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Answers~魔王様殺人事件~
Answers~魔王様殺人事件~
ぴすぴす
ミステリー推理・本格
2025年01月25日
公開日
2.8万字
連載中
気が付くと私は延々と本棚が連なる不思議な場所に居た。
そこは死者の最後の記憶である『魂書』を保管している『魂の選定所』であった。
その空間の主である妖艶な美女エリザベートに、私は既に死んでいると告げられる。
自分の仕事を手伝えば生き返らせてやると言われた私は彼女に協力をすることにした。
『魂書』に刻まれている死者の最後から、その人物が何故死んだのか、
真相を明らかにするため、私は彼女と共にひとつひとつ検証をしていくこととなる。
そして、私は出会う。
ファンタジー世界の中の奇妙で歪で不可解な殺人事件に……。

1.出会い

 目を開けるとそこは何とも表現し難い不思議な場所だった。

 眼前に広がるのは唯々本の森。大小様々な書物が本棚に収まり、整然と陳列されている。いくつかの本は棚から零れ落ち、物語の世界を外に伝えようと途中のページを露呈しながら、ともすれば器用にその頑丈な背表紙を床に立て、まるでそよ風に微かに震える木々のように静かに佇んでいた。その散らばり方は水面にまばらに咲き誇る蓮の花を連想させた。

 本棚の高さはおそらく自分の身長より高く五、六メートルあるのではないかと思うほど大きい。右を向けば本棚、左を向けば本棚。おそらく後方も延々と本棚の列がそこにはあるのだろう。無数の本が棚に並び、樹木のようにそびえたっている。この知識の森は無限に広がっているのではないかと想像させるほどあらゆる方向に果てしなく続いていた。

 見て取れる場所に灯りは存在しない。しかし、全体的に薄暗くはあるものの、視界がちゃんと確保されている程の明るさが周囲にはあった。光源がどこにあるのかわからない。何とも不思議な場所だ。

 そしてその本に囲まれた不思議な空間にひとり、私は何故か椅子の背もたれに身体を預けていた。


 ここは何処だろう?


 最後の記憶である昨晩のことをおぼろげに思い出してみる。たしか……その日は炎天下の中、外を一日中這いずり回る仕事を終え、くたくたになりながら事務所へと帰所し、汗を流す時間も惜しみながら冷蔵庫でキンキンに冷えた安酒で喉を潤し、くだらないテレビ番組を横目にソファに横になったところまでは覚えている。

 そこから先の記憶はない。

 おそらく疲れとアルコールも相まって眠ってしまったのではないだろうか。そこまで酒量が多かった覚えはないのだが……思いのほか疲労が溜まっていたのだろう。どんなテレビ番組を見ていたのかすら思い出せないが、いい子守唄代わりになり、酔いが回るのも早かったのかもしれない。

 と、するとこれは夢だろうか。さすがに事務所が一夜にして図書館に早変わりすることはないだろう。夢とは睡眠中の記憶の整理や統合時に起こるという説もあるが、ここしばらく図書館のお世話になったことはない。過去の記憶から呼び覚まされたものでももう少し記憶にあるような場所にして欲しいものだ。まあ、夢に悪態をついてもしかたがないのだが。

 それにしても奇妙な夢を見るものだ。ためしに夢かどうか確かめるために自分の頬をつねってみる。漫画とかでよくある手法だ。


 ……痛い。どうやら夢ではないらしい?


 ならば現実……とすると、些か厄介なことになる。私は昨夜事務所に帰所してから移動した覚えはない。夢遊病と診断されたこともなければ、夜間徘徊の癖もない。つまり、何者かが眠りこけた私を何らかの方法で故意に連れ出し、ここに放り込んだことになる。これは誘拐、拉致監禁。立派な犯罪である。

 当然、そんな胡乱うろんな事に巻き込まれたとはなるべくなら思いたくない。身に覚えがない……と言うとさすがに嘘になってしまうが、最近は恨みを買うような依頼を受けたりはしていなかったはずだ。なので、いきなり拉致されることはきっとないはずだ。……たぶん。

 よくよく自分の身体を見てみれば、着ているのはいつもの仕事着である白のスーツ。手足は拘束されていない。椅子の背や脚にロープで結ばれていたりしない。口元も猿轡さるぐつわなどで声を出せない状況にはなっていない。携帯はさすがに所持していないみたいだが、監禁したにしてはいささ杜撰ずさん過ぎはしないだろうか。一切の拘束もされていない。これならいつでも逃げ出してくださいと言っているようなものである。

