「では、改めまして。舞台は貴方のいた世界と同じ世界観、同じ時代。場所は貴方が住んでいた国、日本のとある地方。そこにある大きな川の河川敷で事件は起こりましたわ」
『魂書』が光り輝きながら彼女の胸元まで浮かび、風もないのにペラペラとページが進んでいく。
「死んだのは黒岩と白井という人物。その二人が自動車……というのだったかしら。その乗り物の中で死んでいるのが発見された。発見したのは犬の散歩中にたまたま付近を通りかかった赤沢という男。つまりは第一発見者ですわ。すぐさま警察に通報、しばらくして警察が到着し事件発覚と相成ったという状況ですわね」
なんというか想像していた事件とは違い、妙に
「警察とやらが調べた結果、車外には一片の隙間なく強力な接着帯による目張りがされ、中からは燃焼した形跡のある練炭が発見された。黒岩と白井は
何かある……? 何を言っているのだこいつは? いやまさか、そんなことすら疑問に思っていないとでも思われているのだろうか? 見くびられている? それとも試されているのか?
「まず、聞きたい。強力な接着帯というのはなんだ?」
まず私は、話の中に出てきた不思議な単語について聞いてみた。あまり聞き慣れない表現のものであり想像がつかない。
「ええと、貴方の世界では……がむてーぷ? というのだったかしら? 申し訳ないけどそういう固有名詞はわたくしあまり存じ上げませんの。もし不思議に思える表現の単語が出てきたら、都度聞いてくださるかしら? わたくしも何とかわかりやすいように表現するつもりですけれども、そこは常識の差異などでもあるので補填しながら進めさせて頂きますわね」
常識知らず……とは端的には言えんだろう。こんな場所に存在しているのだから私の世界に詳しくないのもしかたがないことなのだろうが……。そうかガムテープの事か。なんとも珍妙な表現をするものだ。
「死因は中毒死とのことだが、それは練炭の燃焼による一酸化炭素中毒ということでいいのだな? また、被害者に外傷はあったのか?」
私はエリザベートが言葉尻りに妙に
「ええと、ちょっと待ってもらえるかしら?」
そういうと彼女は空中に手を
「ん……。そうですわね。貴方の世界の知識に照らし合わせると一酸化炭素というものでの中毒死に相違ありませんわね。外傷もとくにはないですわね。再度申し上げますけれども、わたくしは貴方の世界の知識に精通しているわけではありませんの。もしかしたら今後曖昧な表現が
そう言うと先程の球体は音もなく霧散し消失した。
成程。どうやら全知全能というわけではないらしい。私の知る常識も知識も必要最低限程度にしか持ち合わせていないようだ。するとこれは少々厄介になる。ひとつひとつ確認しておかなければ認識の違いから誤解を生む可能性がある。慎重に読み解いていかなければならない。
「了解した。ある程度は補うつもりだが認識に
「ええ、それはもちろん」
「では、次に時間帯だ。被害者が発見された時間と死亡推定時刻を教えてくれ」
第一発見者が犬の散歩時に発見とのことなので、それまで発見されなかった時間帯に死んでいる可能性が高い。犬を飼ったことはないのだが、散歩と言えば早朝か夕方だろうか。夕方であればそれまで発見されなかったのが気掛かりになる。逆に何故第一発見者は彼らを発見できたのかという話になってくる。河川敷に放置されている車を覗こうなど普通はしないだろう。今までそこになかったから? 行きには存在しなかったが、帰りには存在していた? となると死亡推定時刻は夕方までの直近時間となるだろう。つまり、死んですぐに発見されたということになる。早朝の場合はなかなか難しい。早朝に至るまでに発見されなかったのはそれだけ人通りが少ない時間帯であったためであろう。そうなると、深夜帯に死んでいた可能性も出てくる。もしかしたら早朝の直近時間であるかもしれない。
「被害者が発見されたのは早朝。先程出てきた赤沢という男が散歩中に発見しましたわ。死亡推定時刻は深夜。明確な時刻は……載っていませんわね」
載っていない……? 時間は左程重要ではないのか?
