朝。
目を開く。
少女は消えていた。
先日、僧侶の男にメイスでぶち抜かれたコメカミを押さえる。
しかし傷は綺麗サッパリ消えていた。
この世界には、ゲームによくある回復呪文が存在する。それが
ただし、目、耳、鼻、舌の四感の修復は困難を極めることと、脳と自分自身にはかけられないという欠点を持つ。
多分あの子がかけてくれたのだろう。荷物も近くにまとめられている。
寝ぼけ眼で辺りを見渡し、ゆっくりと足を動かした。
川のせせらぎの音が近くなっていく。目の前の枝葉をずらすと、少女が突き刺した棒に番傘をくくりつけ、それを日よけにして釣りをしていた。
隣に腰掛ける。
「釣れますか?」
「まあまあかな」
後ろを見ると、水の入った木樽に魚が何匹か泳いでいるのが見えた。
「あのコメカミの傷なんですけど……」
「ああそれなら、あたしが治しといたよ」
やっぱりこの子か……。
「ありがとうございます」
「別に構わんよ」
「あの時も、助けていただいて」
「まあ、寝覚めが悪いのは嫌だったんでね」
クイクイと糸が引いているのが見えた。少女が釣り竿を引く。
糸の先に、青々とした魚がかかっていた。
見ると、少女の近くに
「この
素朴な疑問だった。
思い返すに、少女の手持ちは番傘のみだったからだ。
「いいや」
「あーってことはスキルか。『
それならありうる。
そう思って俺は口にした。
「いや」
「じゃあえっと、術? ダンジョンで手に入る古代魔術か何か?」
「それが一番近いかもしれないな。だがそうじゃない。こいつだよ」
少女が腰につけた布袋を引き抜き、俺に突きつけた。それは掌に乗る程度の小さな布袋だった。
少女の目は今も川面に向いている。
「こいつはディメンションクロスといってな。物を無限に収納できる」
「ええ!? めっちゃくちゃ便利じゃん!! スキル『
「いいや」
「え?」
「手に入れたんじゃない。作ったのさ」
「え、えーと、え?」
作ったってのは、釣り用具や
それはいくらなんでも……。
「スキル……ってこと?」
チートすぎる。
思いながら口にした。
スキルは何でもありというわけじゃない。十五年の人生の間に、何を欲しどんな気持ちで行動をしたか。それによってスキルは決まる。
無限に物をしまえる布を作れるスキル? どんな人生を歩んだらそんなことになる?
あるいは次元を操るスキルか。ないしは古代魔術を応用したのか。
いや、いずれにしてもやはりチートすぎると思えた。
『代理人さ。神の』
少女の放った言葉がまたフラッシュバックする。
代理人。神の?
「どんな道具でも生み出し創造することができる。『
ゾクリと、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「オーソリティー?」
「権限さ」
また釣り竿の先がクイクイと揺れている。
少女が釣り竿を引くと、青く光った魚が引っかかった。
釣った魚を樽に入れて、少女が立ち上がる。
「こんなものでいいだろう。飯の時間だ」
魚に串を刺し、焚き火で炙る。
煙が上がり、食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。
しかし少女は無表情に書物を読んでいた。
「あのさ」
返答はない。
パラパラと少女は書物をめくっている。
「神の代理人ってどういうこと?」
「そのままの意味さ」
「えーとじゃあ、半ば神様ってこと?」
「そうだな。半ば神だ。厳密には違うがな」
「あの霊獣を倒した時、たかが百年の生でって言ってたけど、君は今、何歳なの?」
「忘れた」
「え?」
「永く生きすぎたよ、もう。百歳をこえているのは確かだ。年を数えるのも面倒になって、看取った数から概算することにした。それなら忘れることもない。何より忘れたくない。最後に看取った者で七人。最近は誰とも深く関わっていないが、まあ七、八百年ぐらいは生きているんじゃないかな。ざっくり言えば千年か。無論数十年、何なら三桁単位の誤差はあるだろうけどな」
「そ、そんなにも……」
パチパチ。
無言になると、焚き火の爆ぜる音が夜闇に響く。
「神の代理人って何をするの?」
「特に何も」
「え」
「神は何もしない。神は
「じゃあ君は、えっと……」
言いかけて口をつぐんだ。
空気を読む、というやつだった。
だが相手にそれを悟らせないだけの演技力はなかった。
「その通り。あたしに存在意味なんてないよ。あたしの形は子供だろう。あたしは子供の時に神の
火が爆ぜる音が聞こえる。
多分俺は、この子の言ってることの一割も理解していない気がする。
しかし、彼女の言葉の節々から感じる悲壮感が、俺から言葉を奪った。
「でもさ」
そんな中、つい言葉が漏れた。
「強くなるっていうのは、いいことなんじゃないの?」
多分――思わず口に出た、本音だった。
「不死だったら嫌だけど、不老はありかなって俺は思っちゃうな。だって実質チートじゃん、それ」
「チート?」
「いつまででも探求できる。そして最後には必ず自分が勝つ。だって老いないんだから。勝つのは要領の良い人間ではなくて、そう、狂っているほど、努力ができる人間だ。不老だったら、俺の努力は必ず実るはず。それが例え、俺みたいな無能であっても」
「……」
うつむきながら、拳を強く握る。
マジマジと炎を見つめた。
「永遠に孤独でもいい。虚無だっていい。それでも俺は、不老だったら喜んでなるよ。リスクが莫大なことぐらいわかってる。軽々しく口にしていいことじゃないこともわかってる。きっとそれは、味わえば言葉にならないほどの地獄なのだろう。でも多分俺は、それぐらいのリスクを踏まないと勝てないんだろうなって、そう思うよ」
何せ、人生を二回繰り返して、それでも勝てないんだ。よっぽどだろ?
――もちろんそれは、言わなかった。
三角座りした膝の中に顔を埋める。
パチパチと焚き火が音を立てていた。
「そうか」
少女が短く言った。
俺は顔を上げた。
少女は指を二本立てていた。
「だが残念なお知らせが二つある。一つ。神の
「……もう一つは?」
「魚が焦げた」
◇◇◇◇◇◇
「……五十一、五十ニ、五十三、五十四」
鬱蒼とした森の中、俺は腹筋していた。
少女と出会って三日。
身体の方はもう万全である。進む先に希望の欠片もないことは変わらないが。
「二百二、二百……三、にひゃ……四。二百――」
「元気そうだな」
釣りから戻ってきた少女が言った。
樽の中にはまた名も知らない魚が泳いでいるのだろう。
名も知らないといえば、少女の名前もまだ知らない。
例えば優しくしてくれた店員に『記念に名前聞いてもいいですか?』とは言えないだろう。
俺と彼女の関係なんてものは、所詮そんなものなのだった。
「飯にするか。そして次の朝には解散だな」
少女が樽を地面に置いた。
パシャンと中の水が跳ねる。