 さて、どうしたものか。このまま立ち去っても構わないのだが、状況がよくわからない。この部屋を出たところで犯人の一団と鉢合わせと言うのは避けたい。もしかしたら、外はゾンビが蔓延はびこる世紀末世界……というのはさすがに飛躍し過ぎか。見たところ周囲に人の気配や姿は確認できない。カメラのような監視物も見た限りではなさそうなようだ。

 それにしてもここは何処の図書館だろう。あたりを見渡すが記憶に似たような景色は存在しない。これだけの蔵書数を誇る図書館が日本にあっただろうか。大きな図書館と言えば国会図書館ぐらいだろうが……。数度訪れたことはあるが、なんというかこんな陰惨な雰囲気ではない。どちらかというと西欧の……英国辺りの歴史ある図書館のような印象を受ける。写真を見ただけで行ったことはないので定かなことは言えないが。


「あら? お目覚めかしら?」


 突然声を掛けられた。女の声だ。

 目の前には黒いドレスを着た女性が立っていた。いつの間に現れたのであろうか。先程まではいなかったように思えたのだが……?

 女は黒い中世風のクラシックな足元まで届くドレスを着ていた。しかし、眩しいほど白く美しい肌の太腿がスリットから覗いている。そこから垣間見える脚には、ガーターストッキングのようなものが見えた。なんとも、なまめかしい。視線を上に上げると、コルセットで締めあげているのであろうか腰は細く、何よりその上で零れ落ちる程の豊かな胸部は大胆にも見せつけるように半ば露わになっている。なんとも、あでやかしい。その胸元に揺蕩うように広がる少しウェーブのかかった長い黒髪がなんとも情欲をかき立てる。顔を見れば目元は少しきつそうな印象を受けるが、左目に泣きぼくろがあり、口元は怪しげなほど赤く色付き、まるで誘蛾灯のように引き寄せられる。顔立ちは西洋風であろうか。なんとも、つややかしい。つまるところ、超絶美人だ。だが、妖艶すぎて身を滅ぼしそうな印象を受ける。所謂、傾国の美女だ。総じて、危険な悪女というのが私の感想だ。


「まだ寝ぼけているのかしら? わたくしの声が聞こえていまして?」


 その声はまるで深夜に耳元で囁かれているかのように低く、甘く、滑らかで、心に直接触れるかのような感覚を引き起こした。甘い蜜が滴り落ちるように官能的で、漆黒のレースの向こうから誘うような艶めかしい溜め息のように、聴く者の心を意のままに操る魔性の魅力を持っているかのようだった。

 美女は声まで美しい……と、いかんいかん。冷静になれ。こんなところにいる女が怪しくないわけがない。目の前のこの美女はおそらく私を誘拐した人間だ。もしくはその犯人の一味。決してその美しさに油断をしてはならない。極めて沈着に状況を確認しなければならない。


「ここは一体何処だ? キミは誰だ? 私をこんなところにかどわかして何が望みだ?」


 当然の疑問を私は口にした。目の前の美女に聞いたところで返答が返ってくるとは思っていないが、ここで負けてはいけない。少しでも会話の中で情報を引き出さなければならない。こんなところにいる怪しい女が関わっていないわけがないのだ。


「質問が多いですわね。でもまあ、当然の疑問ですわね。いいですわ。教えて差し上げましょう」


 予想外の返答だった。意外にも美女は答えてくれるらしい。実は見た目とは裏腹にやさしい人なのだろうか。まさか何かの罠だろうか。それとも私が勘違いしていただけで犯人の一味ではないのだろうか。


「まず、ここは魂の選定所。空間と空間の狭間、次元と次元の合間、世界と世界の境界。死した魂が最後に辿り着く安寧あんねいの墓所。おそらく理解することはできないでしょうから、まあ、人間の認知外にある領域……と覚えていてくれれば構いませんわ」


 魂の選定所? 空間? 次元? 何を言っているのだこの女は? 電波か?


「わたくしは、創造と破壊の神に仕えし使徒、エリザベート。神の下僕のようなものですわ。もっとも、わたくしは使徒の中でもあのお方の寵愛ちょうあいいちじるしく、また、わたくしもあのお方を狂おしいほど愛しておりますので、伴侶と呼ばれても差し支えありませんわね」


 神? 使徒? 何を言っているのだ。中二病のメンヘラか?


