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第2話  逃亡者

「ひぃぃぃ!!」



 俺は声をあげて尻もちをついた。

 同時に、外で雷鳴が轟いた。




「し……死んでるっ!」



 わかりきったことをつい口にする。

 周囲に目を向けた。

 ほぼ暗闇ではあるから断定こそできないが、争った形跡は一切感じられない。

 ベレトらしい、理路整然とした部屋が広がっている。

 まず物取りではないだろう。それにここは館の三階である。

 悲鳴らしい悲鳴も一切聞いていない。聞こえなかった可能性もあるし、術で音を封殺した可能性もある。が、その場合ベレトの前で術を展開しなければならない。以下のことを踏まえると犯人は――



 高確率で犯人は身内。

 魔学者でありながら、剣の達人でもあったベレトを、ここまで痕跡を残すことなく殺せるのは、身内以外まず考えられない。



 俺は壁伝いに立ち上がり、今一度ベレトの死体を見た。

 この暗闇だ。

 もしかしたら別人かもしれな――



「え?」



 稲光。

 また轟いた。

 光に照らされ見えたのは、目を見開き事切れたベレトと、その腹に突き立った剣。

 だが、俺の口から漏れた言葉は、その死体に向けたものではない。

 突き立ったその剣。

 剣の腹には、文字が彫られていた。



『クロード=ローディスに創世十二神の祝福を』



 つまりこれは――俺の剣だ。



 何故!?

 どうして!?



「クロード様。一体何を……」



 振り返る。

 そこに立っていたのは魔術指南役の猫型獣人、アイリスだった。

 最悪のタイミングと言わざるおえない。俺と同じく、会合に向かう前に、ベレト兄に挨拶をしにきたのだろうが。

 繰り言になるが、剣の達人でもあるベレトを物音一つなく、かつ場を一切荒らすことなく殺せるのはまず身内の犯行としか思えない。

 そしてベレトの腹には俺の剣。どう控えめに見ても、第一容疑者は俺で確定である。そしてこのまま極刑にまで進んでしまうのがこの世界の司法だ。

 何せこの世界には、魔術と能力スキルがある。魔術と能力スキルによる上限が完全に把握されていないため、この世界の法は基本『多分』で執行される。

 最悪なシステムだなと昔から思っていたが、貴族に転生した自分の身に降りかかるとは、正直思っていなかった。



「ち、違うぞアイリス!! これは俺じゃない!! 信じてくれ!!」



 アイリスが喉元をわずかに動かす。唾を飲み込んだからだろう。そして駆け寄ってきて、俺に革袋を渡した。



「逃げてください、クロード様。少しですが、金貨が入っています。これだけあれば、しばらくは食べていけるはずです」


「た、食べていけるって……」



 何故俺が逃げなければならない? 

 俺は犯人じゃない。誰かがベレトを殺した。絶対内部犯だ。そしてわざわざ俺の剣を使っているということは、俺に罪を着せたい誰かが身内にいる。一体誰が――



「お前ら明かりもつけずに何をしてるんだ?」



 手に持ったランタンを前に出し言ったのは、アインだった。

 今度は月明かりではなく、ランタンの明かりで俺と、ベレトの死体が照らされる。



 それを見たアインは、あごを持ち上げ、ニヤリと笑った。



 いや違う。俺は見た。確かに見たぞ。



 こいつは、明かりを向けるその前に――笑っていたのだ。



「お前かああああああああああ!!」



 俺はベレトの腹に突き立っていた剣を引き抜き、一直線にアインに向かった。アインもまた、家の中だというのにいていた剣を抜いた。



 キィン!!



 俺は咄嗟に剣を引いた。間に割って入ってきたアイリスが、両掌に刻まれた魔法陣を合わせて杖を顕現し、アインの剣を受け止めたからだ。



「アイリス!!」



 アイリスの背に向けて俺は言った。



「逃げてください、クロード様!! ここはあたしが抑えますから、早く!!」


「だけどそれじゃ、アイリスが! アイリスが……」


「そうだぞクロ。男ならここは身を差し出せよ。そうすれば少なくともアイリスだけは助かる」


「クロード様。あたしのことは気になさらないで下さい。まずはご自身のことを一番に考えて。クロード様はいつも誰かのことばかり考えすぎなのです。そこが素敵なところではありますが、そろそろ、自分のためだけに生きても良い頃です。さあ早く。行って下さい」



