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4.エリザベートの解答と真実

「私が間違っている……と。確かに動機など明確に答えが出せたわけではないが、大筋の犯行はあばけたはずだ。青木が犯人で黒岩を殺害し、自殺に見せかけた。これ以外に解答はないだろう」


 私は自分の解答に自信があった。いや、自信と言うよりその結果以外導き出せる選択肢がないのだ。例え、青木が犯人でないとしても、車外に『目張り』をして自殺のように見せかけていた理由がそれ以外に説明できない。必ず第三者が関わっている。関わっているならこれは殺人だ。


「動機などについてはそんなに気にしていませんわ。さすがに『魂書』や状況証拠から完全に読み取るのは土台無理な話ですわ。ですから、あなたが間違っているのはその大筋の犯行とおっしゃっているもの。青木が犯人で黒岩を殺害し、自殺に見せかけた。この部分ですわ」


 理解し難い。つまり、青木が犯人ではないと言いたいのだろうか?


「つまりキミは、犯人は青木ではないと言いたいのだな? では、誰が黒岩を殺害したのだ。矛盾なく説明をつけられるのは青木が犯人であった場合だけではないか!」


 エリザベートは何とも呆れたような、失望したようなそんな空虚な顔こちらに向けた。


「どうやらあなたには少し期待し過ぎていたようですわね。あなたはあなたの常識や固定観念に囚われ過ぎていますわ。もっと認識を拡大ひろげなさい。『できない』からとは限らない。『できない』からとは限らない。何度も言いますが、これは小説や物語ではなくてよ」


 理解し難い。この女が何を言いたいのかわからない。だろう。物理的に不可能な事象はひっくり返しても不可能である。無論、私が想像もつかないトリックなどがあれば覆すことは可能かもしれないが、今回の事件においてそんな大掛かりなトリックなど存在する余地がない。至極簡素で簡潔な事件のはずだ。


「何が言いたい? 私が視野狭窄きょうさくに陥っていたというのか。確かに視野は狭かったかもしれない。そこは否定するつもりはない。だが、現実問題犯行が可能なのは青木だけだ。そこは揺るがないだろう。私の解答を否定するなら正解を示したまえ!」


 先程の空虚な顔をしたままエリザベートは静かに目を伏せた。何か思案をしているのだろうか。深く息を吸い込む音が聞こえる。静かな部屋の中で孤独な影のように、彼女が抱える思考がその姿勢にも現れていた。しばらくその状態が続いた後に、静かにそして深く息を吐き彼女は眼を開いた。


「では、解答を。犯人は……黒岩の交際相手である白井ですわ」

「白井……? ありえない。! 彼女に犯行は不可能だ! 彼女は車内で黒岩と共に死んでいる。『車内』でだ。『車外』ではない。彼女が『車内』で死ぬには『目張り』を剥がさないといけない。外から空気の通り道を塞いでしまえば『車内』にはもう戻れない。どうやって彼女は『車内』に戻って死ぬことができるのだ!」


 何度も言おう。物理的に不可能だ。幽霊みたいに壁をすり抜けることができたならいざ知らず、普通の人間にそんなことはできるわけがない。窓ガラスを破ったか? そんなことをすれば、一酸化炭素を充満させて死ぬことができなくなる。天井に穴を開けた? 同じことだ。人が入れるほどのスペースを確保してしまえば密閉空間でなくなってしまう。ありえないのだ。


「まだわかっていないのですわね。だから、固定観念に囚われていると言っているのです。あなたこの自動車が『誰の』所有物か考えたことがありまして?」


 誰……の? 黒岩もしくは白井の車であろう。彼ないしは彼女が河川敷まで運転してきたものであろう。まさか、青木の車とでも言うのだろうか。それなら尚更青木が怪しいはずだ。車内で死んでいる人間が正規の持ち主でないのなら、所有者がどうみても犯人だろう。盗まれたなどの言い訳は通じない。黒岩は食事の時点で意識がないのだから。


「どう見ても黒岩か白井の所有物だろう。赤沢や青木の物では絶対にない。もしそうなら一番最初に所有者が疑われている」

「その通りですわね。だからこそあなたは視野が狭くなっていると。もし、その自動車が登場人物以外……第三者の持ち物であった場合、如何いかがかしら?」


 車の所有者が第三者? 登場人物以外の持ち主だと?

