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第5話  権限

 朝。

 目を開く。

 少女は消えていた。

 先日、僧侶の男にメイスでぶち抜かれたコメカミを押さえる。

 しかし傷は綺麗サッパリ消えていた。



 再生リザレクションか……。



 この世界には、ゲームによくある回復呪文が存在する。それが再生リザレクションで、あらゆる傷を完治できる。

 ただし、目、耳、鼻、舌の四感の修復は困難を極めることと、脳と自分自身にはかけられないという欠点を持つ。

 多分あの子がかけてくれたのだろう。荷物も近くにまとめられている。



 寝ぼけ眼で辺りを見渡し、ゆっくりと足を動かした。

 川のせせらぎの音が近くなっていく。目の前の枝葉をずらすと、少女が突き刺した棒に番傘をくくりつけ、それを日よけにして釣りをしていた。

 隣に腰掛ける。



「釣れますか?」


「まあまあかな」



 後ろを見ると、水の入った木樽に魚が何匹か泳いでいるのが見えた。



「あのコメカミの傷なんですけど……」


「ああそれなら、あたしが治しといたよ」



 やっぱりこの子か……。



「ありがとうございます」


「別に構わんよ」


「あの時も、助けていただいて」


「まあ、寝覚めが悪いのは嫌だったんでね」



 クイクイと糸が引いているのが見えた。少女が釣り竿を引く。

 糸の先に、青々とした魚がかかっていた。

 見ると、少女の近くにタルが置かれていて、何匹かの魚が泳いでいた。



「このタルとか、その釣り用具もそうだけど、作ったの?」



 素朴な疑問だった。

 思い返すに、少女の手持ちは番傘のみだったからだ。



「いいや」


「あーってことはスキルか。『運搬奴隷アイテムボックス』持ちなの?」



 それならありうる。

 そう思って俺は口にした。



「いや」


「じゃあえっと、術? ダンジョンで手に入る古代魔術か何か?」


「それが一番近いかもしれないな。だがそうじゃない。こいつだよ」



 少女が腰につけた布袋を引き抜き、俺に突きつけた。それは掌に乗る程度の小さな布袋だった。

 少女の目は今も川面に向いている。



「こいつはディメンションクロスといってな。物を無限に収納できる」


「ええ!? めっちゃくちゃ便利じゃん!! スキル『運搬奴隷アイテムボックス』でも自重の三倍までしか運べないのに無限!? やばくね? ダンジョンで手に入れたの? 古代魔術と近いってそういうこと?」


「いいや」


「え?」


「手に入れたんじゃない。作ったのさ」


「え、えーと、え?」



 作ったってのは、釣り用具やタルじゃなくて、この運搬奴隷アイテムボックス以上の効果を持つ布を作ったってことか? 

 それはいくらなんでも……。



「スキル……ってこと?」



 チートすぎる。

 思いながら口にした。

 スキルは何でもありというわけじゃない。十五年の人生の間に、何を欲しどんな気持ちで行動をしたか。それによってスキルは決まる。

 無限に物をしまえる布を作れるスキル? どんな人生を歩んだらそんなことになる?

 あるいは次元を操るスキルか。ないしは古代魔術を応用したのか。

 いや、いずれにしてもやはりチートすぎると思えた。



『代理人さ。神の』



 少女の放った言葉がまたフラッシュバックする。

 代理人。神の?



「どんな道具でも生み出し創造することができる。『文明創造アイテムマスター』。これがあたしの権限オーソリティーだ」



 ゾクリと、背筋に冷たいものが走るのを感じた。



「オーソリティー?」


「権限さ」



 また釣り竿の先がクイクイと揺れている。

 少女が釣り竿を引くと、青く光った魚が引っかかった。

 釣った魚を樽に入れて、少女が立ち上がる。



「こんなものでいいだろう。飯の時間だ」



 魚に串を刺し、焚き火で炙る。

 煙が上がり、食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。

 しかし少女は無表情に書物を読んでいた。



「あのさ」



 返答はない。

 パラパラと少女は書物をめくっている。



「神の代理人ってどういうこと?」


「そのままの意味さ」


「えーとじゃあ、半ば神様ってこと?」


「そうだな。半ば神だ。厳密には違うがな」


「あの霊獣を倒した時、たかが百年の生でって言ってたけど、君は今、何歳なの?」


「忘れた」


「え?」


「永く生きすぎたよ、もう。百歳をこえているのは確かだ。年を数えるのも面倒になって、看取った数から概算することにした。それなら忘れることもない。何より忘れたくない。最後に看取った者で七人。最近は誰とも深く関わっていないが、まあ七、八百年ぐらいは生きているんじゃないかな。ざっくり言えば千年か。無論数十年、何なら三桁単位の誤差はあるだろうけどな」


