アベルの行動に近くで見ていた見物人たちも驚きを隠せないでいた。
ざわつく中で、注目の的となっていることにアベルは慌てて、マグノリアの掴んだ手を静かに離す。
「若……なぜ、お止めに?」
身体が勝手に動いたので、理由はとくにはなかった。
反射的なものだった、とはなんだか言いにくかった。
そこで、咄嗟に思いついた理由で誤魔化すことにした。
「こ、こんな場所で、商人を殺すべきではない」
というと?とマグノリアが目で続きを促してきたので、アベルは周囲を見渡す。
すると奴隷商人が多いことに気づき、ある事を思いついた。
マグノリアに耳打ちする。
「この男が何者なのか、マグノリアはわかるか?」
「いえ。ただの奴隷商人としか」
「そこだ。問題なのは。この男がどれだけ顔が広いのか、権力を持っているのか不透明だ。奴隷の数を考えてもこの男を殺すのはまずい。それに、まだ着任してそうそう殺すのも街には印象が良くない、と俺は思う」
貴族の子息に公然の前で恥をかかせた、とはいえ、今ここに膝まづいている商人がどれだけの権力を保持しているのか、アベルは知らなかった。
当然、マグノリアもコニーもヴィクトールもだ。ここで、殺せば多くの奴隷商人を敵に回す可能性もあった。
そのことに一瞬、怒りで我を忘れていたマグノリアだったが、アベルの説得には理にかなっていると気が付き、静かに剣を下ろし、そのまま鞘に戻す。
「商人。お前は命拾いをしたな。寛大なる若様に感謝するのだな」
冷たく言い放ち、アベルの後ろへと下がっていった。
マグノリアの言葉はキツイものだったが、彼女も彼女なりに考えたゆえのことだった。
ここで、下手に出れば、奴隷商人に舐められてしまうからだ。
アベルもマグノリアとの付き合いは長いので、なんとなくだが、わかっていた。
自分は殺されるのだと思っていた奴隷商人は命を救われたことに喜び、アベルの足にしがみつく。
「アベル様! あぁーあなたは私の命の恩人です! ホースウッド家のご子息様に恥をかかせておきながらこうして、お許しいただけるとは私はなんと幸運なことか」
涙を流し、鼻水まで垂らしている奴隷商人はアベルの足にすがりつき、感謝の言葉を述べていた。
アベルはそんな奴隷商人の肩に手を添えて、苦笑いする。
「も、もういい。離れてくれ」
「ありがとうございます! 本当に!」
アベルは奴隷商人の感謝の言葉を聞きながら振り払うわけにもいかず、どうしたものか、と助けを求めるように後ろに待機していたマグノリア、ヴィクトール、コニーに視線を向けた。
アベルの視線にヴィクトールがニヤけながら言う。
「商人、この恩は忘れるんじゃねぇーぞ」
ヴィクトールの言葉に奴隷商人は何度も頷いた。
「それはもう、当然のことです!あなた様はまさに神様仏様ってやつですよ!このご恩は一生忘れません。い、今は持ち合わせが……あ、そうだ」
奴隷商人が何かを思いついたかのように奴隷の少女へと駆け寄り、アベルのもとへと連れてきた。
「この奴隷を若様に差し上げます!」
「え?」
予想外の展開にアベルはたぢろぐ。そんなことはお構いなしに奴隷商人は薦めてきた。
「この奴隷はですね。なんでも血統は良いらしく、きっとアベル様もご満足いただけるかと!」
それに奴隷となった少女を見る。
小麦色の肌に黒色の長髪、アルデシール人ではないことはすぐにわかった。
年齢は十代半ば。茶色の瞳がアベルを見つめていた。
コニーがそれに目を細めた。
「その子、ジパルグ人ですね」
「ジパルグ人?」
聞き慣れない民族に小首を傾げるとマグノリアが答える。
「東の果てにある島国の出身者です。またどうして、こんなところまで流れ着いたのか」
ジパルグ人は東の果てにある島国でアルデシールとの国交はないが戦闘民族として有名で個の力もすさまじく傭兵として、雇われることもしばしばある。
戦いを求めているジパルグ人は戦争もない限り姿をそうそう目にすることはない。
「お前、名前は?」
「センといいます」
アベルの問いに、センと名乗った少女はか細い声で答えた。
頼りなさそうな雰囲気にアベルは戦闘民族だと聞かされたが、そうは見えない。
アベルはセンのことを疑いの目で見ていた。
それに奴隷商人が補足するように付け足した。
「見た目に騙されてはいけませんよ。アベル様。こいつを捕らえるのに私の部下を5人も殺しているのです」
ヴィクトールが驚く。
「五人も? こんな子供がか?」
「ええ。子供だと油断していたとはいえ、さすがはジパルグ人といったところです。本当は金貨1000枚(金貨1枚10000円相当)の奴隷なのですが私の命を救っていただいたご恩を考えれば安いものです。さ、さ、若様に差し上げます」
奴隷商人の言葉にアベルはかなりの金額に驚く。
知恵があるコニーへ視線を向け、周りに聞こえないように小声で尋ねる。
貴族家の人間が奴隷の相場を知らないのはさすがにまずいと思ったからだ。
「奴隷の取引は大体10枚くらいですよアベル様」
「そんなものなのか」
むしろ、そんなもんで奴隷取引されていることに驚きを隠せなかった。
「じ、じゃあ、この子は相当な価値があるのだな」
「えぇ間違いなく」
アベルの言葉にコニーはうなずく。
正直、アベルは同じ人間を強制労働や身の回りの世話、挙句には夜の癒しとして扱うことに嫌悪感を抱いていた。
ただ、公然とそれを否定することは出来なかった。
なにせ、アルデシール王国もまた奴隷による労働力を使い、城や砦などを造らせているからだ。
しばらく考えたアベルはセンに視線を向ける。
土と泥に汚れた細い肢体。顔立ちも良い。可愛さはなく、男よりの顔をしていた。
1人の奴隷が救えるのなら、いいか、とアベルは考えた。
「いいだろう。なら、その子を譲り受けるよ」
奴隷商人は満面の笑みを浮かべ、手をもみもみとすり合わせた。
見た目は人当たり良さげjな商人だが、目の前にいるこの男は人を攫っては、売るといったことを生業としている。
自分が一歩間違えれば、奴隷の身に落ちていたかと思うと、正直ぞっとしてしまう。
「若様、そろそろ」
マグノリアがそう囁く。
「ああ、そうだな。俺たちはもう行く」
「アベル様、この御恩は一生忘れません。また、何かございましたらヴィルゴにお申し付けくださいませ」
そう恭しく頭を下げる。
そのヴィルゴという名前にコニーの眉がピクリと跳ねた。
マグノリアがアベルが乗る馬を連れてきた。
彼女に礼を述べたあと手綱を握る。
センに視線を送る。
彼女はみすぼらしい服でさらには、裸足だった。
奴隷なのだからそれが当たり前なのだが、今にも見えそうな部分が気になってしまったアベルはそこから視線をそらし、奴隷商人に尋ねた。
「この街のどこかに衣服店はないのか?」
それに奴隷商人が衣服店のある方角へ指差した。
「あそこの曲がり角、そのすぐ先にありますよ」
「ありがとう。助かった」
そう礼をいったあとアベルは手綱を引く。