「その赤沢という男と死んだ黒岩と白井に面識は?」
「さあ? そこまでは。おそらくはないと思いますけど、これはあくまでわたくしの私見ですわ」
第一発見者が怪しいというのは古今東西のミステリ小説の中で散々
「ちなみにだが、車内に遺留品……単刀直入に言えば遺書は残っていたのか?」
「遺書は残っていませんでしたわ。遺留品というと難しいですわね。着ている服から身に着けている装飾品、車内に常備搭載されているもの、あげようと思えばいくらでもありますわね」
自殺のように見受けられるが、遺書がないなら自殺でない可能性も考えられる。もし自殺であるならばそれだけの理由があるはずだ。ましてや恋人を巻き込んでの無理心中となれば。
「わかる範囲で構わないのだが、この黒岩もしくは白井に自殺をしなければならない程の切迫した理由があったのか?」
「警察の調べでは、黒岩は金銭的な問題を抱えていたようではありますわ。でも、命を捨てるほどではなさそうな感じですわね。とはいえ、感覚など人それぞれのもの。わたくしには大したことないと思っても当事者にとっては絶望的に感じたのやもしれませんわね」
さて、ここまでエリザベートの話した内容では、黒岩と白井は恋人同士で、車の中で練炭による一酸化炭素中毒による自殺という線が濃厚である。外傷はない上に死因が既に特定されている。理由になるかはわからないが、金銭的なトラブルもあったようだ。恋人を巻き込んでの無理心中とするのが一般的な見解かもしれない。
しかし、そう簡単な問題ではないと私は思う。現場に遺書がなかったので他殺とも考えられなくもない。だからといって、自殺でないとは断言できない。そして、あの問題も自殺ではないことの
だが、これはあくまで現場状況から読み取れることであり、おそらく『魂書』の内容ではない。話的に警察が調べ上げた実況検分の内容である可能性が高い。エリザベートは事あるごとに警察による、と断り文句を言っている。つまり、第三者視点からの情報だ。
「これまでの話は警察の調べた結果だな? 『魂書』に書かれている内容ではないだろう? 『魂書』には何が書かれているのだ? 黒岩か白井どちらかの『魂書』なのであろう? だったらその二人の死ぬ前の状況が書かれているはずではないか?」
私の指摘ににやりとあざ笑うように女は話し始めた。
「その通りですわ。これは『魂書』の内容ではありませんわ。あくまでも世界の断片から情報を抜き出した事件の状況情報でしかありませんわ。よく気付きましたわね。さすがですわ。褒めてさし上げますわよ。ちなみにこの『魂書』は黒岩のものですわ」
そういうと彼女は胸の辺りにふよふよと浮かんでいる光り輝く本を指差した。……本よりもその豊満な胸に視線がいってしまうのは男としてしかたないことであろうか。死んでも性欲というものはあるのだなと、くだらない事を考えてしまった。
「さて、『魂書』に記されている黒岩の最後の記憶を語りましょう。黒岩は死ぬ直前、恋人の白井、そして共通の友人である青木と三人で食事をしていたようですわ」
ここで新たな登場人物か。友人の青木。被害者が最後に出会った人間。死ぬ直前ということは夕食であろうか。
「三人で食事をした後にしばらくして、黒岩は意識が無くなったようですわね。そのまま意識は戻らず死亡……と言ったところですわね。嗚呼可哀そうに。でも苦しまずに死ねたのはせめてもの幸いなのかしら」
成程。食事の直後に意識を失ったと言うことは食事に何か盛られた可能性が高いな。おおよそ睡眠薬か何かの
「食事は何処でしていたのだ? 自宅か? どこかの店か?」
「食事を提供する店のようですわね。警察もその店の特定はできているようで、三人で食事をしていたというのは従業員から証言を取れているようですわね。ただ……」
エリザベートは一瞬、
「ただ、退店するときに黒岩は青木に背負われて店を後にしていますわ。青木が従業員に酔い潰れたようだと説明していますわね。おそらくこの時にはもう黒岩の意識はないでしょう」
ビンゴ! 何か薬を盛られたのは確定であろう。車で死んでいたところを見るに、車でその店まで来ていたはずだ。酒を飲むはずがない。問題は、この段階では白井と青木どちらが犯行に及んだのかということだ。
「食事の席で一服盛られたようだな。この三人は何故食事をしていたのだ? 何か集まる理由か何かあったのか?」
「そうですわね……『魂書』曰く、先程話に上がった金銭問題の元凶はどうやらこの青木だったようですわね。黒岩は青木に金を貸していたようで、その返済に関する相談がこの食事会の目的だったようですわね。会話内容からすると返済期限を延ばしてくれるということで話はまとまったようですわ」
「実に陳腐な話だな。いつの世も金が絡むと
つい本心を口に出してしまった。うちにもこの手の問題の依頼はよく来る。いくら親しい友人同士でも金銭が絡むととんでもない血みどろの問題に発展する。
「そうなると確定だな。最早これ以上の推理も必要あるまい。事件の真相は見えた」
私はそう言うと、椅子に座り直しエリザベートを真正面から見つめた。
「あら。もういいですの? 早いですわね。それだけ優秀ということかしら? それとも……。では、あなたの解答を聞かせて頂けるかしら?」
エリザベートもこちらに相対するように居住まいを直したのを見届けてから、私は静かに私の導き出した推理を語り始めた。