中庭には先客がいた。ゾルトだ。
ゾルトは私に気付き、会釈をした。
「殿下、アイリーン様の着物、本当によくお似合いですね。まるで生き写しのようです……」
えっ、この着物ってもしかして……。
「私が着ているこの着物、母上のものなのですか?」
「はい。実は殿下が困ったときに渡すようにと、陛下より預かっておりました」
見覚えがあるような気はしていたのだが、そうか……母上のものだったのか。
そういえば、母上は黒地に蝶の模様が入った着物を好んでいたような気がする。
幼い頃に亡くなってしまったので、年々思い出せなくなってきているが、優しく美しい女性だった。
父上の第3夫人だった母は、歌姫として魔界では有名人だった。
「父上がなぜそのようなことを……?」
私はさっぱり意味が分からなかった。
なぜ父上が母上の着物をゾルトに預ける必要があったんだろう?
「これは、陛下と拙者の約束なのです。聞いていただけますか」
ゾルトはそう言うと、寂しい表情を浮かべた。
私は無言で頷いた。
「5年前ことです……大飢饉が魔界を襲いました。魔界では食べ物を巡って争いが起こり、ある部族は人間界に侵攻して略奪をしたのです。しかし、その事実に気付いたのは3年前に勇者が現れたときだったので、時既に遅し……人間界との全面戦争になってしまいました」
「なんということでしょう……」
「陛下はその時点で敗戦を覚悟していたのでしょう。ご子息を地方に赴任させ、拙者達四天王をその近くで守らせることにしたようです。恐らくですが、陛下は自分が死ぬことで戦争を終わらせようとしたのではないでしょうか」
父上が私をルナティカへ派遣したのは3年前だった。
私の赴任は、私に害が及ばないように逃がすのが目的だったと考えると確かに辻褄が合う。
「拙者は四天王の末席だったので、第4子であるグロリア殿下を守るためにマジェスティアの守りを任されました。その際に陛下よりアイリーン様の着物も預かりました。王都が焼かれることを想定して貴重品を移す……のかと、そのときは思いましたが、実際のところはグロリア殿下が困ったときに役立てるのが目的だったのでしょう」
「母上の着物が役に立つのでしょうか」
「立つと思います。今日の試合でアイリーン様の名前を叫ぶ観客が見受けられました。アイリーン様は歌姫として人気がありましたから、殿下のお姿を見て思い出した者も多いことでしょう。殿下はこれから王都で即位することになりますが、そのお姿で一定の支持を得られることは間違いないでしょう」
「父上はそこまで考えていたということ?」
「実際のところは三殿下のどなたかが即位することを想定していたはずです。ですが、まさか全員救援に向かわれてしまうとは……止めるべき他の四天王は一体何をしていたのか……」
ゾルトは悔しそうに、そうつぶやいた。
忠義の士であるゾルトには理解できないのだろう。
「もしかして、私のところに王都襲撃の報告が来なかったのは……」
「はい。拙者が伝令を止めておりました。本当に申し訳ありません」
これで、今まで感じていた違和感がすべて解消された。
ゾルトは父上の命令を忠実に従い、私に危険が及ばないように守ってくれていたのだ。
「そうか、お前も辛かったのね。本当は父上の元へ行きたかったのでしょう?」
「救援に向かわない決断をするのは、まさに断腸の思いでした。ですが、陛下の思いを無下にすることもできないと考えたのです」
「お前のような忠実な家臣を持って、父上は幸せだったのでしょうね……」
改めてゾルトという武人の凄さを理解した。
強さだけでなく、深い愛情と忠義の心を兼ね備えているのだ。
なるほど、スカーレットがあれほど強く推薦したのも頷ける。
「そのようなことはありません。勝負の形で殿下を試したこと、お許しください」
ゾルトは深々と頭を下げ、その姿からは深い敬意と謝罪の気持ちが感じられた。
その様子を見たのか、スカーレットが駆け寄ってきた。
「殿下、ゾルト殿を責めてはいけませんよ。ゾルト殿との勝負は私の想定以上の収穫がありましたから」
「収穫?それはどのような?」
「四天王のゾルト殿を真剣勝負で負かし、家臣にしたという話はあっという間に伝わることでしょう。魔界では強い者が王になるのが基本ですから、ゾルト殿と共に帰還すれば従う者は多いと思います」
「そうだったわね。お前はゾルトと一緒に帰還させるため、マジェスティアに立ち寄らせたのよね」
それを聞き、ゾルトは大声で笑った。
「そこまで読んでおられるとは……殿下には有能な参謀がおられますな。王都帰還が楽しみになってまいりました」
こうして、私の家臣に魔将軍ゾルトが加わった。
なんと心強いことでしょう。