「お前にはベトリン街の調査を任せる」
マグノリアは立ち上がり、右手を胸に当てて小さく一礼する。
「承知いたしました。さっそく、調べてまいります」
マグノリアは会議室を出ようとするとノイスターが呼び止める。
「待て。マグノリア」
「は?」
彼女は振り返るとなぜ、呼び止められたのかという疑問した顔を向ける。
「アベルを一緒に連れていってくれ」
「ご子息様を、ですか?」
マグノリアの疑問にノイスターが答える。
「あぁそうだ」
「しかし、アルデシール王国の領地とはいえ、ここは僻地。道中で何が起きるかわかりません。そんな危険な場所にご子息様を向かわせるのは賛成いたしかねますが……」
マグノリアの意見にノイスターは答えた。
「護衛をつける。どれも腕利きの兵士だ」
ノイスターは、アベルに顔を向ける。
「お前も行きたいだろ? アベル」
「はい。父上。自分もこの領地の現状をこの目で見たいと思っておりました。マグノリアをはじめ、父上が選抜される兵士であれば、不安はありません」
アベルの答えにノイスターは満足気に頷いたあと、マグノリアへ視線を向けた。
彼女は仕方ない、というとうな顔をしたあと、気持ちを入れ替えるように再度、その場で、敬礼したあと「では、馬の準備をしてまいります」といって、会議室を出ていった。
アベルは、しばらくしてからマグノリアを追いかけるように会議室を出た。
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アベルは馬小屋へと足を運ぶ。
腰に下げた長剣のベルトにゆるみがないか、確認しながら。
馬小屋の前では、すでにマグノリアと兵士二人の姿があった。
一人は、熟練の戦士というような風貌で、右目に大きな切り傷があり、頭は坊主で、もう一人はまだ若い。
黒色短髪の二十歳そこそこといった優顔の若者だった。
二人とも立派な鋼鉄製の鎧のまとっていた。
一般の兵士というよりは、よく訓練された騎士のような雰囲気だった。
男たちに歩み寄って声をかける。
アベルの姿を見ると敬礼をした。
アベルは、右手を軽くあげて答礼する。アベルには二人とも見慣れた顔だった。
「ヴィクトールとコニーが一緒について来てくれるのか。これは心強い」
ヴィクトールとコニー。
どちらも、ホースウッド家の兵士で、熟練兵であるヴィクトールは何度もアベルと共に戦場で一緒に戦ったことがある。
コニーは最近、入隊したばかりの新兵にはなるが、腕はかなり立つ。
護衛としては申し分なかった。
ヴィクトールが腰に手を当てていう。
「若、新天地でいきなり調査をしにいけとはね。父上様も人使いが荒くなったもんですな」とぼやく。
アベルは苦笑した。
「父上は執務で忙しい。自分が現地へ赴くのが適役だと思っているさ」
今、自分が何をすべきなのかを理解しているアベルにとっては、今回の父の命令に対して、疑問はなかった。
ただ、少し休みたかった、という気持ちはあったが。
「魔物退治にいけ、ってわけでもないので、僕としては楽な仕事ですね。まぁ、道中で野党やら蛮族やらに襲われなかったらいいんですけど」
「おい、コニー。そんな不吉なことをいうな」
ヴィクトールのとがめる声にアベルはひと笑いした。
「相変わらずだな、二人とも」
「えぇ。いつも通りでさぁ。さっさと終わらせて酒場でビールでも飲みましょうぜ」
そういいながらお酒を飲む仕草をする。
本当に相変わらずだな、と思った。
「お酒はあんまり飲めないから自分は遠慮しておくよ」
そういうとアベルは用意してもらっていた馬へ向かう。
馬鞍がしっかりと取り付けられているかの確認をしたあと、ひらりとまたがった。
コニーが馬首を並べる。
「アベル様、街には本とか売ってますかね?」
「そりゃあ街なんだから本くらいは売ってるだろうさ」
コニーの質問に対してアベルは笑いながら答える。
「オットマルー卿の新作が出るんですよ。もう、楽しみで楽しみで」
オットマルーという男爵が書く探検記は今やアルデシール王国内では人気の読み物になっていた。
内容は伝説の魔物であるフェニックスを探そうというもので、実在しているかどうかも分からない伝説上の存在を探し続けるという男のロマンがつまった冒険物語だ。
アベルもその本を少し読んだことはあったが、人気が出るのも頷ける面白さだった。
ただ、アベルにとっては、実用性のない内容だったので、途中で読むのをやめ、戦術や戦略、また政治についての本を読むほうが有意義に思えた。
コニーはその本が大好きで、いつも読み返しては空想を膨らませていた。
「僕、いつか、旅に出ようと思うんです」
「なに、フェニックスでも探すつもりか?」
アベルが茶化すように言う。
「アベル様、信じてないんですか? いるかもしれないじゃないですか、不死鳥」
コニーがむきになったように顔を近づけてくるので、アベルは笑いながら、 体をのけぞらせた。
「無駄口を叩くなコニー。これより我々は、危険地域を進むんだぞ。気を引き締めろ」
怒気のこもった口調で、すでに準備を済ませていたマグノリアがコニーを叱る。
その鋭さにコニーは思わず背筋を伸ばしてしまう。
「も、申し訳ありません、マグノリア殿」
「若様も若様です。油断は死に直結します。もっと気を引き締めてください」
アベルもコニーと同じように姿勢を正した。アベルの横に少し笑みを含んだ顔で、ヴィクトールが耳打ちする。
「怒られちゃいましたね。若」
それにアベルは両肩を竦めて見せた。
それから手綱をしっかりと握りなおし、城門で待機している兵士へ 出発の合図を送った。
「アベル様が、出られるぞ! 門を開けろ!」
兵士が大きな声を上げると、ゆっくりと城門が開き始める。
アベルの掛け声を出し馬からを蹴って、門をくぐり抜ける。
それにマグノリア、ヴィクトール、コニーと続く。アベルたち一行はベトリン街へと向けて、出発した。
アベルたち一行が走り去っていくのをラメリア城の執務室にある窓からノイスターが静かに見ていた。
「あれだけでよかったのですか?」
側近の一人が背後からぼそりとつぶやく。
「というと?」
「護衛の数です。せめて、騎兵を三十ほどはお連れになったほうが……」
側近が進言する。
騎士が一人と兵士の二人ではアベルの身を守れないと側近は考えたのだ。
しかし、ノイスターは首を横に振るとこう答えた。
「この地域に潜む敵を知りたいのだよ」
側近には、その言葉の意味がわからなかった。