「そして貴方。別にあなたを誘拐したつもりはありませんわ。貴方の方から勝手にここに来たのですもの」


 誘拐していない? 私の方から来た? 何を言っているのだ。私は昨夜事務所から出ていない。夢遊病の気もない。寝込みを襲われた以外説明がつかない。


「ああ、少し誤解がありますわね。ここにどうやって来たのかはわかっていますわ。貴方、死んだからここに来たのですわ」


 私が……死んだ?


「さっきから何を頓珍漢とんちんかんなことを言っている。私が死んでいるだと? ふざけるな、現にこうして生きているではないか!」


 そう言い放ち私は自らの左胸に手を当てた。そこにはいつものように元気に心臓が鼓動を刻み……。鼓動の音が……聞こえない? いやいやいや。服の上からだからわからないだけであろう。私はいつも着ているお気に入りの白いスーツのジャケットの下、さらにワイシャツの下に手をやり神経を集中させる。……心臓の音はやはり聞こえない。ならばと、左手首の脈を測る。……脈は感じられない。ならばと、首筋。膝の裏。ええい、足の甲。……どこを触ってもいつものどくんどくんとしたリズムはなく、ただそこには私を嘲笑あざわらうかのように静寂だけが広がっていた。


「脈が……ない。私は……死んでいるのか?」

「ええ、先程からそう言っていますわ」


 私が……死んだ。何故だ? 昨夜アルコールを摂取したからか? 急性アルコール中毒になる程の量は飲んではいなかったはずだ。そもそも私は酒に弱くない。決して強いとは胸を張っては言えないが、人並みには飲める方だ。これが原因とは到底思えない。死因は一体何なのだ?


「私は一体何故死んだのだ?」


 目の前の妖艶な美女……エリザベートと名乗った女に投げかける。


「さあ? 知りませんわ」

「なら何で私が死んだと言えるのだ!」

「ですから、先程から言っていますわ。ここは魂の選定所。死した魂の記録が記された『魂書こんしょ』が集まり、それを元に魂を輪廻に戻すか消滅させるか、はたまた神の御元で働かせるか。その選別、裁定、選定する場所ですわ。ここにいるのは死した魂のみ。ですので、ここに居る以上貴方は死んでいますわ」

「つまりここは……閻魔えんま大王のいる地獄ということか」

「地獄……などというものは存じ上げませんが、貴方方の世界の定義になぞるならば似たようなものですわね」


 なんということだ……。よもや地獄の閻魔大王に拝謁はいえつすることになるとは。しかもそれがこのような美女であったとは。絵巻物に描かれた鬼のような様相とは似ても似つかない。事実は小説より奇なりとはこの事か。


「だが……おかしくないか? 何で私の死因をキミは知らないのだ? 先程言っていたその『魂書』とやらに載っていないのか? 死した魂の記録なのであろう? 最期の末路は載っていないのか?」

「あら、ちゃんと話を聞いていたのね。いい子ですわね。褒めて差し上げますわよ」


 にこりと彼女は笑うと一呼吸置いて話し始めた。


「おそらく載っているでしょうね。探せば貴方の『魂書』も何処かにあるのではないかしら」

「探してくれないか? 私は何故死んだのかを知りたいのだ」


 そう私が懇願こんがんするといかにも嫌そうな顔をエリザベートは浮かべた。


「貴方……周りを見回してごらんなさいな。『魂書』が一体何冊あると思っていますの? この中から特定の人物の本を探すことが貴方にはできて? ひとつひとつ地道に読んで確かめていくしかありませんわ」


 閻魔大王でもそう都合よく簡単にはできないらしい。確かにこの膨大な量の蔵書から一人の人間の本を探さなくてはならないのは難しいだろう。広大な砂漠に落とした一粒の米粒を探すようなものである。

 いや、待て。なら何故私はここにいるのだ?


