、陣も二つだけだからこんなもんだろ。あ、燃料送り込むから、もうちょい離れた離れた」

「あ、うん……」 


 魔法陣の内容を確認して機能を把握し終えたところで、俺は心配気にこちらを覗き込んできていたフェレシーラを後方へと下がらせた。

 そして、風呂釜の燃料口に右の掌を添える。


「んー……まずは、これぐらいかな」


 その呟きと共に、俺は掌に意識を集中させた。


 イメージするのは、グツグツと煮えたぎるエネルギーの塊。

 それが今回俺が選択した、アトマの形だった。


「……!」 


 イメージが、オレンジ色の光を伴い具現する。

 それと同時に、後ろにいたフェレシーラが息を呑む気配が伝わってきた。


 まだ術具の起動にすら至っていないというのに、随分と緊張しているようだが……

 恐らくは、俺がまともに術具を扱えるかどうかを見守ってくれているのだろう。


 そして万が一それに失敗して、注ぎ込んだアトマが弾けたときにはフォローしてくれるに違いない。

 正直言って、たかが湯沸かしの術具程度に少し大袈裟すぎるとも思う。


 基礎的な教育こそ積んでさえいれば、という前提条件は付くものの。

 この程度の術具であれば、小さな子供でも扱える代物だろう。


 術法式に用いるアトマ文字を理解出来てさえいれば、まず失敗はあり得ない。

 力の伝達法と、その力が何を生み出すのかを把握しておけば問題はない。

 その程度のレベルにある術具だ。


 だがしかし、それだけ俺が頼りなく見えていると思えばこそ、こちらとしては、完璧に使いこなしてみせたくなるものだ。


「おーし。それじゃ……加熱開始、っと!」 


 その宣言に合わせて、お次は左手を魔法陣へと宛がう。

 指先と言葉を連動させて、魔法陣を操ることに集中してゆく。


 生みだしたアトマで、陣を満たしてゆくイメージに没頭してゆく。

 ぐるぐる、ぎゅるぎゅると、己が力を他へと注ぎ渡し――


 カッ! と、光が瞬いた。 


「よし……!」 


 魔法陣の起動によって放たれた、赤い光を頬に受けながら……俺は心の中で、ガッツポーズを取る。


 先に起動させたのは、加熱用の魔法陣。

 それが風呂釜へとアトマによって生み出された熱を送り込み始めて、その余波として周囲の気温を急速に上昇させてゆき――


「あっつ……! わかってたけど、やっぱ夏の昼間っからやると、あっついなぁ……これ!」


 結果俺は、嬉しさ混じりの泣き言を口にする羽目となっていた。


「……すごい。解読、解析の速さもだけど……初めて目にする術具を、こんなあっさりと起動出来るだなんて……」 


 そこに、フェレシーラの声が届いてくる。


 アトマの制御を行っていることもあり、俺はそれをチラリと見やることしか出来なかったが……どうやら彼女は、俺が一丁前に術具を扱えた事実に関心している様子だった。


「ふ……」


 気がつけば俺は―― 


「ふっふっふっふっふ……!」 


 高温を発し始めた風呂釜の前で、含み笑いを洩らしてしまっていた。


 いやだっさ。

 たかだか家庭用の術具を動かした程度のことで、我ながらだっさ!


「どうよ……どうよ、フェレシーラさんよぉ! この俺の、風呂釜捌きの腕は!」 


 だが悲しいかな。

 出会ってからこれまで、全くと言っていいほどに彼女にいいところを見せられていなかった俺は、わかってはいても調子に乗ってしまっていた。


「あ、うん。たしかに、すごい……けど……」 

「ふふ。そーかそーか。そうだろうな……! これでも俺、毎日毎日あの糞でっかくて無駄にたっかい塔にある術具、ぜーんぶ一人で管理してたからな! ていうかあの人、次から次に新し――」

「ねえ」 


 ピシリ、と。

 俺が余計な思い出話に入り始めると同時に、フェレシーラはこちらに指を突きつけてきた。



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