 迷った。

 迷った。迷った。迷った。



 いや――違う。



 ただの言い訳だ。

 結局俺は最初から――逃げようとしていたに、違いない。



 気がつくと、俺は部屋の窓から逃げ出していた。

 ここは先にも言ったが三階だ。そして俺は魔術が使えない。

 だが。



 俺は五点着地法を使い、地面を転がりながら着地した。

 自分で言うのも何だが、俺の身体能力は現世とは比較にならないほど高い。

 仮にも転生者であり、この世界には四感(目、鼻、口、耳)と脳以外を完全に修復する再生リザレクションがあるからだ。

 これも、身体の骨を何度もへし折り、それを再生リザレクションで姉に修復してもらうを何度も繰り返してできるようになったことだ。

 それぐらいしないと、貴族が剣と魔術を学ぶために通う、ウェンズリー士官学校にいられないと思ったからだ。



 そう努力してきた。

 何度も何度も、努力してきた。

 誰よりも誰よりも、努力してきた。

 異世界転生特典の莫大な魔力量がなくなってしまっては、残っているのは、地球にいた時と同じ、愚直な無能が残っているばかりだった。

 それでも努力している事実は変わらない。

 現世にいた頃も足せば、合計五十年は努力しているはずなのに、どうして俺はいつも、こんな目に合うんだ……っ。



 雨に打たれながら俺は駆け出した。目的地はわからない。

 手にはベレトを殺した俺の剣と、アイリスがくれた金貨のみ。

 背中から声が響いた。

 アインのものだった。



「逃げろ逃げろ! どこどこまでも逃げて、そして、二度と帰ってくるんじゃないぞ! あっはっは!!」



 立ってられないぐらい逃げ出して、また走った。

 ここまできたら、後はもう捕まらないように動くしかない。

 やがて立っていられなくなり、俺はその場に座り込んだ。

 今いる場所は、暗闇であることもありよく分からないが、どうやら山の中のようだ。

 雨は今も降りしきっている。



 どうする。

 ――どうする。

 今から戻るか。いや本当に戻って助かるのか。助からない可能性の方がきっと高い。

 アイリスも俺を犯人と思っているし、頼みの綱のベレト兄さんが殺されている。

 どうすれば――



「やめてください!!」



 女の声が聞こえた。

 見ると、山道の方で盗賊に襲われているようだ。俺がいる場所は、山道の脇の鬱蒼とした林の中だ。



「げへへへ。こんな雨の中、薬草摘みですかー? 雨で帰れなくなっちゃったんでちゅねー? 可哀想にー。代わりに僕らと一緒に楽しい場所に行こうねー」


「いや!! 誰か―!! 誰か―!」


「無理無理。こんな雨で助けなんてくるわけ――」


「やめろ!」



 雨の中、俺がゆっくりと顔を出す。

 野盗――というかごろつき数十名はそれを見て、口笛を鳴らした。



「わーお。本当に来ちゃったよ。で? どうすんの? 君一人でさあ。この中に両刀いるなら、こいつのケツもやっていい――」



 チャリン。



 俺は持っていた金貨の袋を野盗に向けて放った。アイリスからもらった金貨だった。



「やるよ。もってけ」


「くく。くくく。ああ持っていくよ。でも君らの貞操も、いただいちゃいますけどねー!」


「やめた方がいい」


「あ?」


「俺はクロード=ローディス。ローディス男爵の三男だ。貴族に手を出した人間がどんな末路をたどるかは知ってるよな?」


「……かしら。ローディスっていや、ベスパの海賊王をたった一人で討伐したっていう、ベルンツィア最強の剣士、ディスケンス=ローディスが当主をしているところです。本来バーバラ家の本流であるゼクス=バーバラや、あの西の獅子、現バーバラ侯でさえその強さから娘を差し出したって話で。仮にハッタリだとしても、退かないのは危険かと……」


「……なるほど。いいだろう。取引成立だ。野郎ども、引け引け!! 女にも手を出すなよ、契約だ」



 金を手に取り、周囲のごろつきが引き上げていく。

 リーダー格らしきハゲの男が、引く前に振り返った。



「ありがとう、クロード=ローディス君。この金で――もっともっとたくさんの女を、傷つけることにするよ」



 ズキリと俺の心を刺してから、ハゲの男が夜闇に消えた。

 振り返る。

 山の下の方でいくつもの明かりが動いているのが見えた。

 この子の捜索隊か、俺への追手か――



 パシャリ。

 足を踏み出す。

 しのつく雨が全身を打つ。



「あの……」



 後ろにいた女が言った。



「――助けていただき、本当にありがとうございました」


「……ああ」



 俺は顔を見ることさえせず、短く答えた。

 ポケットに手を入れる。

 そこには、抜いていた金貨が五枚。

 これが俺の全財産か……。



 雨の中、俺は静かに足を動かしていた。

 ――逃亡者として。

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