「あ、ゴメンゴメン。モンスターがいるかと思ったら、全然違ったみたい。たはは」
シャルルーが頭に手を当てて、ぎこちなく笑う。
襲撃を教えてくれたのはありがたいが、その言い訳は無理がある。
「なるほど。冒険者かと思ったが……ケチな盗賊だったってわけか。やられたよ」
「盗賊だと? 俺たちが? ふざけたことを抜かすなよ、世間知らずのクソ貴族が!!」
男が剣を振り上げる。
前にも言ったが、今の俺の身体能力は高いぜ。魔力が使えなくなり、アインやキルバルトに毎日比喩抜きで気を失うほどしごかれた。それでも俺は転生者。
二回目の人生こそは勝ってやると、死ぬほど努力してきた成果は伊達ではない。
俺はエイフィスが振り下ろした剣に持っていた荷物をぶつけ、続いて繰り出される突きも、バク宙して回避した。
「なにぃ!」
エイフィスが声を上げる。
俺は体内の氣を爆発させ、強烈な踏み込みからの掌底をエイフィスに叩き込む。
だが。
バーン!!
鉄を叩いた音がした。目の前には、重戦士の男が大盾を持って立っている。
舌打ちする。
半歩下がった。
だが。
「大地よ我が願いを聞けそして応えよ。我が命、大地に宿りてその姿を具現せよ。
大地から生えた土の腕が、俺の足首をつかんだ。思わず足に目をやる。
同時に、僧侶の男のメイスが俺のコメカミを殴打した。
コメカミがパックリ割れて、血が噴き出す。俺は殴られた勢いのまま、身を大地の上に投げ出した。
俺は地面に生えた雑草をつかみながら、どうにかこの場からの退避を試みる。
まだだ……。
まだ終わっちゃいない。
まだ何も成していないんだ。
せっかくの二回目の人生。
こんなところで終わってたまるか……っ。
「ちょっとちょっとちょっとー。もうやめようよ、こんなことー」
「残念だがここまでやってしまった以上はやめられん。それに町長との約束もある。こいつの命を、この森に住み着いた霊獣に捧げることで、この森の平穏を保つんだ。神は必ず対価で返す。それが圧倒的な力に対しての制約。貴族が何もしてくれないのなら、俺たちは俺たちなりの方法で自衛するのみだ」
「でもさー」
俺は更なる退避を試みる。雑草をつかんで、更に前へ。
「いやオグマの言う通りだぜ、シャルルー。スライも今のでまた寿命を使っちまった。取れる時にきっちり取っておいた方がいい。それに、腐れ貴族なんてどうなろうと構わないだろ。こいつらに一体どれだけ毟り取られたか。いつも思うぜ。魔物に負けて殺されるぐらいなら、貴族の一人でもいいからぶっ殺してくれればいいのにってな。魔物よかよっぽど魔物してるよ、こいつら貴族は」
「でも貴族を殺したなんてことがわかったら、あたし達どんな目にあうか。貴族への傷害行為は重罪。エッジのお父さんもお母さんも妹さんも、みんな同罪になっちゃうんだよ?」
「それなら尚の事、殺した方がいいな。証拠隠滅ってやつだ。スライの
なるほどな……。
どうやって俺が貴族であることを看破したのかと思っていたが、そういうことか。しかしそれは的外れな考えである。
これはアイリスが俺にくれた――
『逃げてください、クロード様。少しですが、金貨が入っています。しばらくは食べていけるはずです』
『金貨二十枚を護衛もつけずに持ち歩いているってことは、家の金を持ち出して逃げ出してるとしか思えない』
待てよ?
何故だ?
何故アイリスは――
金貨二十枚もの大金を。
外でも、護衛も付けずに持ち歩いているのはおかしいほどの大金を。
家の中で携帯していたんだ……?
