「え?」
ライザの問いに、俺は困惑した。
これが『俺何かやっちゃいました?』ってやつなのかもしれない。
ライザが椅子を引いて立ち上がる。
「前にも言ったがあたしは千年近く生きている。その間に何度も世界を回った。世界中の料理を食した。そのあたしが、知らない料理をお前は知っている。『チート』などと、あたしの知らない言葉も知っている。何故だ? お前はどこからきた。教えろ。このあたしでさえ知らない世界が、エバーグリーンのどこかに広がっているとでもいうのか!?」
近づいてきたライザが、俺の胸倉をつかんで引き寄せた。
額と額が当たりそうな距離で、ライザを見る。ライザの顔は真剣そのものだった。
千年。
それだけあればどれだけ科学技術が発達するだろう。そんな発想は、地球に住んでいるものだけの特権なのかもしれない。
確かにこの世界には魔術がある。魔術の可能性は無限大だ。間違っていない。しかしそういった長所を踏み潰してあまりある、でかすぎる欠点が一つある。
全員が使えない、という点だ。仮に貴族がこの力を独占していなくとも、魔術が引き出せる力は才能によって大きく変わる。全員が使えない力だから、爆発的な発展が起きない。
またこの世界は魔術と科学という二つの道がある故か、全員が使える科学の発展がいまいち遅い。
そんな世界でライザは千年生きている。
たった一人で……。
俺はライザを落ち着かせた後、全て話した。
俺がこの世界の人間ではないこと。
地球という世界にいて、死んだと思ったら、この世界に赤子として転生していたこと。
それを証明するように、チートスキルも付与されていたこと。
俺のチートスキル、アーストゥエバーグリーンで呼び出した地球の調味料も、ライザに見せた。
呼び出した調味料は全て日本製かつ市販のものだ。つまり全て日本語で内容説明がされている。それはライザにとって、まじりっけなしの異界の言葉で、俺の言葉が全て真実であることを示す証拠となる。
それを見せた時、ライザは初めて笑った。見目相応に。子供らしく。
その時俺は思った。
よかったと。
安堵の息さえついた。
俺はこの世界に、苦しむために来たのかと、ずっと思っていた。
だが大したことこそしてないけれど、千年生きた少女を笑顔にできた。
これは胸を張っていいことなんだって、そう思った。
ふと、俺の視線に気づいたのか、ライザがハッとした顔で居住まいを正した。
そして咳払い一つ。
表情こそ取りつくろっているけれど、顔はまだ赤かった。
「勝負は、あたしの負けだな」
「勝負……? あー……そうか」
正直忘れていた。
やり遂げた感がすごい。
もうゴールでよいのでは? そんな気持ちが心を占領している。
今更。
何を叶えてもらうというのだ。
だが――
待て。待つんだ、俺。
捨て鉢になるな。
まだだ。まだ勝負は終わってない。そうだろ?
そうだよな……?
「忘れていたか? それがブラフにせよ何にせよ、敗者のあたしに言えることは何もないな。あたしにできるのは、行動だけだ。言え。お前の願いは何だ? 叶えよう。文明の神オリフィアレインの
圧さえ感じるライザの問い。
分岐点にいるなと思った。
多分この答えの正解は『ディメンションクロスをくれ』『俺の護衛をしてくれ』『調味料を無限に複製できる道具を作ってくれ』の三択である。
これらを望む理由は簡単だ。恐らく俺は、今後料理人として生きるのが正解だと思うからだ。いわゆるスローライフルート。もはやここにしか活路は残っていない。
俺の料理の腕は決して高くはない。だが、この世界なら無双できることがわかった。俺にはこの世界にはない調味料とレシピがある。
しかしこの人生設計には大きな穴がある。まず力で調味料を奪われる可能性。もう一つはシンプルに、調味料が尽きた時である。
それを防ぐためにはディメンションクロスで隠すか、ライザに護衛してもらう。調味料容量問題に関しては、ライザ様のチート能力、
「俺は――」
強欲にいくなら死ぬまで護衛を願うべきだ。ライザがずっとついててくれるなら、オプションで他のアイテムもついてくる可能性は高い。
謙虚にいくならディメンションクロスかアイテム複製機の創造。
さすがにここが落とし所ではとも思ってる。願いを叶えるとは言っているが、別に制約があるわけでもない。ただの口約束で気分である。
下手に気分を損ねれば、何も得ずに終了なんてオチも十分に考えられる。
不幸が特性であるかのような、俺の人生なら尚更だ。
ならばやっぱり、ディメンションクロスが妥当か。少なくとも、調味料が生きている間は楽しめる。
異世界転生の、醍醐味ってやつを、やっと――
「俺が、ほしいものは――」
首尾よくいけば、俺はこの世界エバーグリーンで有名になれるかもしれない。
チヤホヤもされるだろう。俺にとって念願の彼女ってやつも、初めてできるかもしれない。俺は地球でもこの世界でも、彼女いない暦年齢だ。キャリアは五十年近くにもなる。
考えてみると、これが一番の望みかもしれない。
彼女がほしい。ではなく、俺は誰かに認められたいのだ。
だから、誰かに認められるために必要なものを、願う。
うん。間違いない。
これが正解だ。
「その――」
口を開く。
理が定めた願いだった。
こうすれば、幸せになれるだろうと、計算して弾き出したもの。
しかし俺はバカだった。
バカは死んでも治らない。
「強さが」
ポツリと、肩に冷たいものが当たる。
それはやがて本降りとなり、俺の身体から水を滴らせた。
「俺は、強さがほしい……っ」
気づくと口にしていた。
ライザがジッと俺を見つめている。
まるで心の中でも覗き込むように。
ライザの髪からも雨水が滴っていた。
「誰にも屈さない強さが。どんな状況でも脱せられる強さが。俺を苦しめる、数多のものを打ち砕ける強さが。それが俺はほしい!!」
憎しみからきている。
そうじゃないと言えば嘘になる。
だが俺は復讐したいわけじゃない。
もう嫌なんだ。
理不尽な目に合うのが。
俺はただただ、自然に、人間らしく生きたいだけなのに。
どうして俺の邪魔をするのか。
だから願った。
ライザに。
楽に、お手軽に、サラッと強くなれる道具を出してくれるように――
「だから――俺を鍛えてくれ! 誰よりも強くなれるように!」
あれ?
何故だろう?
ライザに頼めば、もっと楽に強くなれそうなものなのに。
俺はどうしてこんな面倒なことを――
《部活? 行くわけねーよ。俺今日彼女とデートだし。それに――おい、あいつまーた竹刀振ってるよ》
『百回、百一回、百二回、百三回……』
《何やってもどうせ、あいつには勝てるしな――》
「周りの奴と同じ道を歩いた上で、俺は強くなりたい。全てを越えたい!!」
『努力だ! 努力は決して裏切らない! 成功者はみんな努力してるんだ! 努力は――』
《では団体戦のメンバーをこれから発表するぞ》
何故だ?
どうして。
神様。
いるならば教えてくれ。
俺はどうやったら――
勝ち組になれるんだ……?
神様。
俺は本当に――人間なのか……?
「俺はどんな苦しみにだって耐えてみせる。何だってやる。だから俺は――そう。勝てる人間に……なってみたい。努力した上て勝ってみたい。それが――俺の、願いだ」
自分でさえ考えていなかった恥部を、全て晒した。
見てられなくて、地面を見ていた。
降り注ぐ雨が、地面に水たまりを作っていた。
「ふっ」
ライザの笑い声が聞こえた。