「教えて欲しいのだが魂の選定はどうやって行うのだ?」

「わたくしが『魂書』を読んで選定しますわ。独断と偏見で決めていますから公平かつ明確な規定があるわけではありませんけど」

「つまり読むだけか? 私のようにここに召喚……と言えばいいのだろうか。呼ばれて面談のような質疑応答をしたりはしないのか?」

「ええ、そんな面倒な事は致しませんわ。する必要性も感じませんわね。まあ、主様なら簡単にできるかもしれませんが、わたくしにはそんな能力はありませんもの」

「なら、何故私はここにいるのだ?」


 私がそう呟くとこの美女は眉間みけんに皺を寄せた。悩んでいるのだろうか、美人は悩む顔も美しいものだなとくだらないことを考えていると、しばらくして女が言った。


「さあ? 知りませんわ……というよりわかりませんわね。わたくしがいつものように仕事をしていたら、いつの間にか貴方がその椅子に座っていましたもの。何で貴方がここにいるのかこっちが聞きたいですわ」


 この女ですら私が何故ここにいるのかわからないのか。私の身に何が起きたのか本当に不明らしい。これは困った。


「再度確認するが、私は死んでいるのだな? そこは事実なのだな?」

「ええ、それに関しては間違いありませんわ。繰り返しますが、ここに来られるのは死した魂のみですわ。何かの要因で貴方は肉体……というよりかは精神体ですわね、そのままに顕在化けんざいかすることができたというところかしら。そして、おそらくそれはあなたの死因に関係しているのでしょう」


 私がここに存在するのは私の死因に起因する。ならば、もしかしたら私の『魂書』があればその要因を特定することができるかもしれない。

 だが……それを知ってどうする? 私は既に死んでいるのは確定事項らしい。例え見つけたところで何にもならないのではないか。生き返るわけでもない。死者が自分の死因を知ってどうする。現世への未練でも断ち切るか? いや、いつの間にか死んでいたのだ。未練どころか死んだことすら信じられない。例え死因がわかってもそれを信じられるのか。もしかして私は生きていて、何かの手違いでここに呼ばれたのであれば見つける意味もあろうが。


「もし……もし、私が自分の『魂書』を発見し死因を、その要因を見つけたとしたら私はどうなるのだ?」


 エリザベートはさもありなんと語り始めた。


「貴方が見つけて読んだとしても何にもなりませんわ。精々自分の死因がわかるくらいなものではないかしら。魂の選定においての決定権はわたくしにしかありませんもの。輪廻に戻すか消滅させるか。でも、そうですわね。これも何かの縁ですわね。特別に便宜べんぎを図ってあげてもよくてよ」


 便宜を……? もしかして生き返らせてくれるのだろうか。


「さすがに貴方を元の世界で生き返らせることはできないけれども、限りなく元の世界に近い類似した世界に転生させることぐらいならできますわ。世界というものはいくつもの枝分かれした並行次元。貴方が居たような文明、文化を持った世界も何十何百何千何億何兆、数え切れない程の数多の近似世界に分岐して営みを続けているのですわ。その中のひとつに貴方を転生させましょう。第二の人生と言ったところですわね。記憶は……多少劣化するでしょうけど可能な限りそのままにして差し上げますわ」


 なんと! 妖艶な魔女かと思ったら慈悲深き女神であらせられた! 

 人生のやり直しができるとはこれ程の幸運なことはない。人間誰しも、過去の出来事をかえりみては後悔と自責の念に駆られる。私も例外ではなく、あの時こうすればよかった、やめておけばよかったと何度枕を濡らしたことかわからない。それを払拭できる機会を与えて頂けるのはまさに僥倖ぎょうこうである。

 現金なもので人間目標ができるとやる気が出るものである。その上で次の人生が確約されているとなればこれほど嬉しいことはない。

 なにより自分が何故死んだのか。その死因も知っておきたい。こんなところに来るほどの余程の自体に巻き込まれたのだ。生前の人生に悔いがないわけではないが、その最後くらいは知っておきたい。未だに死んでいることを信じ難くは思っているが、それでも前に進まなくてはならない。うじうじと立ち止まって悩んでいても何も解決はしない。


「但し、わたくしの仕事を手伝って頂けたらの話ですけど」


 そう言うとエリザベートは妖艶な笑みをこちらに向けた。

 やはり早々うまい話はないらしい。

 仕事というと魂の選定を手伝えということだろうか。わざわざ言うくらいなのだから私にもできることなのであろう。こんなところで第二の小野篁おののたかむらになるとは思いもしなかった。人生何があるかわからないものである。

 こうして私はエリザベートの誘いを二つ返事で引き受けた。自らの死因である過去を知ることと、確約された輝かしい未来のために。しかし、私は事の時知る由もなかった。この仕事がとんでもなく波乱に満ちた大仕事だということに……。



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