……考えもしなかった。黒岩、白井、青木のものではないとすると、ひょっとしてタクシーの類だろうか。いや、その場合運転手がいないという謎が残ってしまう。タクシーの運転手が犯人? いや、白井が犯人とエリザベートは断言した。その線は消してもいいだろう。と、なると盗難車か? 確かに黒岩や白井が善人であるという保証はない。もしかしたら極悪犯だったかもしれない。そうなると盗難車ということも考えられなくはない。とすると、今回の事件は何かの犯罪が関わっている可能性もある。その犯罪の中で、仲間割れが発生して今回の殺人が発生してしまった。確かに辻褄は合わなくもないが……。


「考えられなくはないが、それが一体どうしたというのだ。所有者が誰であろうと、『目張り』によるわばの謎には関係がない。所有者の違いで密室は開きはしない」

「ああ、小さな密室。とてもよい表現ですわね。まさしくその通りですわね。あなた文学的な才能があるのではなくて? それはともかくとして、勿論その小さな密室とやらに所有者の違いは関係ありますわよ」


 わからない……。何が変わると言うのであろうか。


「……降参だ。これ以上は何も思いつかない。答えを教えてくれ」


 私が白旗を揚げるとエリザベートは眉間に皺を寄せた。


「別にわたくしはあなたと勝負をしているわけではありませんわ。降参するのは結構な事ですけれども、次からは答えがないのですから答えが出るまで考えてくださいまし。では、答えましょう。所有者は今回の話に出てこない。遠い遠い場所に住んでいて、何年も前に盗難にあった哀れな人物ですわ」


 車の所有者が誰でもない第三者? やはり辻褄が合わない。盗難車であったとしたら先程考えた黒岩と白井が強盗か何かで、盗難した自動車内で仲間割れが発生し死亡の線が考えられるが。だが、やはり小さな密室の鍵にはならない。


「まだ、わからないのですの? しかたありませんわね……。その自動車とやらは何年も前に誰かに盗まれてその場所に放置をされていた所謂いわゆる』ですわ。赤錆びて所々部品の朽ちて見るも無残な『廃車』ですわ。そもそも誰がその自動車とやらを運転していたと言いましたの? わたくしはその自動車が正常な状態であるなどとは一言も言っていませんわよ」


 廃車? ……廃車! 確かにエリザベートは河川敷で見つかった車についてそれが生きている車とは言っていない。ああ、そうだ! 犬の散歩中の赤沢が何故被害者に気付いたのか。当たり前だ。いつも散歩中に見ている廃車の車に『目張り』がされていれば誰でも不審に思う。そうなれば覗きたくなるのも道理だ。


「それは……盲点だった。だが、廃車であっても密室の謎は……」

「簡単ですわ。自動車の底は朽ちて抜けているのです。地面が見えているのですわ。なので、地面に穴を掘り外部と行き来する出入口をこさえた。『目張り』をした後に、その穴を通り車内へと戻り、後は穴を土で埋めてしまえばおしまい、ですわ」


 は? 穴を掘った? 地面に? ……ふざけるな。ふざけるな!


「ふざけるな! そんなものミステリでもなんでもないではないか! そんな意味のないことをする理由がない! よしんばそのトリックがあったとして、廃車である事やその車内の床が朽ちて地面が露出していることをキミは事前に語らなかった! 作者が隠したい情報を隠匿いんとくした上でそれをトリックの鍵にするのはルール違反だ! ミスリードでもなんでもない! 単なる卑怯なだけだ! 三流ミステリ小説にも劣る行為だ!」


 さすがにこれは許容できない。。情報はすべて開示されていなければ謎解きではない。こんなことがまかり通るなら私はこの女の仕事を手伝う事はできないであろう。

 私がそう彼女を睨み付けていると、途端にその場の空気が冷たくなった。これは比喩表現ではない。体感温度が明確に下がった。寒気とは違う、明らかに空気が冷えたのだ。なんだこれは?