「ふ。ふふふ……」
思わず笑ってしまった。
アイリスの目的は、起きたことから逆算すればハッキリする。
追放だ。
それしか考えられない。
俺に追手がかかっていないのは、本来無実である俺からの証言で、窮地に立たされる可能性が少なからずあるからだろう。
つまり――
アイリスとアインは、高確率で、グル。
「ふふふ。ふふふふふふ」
俺は地面の雑草を強くつかみながら、笑っていた。
あいつら……どいつもこいつも――
あ。
「とうとう狂ったか? まあいい。俺が一撃であの世に送ってやるよ」
言ってエッジが近づいてくる。
俺は頭を庇うようにして、地面に伏した。
エッジが怖かったわけではない。
恐れていたものは、もっと別。
「手で頭なんて庇っても無意味なんだよ間抜け。何なら両手足からへし折ってやろうか? 言っとくが、俺は一切容赦はしないぞ……え?」
エッジも分かっただろう。
俺が逃げ込もうとしていた、鬱蒼とした森の先。
白く巨大な魔物が、四足で立っていた。
「あれ? え? は?」
ガブリ。
そんな可愛らしい音ではなかったかもしれない。しれないが、エッジの上半身が食われて消えた。
俺はそれを顔を上げて見ていた。
「きゃああああああああああ!」
シャルルーの叫び声が響く。
「逃げろ、シャルルー!」
重戦士の男、オグマがシャルルーの手を引くも、その頭が即座に吹っ飛ぶ。尾による一撃だった。オグマは糸の切れた人形のようにパタンと倒れた。
その場にシャルルーが尻もちをつく。エイフィスがシャルルーを抱き抱えて逃げていく。
霊獣とエイフィス、シャルルーの間に割り込むようにして、老魔術師スライが立ち塞がった。
胸ポケットから瓶を取り出し、それを掌の上に落とし、十粒近く一気飲みにする。
「炎よ、我が声を聞け、そして応えよ。無尽の弾となりて敵を撃ち滅ぼせ。
白い霊獣めがけて、何発も火球をぶち込む。霊獣はそれを一切意に介することなく、ゆっくりスライに近づき、首の一振りで、スライの身体を宙高くまで吹っ飛ばした。
全身の骨をへし折られながら、スライが空でダンスを踊る。
そしてその身体が霊獣に丸呑みにされた。
その後、霊獣はオグマの死体も鎧ごと
その目には、明らかな敵意が込められていた。
ゆっくりと霊獣が近づいてくる。
何か手はないかと考える。が、何もない。俺はテイマーじゃないし、テイマー如きにこれをどうにかできるとも思えない。
チートもない。莫大な魔力はある時使えなくなった。一応一つだけチートと呼べる特殊能力、アーストゥエバーグリーンはあるが、それでこの状況を打開する方法が思いつかない。
何より氣も絞り尽くしてしまって、ロクに身体も動かない。声も出ない。考えうる最後の希望は、こいつが『ワンちゃん』俺の味方である、という可能性。
それに賭ける他ない。
霊獣が、俺の前で大口を開いた。俺の上半身が獣の口腔に飲まれる。
後は、上顎と下顎を合わせるだけで、俺の上半身は噛み砕かれる。
そして俺の一生は終わる。
「へ……へへへ」
そんな中、俺は笑っていた。
転生前からの、俺の悪癖だった。
しかしまさか、自分の死を前にしてもこれが出るとは。
昔から思っていたが、俺はどこかサイコパスに近いのかもしれない。
ボタリボタリと、重さすら感じるヨダレが頭上に落ちる。
――終わる。
そう感じた、その時だった。
「動くな」
女の声だった。
振り返ると、そこには紅の番傘を差した少女が一人。傘には鈴がぶら下げられており、涼やかな音色を響かせていた。
「グルル……」
獣が唸り声を上げて振り返る。
「ほう」
少女が番傘を持ち上げた。
鈴がいっそう軽やかな音を立てる。
少女は片手で刀印を結びながら、口を開いた。
「百年生きた魔物は霊獣になると聞いたことがあるが、なるほど、伊達に神の名を冠していないな。あたしの呪言を跳ね返すとは、少しはやるじゃないか」
「グルル……」
「しかしそれでも所詮は紛い物。お前とあたしでは神となった経緯が違う。勝てはせぬ。ここで遁走以外の選択を選ぶようなら、お前の百年の生も終わりだ。よく考えろ。決断のしどころだぞ」
間断なく続く、荒々しい唸り声。
それとは対照的に、涼やかな鈴の音が両者の間で響いた。
「
諭すように少女は言った。
だが霊獣としてのプライドが許さなかったのか、獣が少女に飛びかかった。
巨体で覆いかぶさるようにして、少女に肉薄する。
「バカが。たかが百年の生で、このあたしに勝てると思うのかっ」
少女が番傘をひるがえす。
鈴の音が荒々しく響いた。
少女の手がゆっくりと、獣に触れる。
そして。
「
力ある言葉を号砲に、霊獣の身体が大きく膨らみそして、爆発四散した。
雨が降る。鮮血ではなく、漆黒の。それは身体を濡らすことなく、触れると煙になって消えていく。
少女は黒い雨を番傘で受け止めながら、静かにそこへとだずんでいた。
――チリン。
鈴の音が響く。少女が振り返り、番傘が揺れたのた。淡い紫の瞳が、俺を捉えた。
まるで人形みたいだと思った。
可愛いから。無論それもある。だがそれ以上に、生気が感じられない。
そう思った。
「運が良かったよ、お前」
吹き飛び、煙を吐き出す肉塊を足蹴にしながら、少女が皮肉げに笑う。
「こいつらの悲鳴がなければ、あたしは今ここにはいない。霊獣は百年生きて神性を得た魔物のことで、一応は神だ。だから、心に悪を抱えてる奴から食っていったのだろう。お前にとってラッキーだったのは、周りにお前以上のクズがいた、ということさ」
そして、何事もなかったかのように、
俺は慌てて口を開いた。
「待て! 待ってくれ!!」
立ち上がる。
側頭部がズキズキと痛む。
目が今にも閉じそうだ。目蓋がピクピクと痙攣している。
俺の
やはりその顔に感情は感じられない。
「あ、あんた……何者だ?」
聞いても仕方ない気がした。
しかしそれでも聞かずにはおれなかった。
この繋がりは切ってはならない。
そう本能が言っている。
少女は面倒臭そうに上向き、耳をかく。
どうやらこういう感情はあるらしい。
「代理人さ」
「だ、誰のだ……?」
あるいはローディス家の、つまり家の使者なのかと思って少し怯えた。
俺を放っていこうとした時点でほぼありえない可能性だが、代理人と言われたら、パッと思いつく可能性はそれしかない。
しかし少女の答えは、俺の思考を遥かに突き抜けた先にあった。
「神の」
「……え?」
風が吹く。
すると軽やかな鈴の音がまた響いた。