「そ、そんなにも……」



 パチパチ。

 無言になると、焚き火の爆ぜる音が夜闇に響く。



「神の代理人って何をするの?」


「特に何も」


「え」


「神は何もしない。神は精神生命体アストラルたいで、人の不幸を糧に生きている。天災を起こせば神は満たされるが、人の数は減ってしまう。幸福にすれば糧が減るが、人の数は増えていく。つまり何もしないが正解、ということになる」


「じゃあ君は、えっと……」



 言いかけて口をつぐんだ。

 空気を読む、というやつだった。

 だが相手にそれを悟らせないだけの演技力はなかった。



「その通り。あたしに存在意味なんてないよ。あたしの形は子供だろう。あたしは子供の時に神の代理人シャドウに選ばれた。子供の時は何故他を差し置いて自分がと思ったものだ。この中で一番自分が優秀だったから選ばれたのだと、内心ほくそ笑んでな。だが今ならはっきりとわかる。誰でもよかった。だから選ばれたんだ」



 火が爆ぜる音が聞こえる。

 多分俺は、この子の言ってることの一割も理解していない気がする。

 しかし、彼女の言葉の節々から感じる悲壮感が、俺から言葉を奪った。



「でもさ」



 そんな中、つい言葉が漏れた。



「強くなるっていうのは、いいことなんじゃないの?」



 多分――思わず口に出た、本音だった。



「不死だったら嫌だけど、不老はありかなって俺は思っちゃうな。だって実質チートじゃん、それ」


「チート?」


「いつまででも探求できる。そして最後には必ず自分が勝つ。だって老いないんだから。勝つのは要領の良い人間ではなくて、そう、狂っているほど、努力ができる人間だ。不老だったら、俺の努力は必ず実るはず。それが例え、俺みたいな無能であっても」


「……」



 うつむきながら、拳を強く握る。

 マジマジと炎を見つめた。



「永遠に孤独でもいい。虚無だっていい。それでも俺は、不老だったら喜んでなるよ。リスクが莫大なことぐらいわかってる。軽々しく口にしていいことじゃないこともわかってる。きっとそれは、味わえば言葉にならないほどの地獄なのだろう。でも多分俺は、それぐらいのリスクを踏まないと勝てないんだろうなって、そう思うよ」



 何せ、人生を二回繰り返して、それでも勝てないんだ。よっぽどだろ?

 ――もちろんそれは、言わなかった。

 三角座りした膝の中に顔を埋める。

 パチパチと焚き火が音を立てていた。



「そうか」



 少女が短く言った。

 俺は顔を上げた。

 少女は指を二本立てていた。



「だが残念なお知らせが二つある。一つ。神の代理人シャドウには女しかなれない。代理人シャドウになるとまず性欲を奪われるが、男の代理人シャドウは性欲を奪われるとすぐに壊れてしまうらしいからな。子供のあたしが代理人シャドウに選ばれたのには、そういった理由もある」


「……もう一つは?」


「魚が焦げた」



 ◇◇◇◇◇◇



「……五十一、五十ニ、五十三、五十四」



 鬱蒼とした森の中、俺は腹筋していた。

 少女と出会って三日。

 身体の方はもう万全である。進む先に希望の欠片もないことは変わらないが。



「二百二、二百……三、にひゃ……四。二百――」 


「元気そうだな」



 釣りから戻ってきた少女が言った。

 樽の中にはまた名も知らない魚が泳いでいるのだろう。

 名も知らないといえば、少女の名前もまだ知らない。

 例えば優しくしてくれた店員に『記念に名前聞いてもいいですか?』とは言えないだろう。

 俺と彼女の関係なんてものは、所詮そんなものなのだった。



「飯にするか。そして次の朝には解散だな」



 少女が樽を地面に置いた。

 パシャンと中の水が跳ねる。

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