「……再度申し上げますわ。これ以上はわたくしも我慢の限界と言うものですから最終勧告だと思って頂けるかしら。これは小説や物語の世界の話ではありませんわ。あらゆる不条理や不平等が介在する現実に起きた話ですわ。ありとあらゆる可能性が存在する現実に起きた話ですわ。わたくしは情報を隠匿いんとくしたわけではありませんわ。あなたが気付かなかっただけ。あなたが疑問に思わなかっただけ。あなたが質問しなかっただけ。あなたは、常識やありえないという固定観念に囚われ疑う必要のない事と最初から切り捨てたのですわ。あなたは勝手に自分の思い込みで視野を狭めたのですわ」


 ……認めたくはないがその通りではある。実際にその現場に居合わせれば今回の異常なトリックにも気付けただろう。それができない以上、私は現場の状況をもっと詳しく知るべきだったのだ。もっと注意深くならねばいけなかったのだ。

 簡単な話だった。こんな簡単な事にも気付けなかったのだ。


「今回わたくしがこの『魂書』の事件を選んだ理由、おわかりいただけたかしら? わたくし達には知らされる情報は非常に少なく、正確性もあやふやなもの。すべてを疑い、すべてを観察し、すべてを見逃さない。そうしなければ真実には……『解答』には辿り着けないのですわ。おわかりいただけまして?」


 ぐうの音も出ない。完全に私の負けだ。『正解』できたかどうかではない。彼女の仕事に対する本気さ、熱意、心構えそう言ったものに私は負けたのだ。心の中では大したことのない遊び感覚でいたのかもしれない。本気で取り組もうとしていなかったのかもしれない。恥じ入るばかりだ。


「すまなかったエリザベート。どうやら私は心の中に甘さがあったようだ。自分が探偵であることを棚に上げ、どこかでこの仕事を安易に考え見下していたのかもしれない。キミの言う通り注意深くあらねばいけなかった。申し訳ない」

「わかって頂ければ結構ですわ。別にあなたと勝敗を競っているわけではありませんもの。次からは『正解』の存在しない話になるのです。わたくしも知らない話ですわ。ですから共に知恵を出し合いましょう。わたくしが見落とした真実はあなたが拾いなさい。あなたが見逃した真実はわたくしが拾いましょう」


 冷酷無比な女かと思っていたが私の思違いだったようだ。私は彼女の評価を改めなくてはいけなくなった。怪しげな存在ではあるが理知的で話のわかる人物のようだ。


「わかった頼らせてもらおう。それはそうと、先程の事件、まだ腑に落ちない。犯行のトリックはわかったが白井が黒岩を殺す理由はなんだ? 食事の席も黒岩は薬を盛られたように見えたがあれは青木の仕業ではないのか?」

「ああ、それは陳腐な話ですわ。所謂、痴情のもつれというやつですわ。黒岩には不貞の相手がいたようですわね。女と言うものは独占欲が強いもの……嫉妬に狂い他の女のものになるならば、と。食事の席で薬を盛ったのも白井ですわね。青木は単に巻き込まれただけですわね」

「なんともわかってしまえばくだらない話だな。いや、同じ女であるキミに言うのは失言だったか。謝罪しよう」


 私が頭を下げると、エリザベートはにんまりと妖艶な笑みを浮かべた。


「ええ、わたくしも独占欲が強くて嫉妬深い女ですもの。主様の事を思うとこの胸が張り裂けそうになりますわ」


 そう言うと彼女は自らの豊満で魅力的なその胸部を大胆にも見せつけるように揺らした。眼福ではあるが複雑な気持ちである。


「さて、今回の事件についてはこれにて終幕でもよろしいかしら?」

「ああ、構わない。次からはキミも知らない本当の『魂書』の事件なのだったな。気を引き締めるとしよう」

「ええ、そうなさってくださいませ。特に次の事件は難解も難解。一度目を通したわたくしもその不可解さに戸惑うばかりですわ。あなたが解決の一助になってくださるとありがたいのですけれども……」


 そう言うと彼女は、先程までふよふよと浮いていた『魂書』を瞬時に消し去ると、光り輝くその右手から煌びやかな粒子を本棚に向けて飛ばした。粒子が本棚に当たると、本棚から一冊の本が飛び出してきて彼女のその右手へと納まった。


「それではここからが本番ですわ。奇妙で歪で不可解な殺人事件。題して……」




「魔王様殺人事件、開幕ですわ」




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