アベルと一行はベトリン街へと無事に到着していた。
湿地帯の街ということもあって、街の周辺にはあちこちに沼があり、ジメジメとした空気に包まれている。
どこもかしこも泥と肌に張り付くような湿気で、乾燥地帯で長年生活していたアベルにとってはかなり辛い環境だった。
ベトリンの街は魔物からの襲撃に備えてか、城壁はしっかりと作られており、堅牢さは十分に思えた。
だが、その堅牢さも見た目だけで、その石の城壁も年季が入っており、ところどころに修復された跡があった。
急ぎで修繕は必要ではないが、それでも隙間や段差、歪さが目立ち、人の手入れが行き届いていないのが一目でわかる。
とはいえ、僻地にある街ではあるがかなり大きい。
人口も三万人とかなり栄えている。
その理由として鉱山が多く、鉄鉱石や石炭の産出地であり、その商取引も活発で莫大な金が動く場所。
だが、それ以外の産業は乏しく、名産品などの名もない。
目を引くような物はほとんどない土地だが、人口が多い理由には別にある。
マグノリアがアベルの近くに寄ってきて、耳元で囁く。
「ベトリン街を治めるのはパルミロという指揮官です。爵位こそ持ってはいませんが、財力で指揮官にまで上りつめた人物です。かなり悪どいことでも平気でやる男だと聞いています。私の部下が調べた情報によると、奴隷売買によって、財力を増やしているとか」
アルデシール王国では、奴隷売買は公に禁止していないため、地域によっては奴隷市場が公然と開かれていたりする。
アルデシール人以外の人間が奴隷だったとしても、あまり嫌悪感をいただく者はおらず、むしろ、領地を荒らす蛮族などを奴隷にして、労働力として使っていることが多い。
「法律にも抵触しておりませんので、問題はありませんが、奴隷の数が多すぎる気がします。それにアルデシール人もちらほらと見かけます」
「それについて、国王陛下は認知しているのか?」
アベルが尋ねる。
「アルデシール人を奴隷にしてはならない、とは法律には書かれておりませんので、黙認しているのでしょう」
「王は、貴族やら有力者やらを敵には回したくないだろうからな。奴隷売買を黙認しているのも、それが理由だろうさ」
ヴィクトールがあくびを噛み締めながらそういう。
「どんな理由があるのかはしらねぇーが、あーはなりたくねぇもんだぜ」
そう言いながら顎で示す先には粗末な服装で、痩せこけた男女が両手足を鎖に繋がれた状態で、長い列をなしていた。
その鎖の先には、商人がいて、何やら交渉をしている様子だ。
アベルはその光景を見て、よく目を凝らす。
「奴隷の相場は大体、金貨十枚程度らしいですよ」
コニーがあくびを噛み殺しながらアベルに言う。
アベルも奴隷の相場に対して、驚くことはなかったが、その列に並んでいる奴隷の数の多さに驚いていた。
いつまでも驚いている場合ではないと思ったアベルは馬を進める。
そのまま奴隷の列を横切ろうとしたときだった。
突然、一人の奴隷の少女が石に躓き、盛大に転んでしまった。
アベルの馬がそれに驚き前足を上げて激しく暴れだす。そのまま、馬から振り落とされてしまった。
その姿を見た奴隷商がすぐにアベルのもとに駆けよってきた。
アベルは馬から振り落とされるときに受け身を取り、そのまま地面に転がり込んだので怪我はない。
しかし、その姿を見て、血相を変えた顔でマグノリアが馬から飛び降り、アベルの元へと駆け寄る。
「若様! ご無事ですか?!」
マグノリアはアベルに怪我がないか体を手で触りながら確認してきた。
「お怪我はありませんか? どこか痛みませんか? 」
いつも冷静沈着で、大きな声を出さないマグノリアが、アベルの体を触りながら大きな声で聞いてくる。
アベルはその様子に驚きながらも、なんとか声を振り絞り返事をする。
「あ、あぁ俺は大丈夫だ。怪我はしてない」
アベルは、大勢の奴隷や商人の前で馬に振り落とされてしまったことに少し恥ずかしさを感じながらもマグノリアに苦笑いしながら答えた。
奴隷商人が慌てて駆け寄ってきた。
アベル、それに鎧をまとった騎士や兵士を見て、只者ではない、とわかった瞬間、顔をこわばらせ、その場に平伏する。
その奴隷商人を見て、マグノリアはギロリと睨みつけると腰の剣柄に手をやった。
「貴様……ホースウッド家の御子息にこのような恥をかかせ、ただで許されると思うなよ」
彼女の凄まじい威圧に押され、奴隷商人はまともに声が出せない。
口をパクパクさせるだけで自分がどうなるのか、不安と恐怖で声が出せないのだ。
その様子を見ていた別の商人たちがひそひそと話す。
「ホースウッド家って……」
「あいつはもう終わりだな。伯爵家の御子息様に恥をかかしたんだ。その場で首をはねられても文句はいえねぇ……」
「不運なやつだな。奴隷のせいで死ぬとは」
哀れみの声や嘲笑する声が漏れる中で、剣が柄から抜かれる。
その剣刃が奴隷商人の首のところまで近付いた。
「死して、その命を持って償え」
奴隷商人の首に剣刃が当たる直前、アベルはマグノリアの腕を摑んだ。
マグノリアは、なぜ止めるのかという顔でアベルを見る。
アベルもなぜ止めたのか、わからなかった。ただ体が勝手に動いたのだった。