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第67話 サクラ

「進、悪いけど、ここから先は私一人で戦うわ」


 私はブーツを脱ぎながら、進にそう告げた。

 進の目が見開かれる。驚きと、ほんのわずかな悔しさが混じった表情だ。彼の拳はまだ震えていた。

 酷だけど、このレベルの戦いだと足手まといになるからだ。


「サクラ、俺はまだやれる!」


「いや、もう分かってるでしょ? 今の進じゃ、かえって足手まといになる」


「……分かった。お前に任せるよ」


「大丈夫。進の想いも背負って戦うからさ」


「ウダウダとうるさい奴らだな。来ないなら、こっちからいくぞ!」


 フィリアーネの足元の床が軋んだかと思うと、一瞬で間合いを詰めてくる。その速さに、思わず息を呑んだ。

 激しい突きと蹴りが私を襲うが、さっき重りを捨てたことで身軽になった私には当たらない。


 だが、それは私の攻撃も同じだった。

 互いに攻撃を繰り出していたが、どちらの一撃も決定打にはならなかった。


 これは完全に予想外だった。宇宙は本当に広いんだな。

 額にじんわりと汗が滲み、全身が軽く火照っている。これほどの戦いは、そうそう経験するものではない。


「なかなかやるわね。私と互角だなんて……あんたみたいに強い人、初めて見たわよ。」


「互角か……それはどうかな。それにしても、全く同じことを考えているなんてな」


 フィリアーネはそう言うと、袖を捲り上げた。

 あれは……まさか……重り!?


 ズシリと鈍い音を立てて、重りが床に落ちた。


「そ……そんな……」


 信じたくない光景を前に、思考が一瞬止まる。あの重りのせいで、私はさっきまで互角に戦えていたのか……?

 私が思わず後ずさってしまったその瞬間、フィリアーネの前蹴りが飛んできた。

 全く見えない!

 異次元の速さだ……。


「サクラ!」


「なんだ、もう終わりか? まだまだ楽しませてくれるわよね?」


 うう……。

 あまりの衝撃に意識が飛びそうになった。

 呼吸を整えろ、血液を全身に回せ、体温を上げろ!


「うおおお!」


 進の声がする。

 ダメだ、こいつはヤバい。絶対に手を出すな……。


 バキッ、ドゴッ、バシッ……。

 人を殴る音が聞こえてきた……。


「お前、もう終わりか? 」


「さ、サク……ラ……逃げろ……」


 進……。

 私を助けるために……。


「進を……離せえええ!」


 全身を駆け巡る血潮が、まるで燃え上がるようだった。視界の端に映る進の姿が、一瞬歪んで見えた。

 初めて体験する感覚だけど、体が異常に軽い!


 私の旋風脚がフィリアーネの体を吹き飛ばした。

 よし、当たる!


 進は?

 よし、大丈夫だ。ぐったりとしているが、息はしているようだ。


 フィリアーネは体を捻り、態勢を整えると私に向かってきた。

 再び、私と激しく殴り合うが、今度はさっきと違う。

 自分でも信じられないほどの集中力で、フィリアーネの動きを追うことができた。


「そうだ、その調子だよ。これくらいで死んでもらっては困る。もっと楽しませてくれ!」


 フィリアーネの目が細められる。その奥には、まるで新しい玩具を見つけた子供のような興奮が滲んでいた。

 彼女は戦いを楽しんでいる? それとも私を試しているのか?


 このフィリアーネという女、やはりとんでもなく強い。また一段階ギアを引き上げてきやがった。

 まいったな、勝てるイメージが全く浮かばない。そのスピードとパワーになんとか対応するだけで精一杯だ。


 5分を超えた頃から、徐々に押され始めた。

 こいつ……スタミナも化け物か!


 このままじゃ、押し負けてしまう。

 最後の手を使うしかないか。


 私はプロテクターのポケットに入っている小さな注射器を取り出した。

 これは、万が一に備えてハカセが合成した薬だ。『ツヨクナール』とかいう、ハカセの絶望的なセンスで名付けられたのが惜しい逸品だ。

 一時的に身体能力を高めることができるのだが、要は未来のエネルギーを借りるようなものなので、効果が切れた際には全く動けなくなってしまう。

 できるだけ使いたくはなかったが、そうは言ってられない状態だからね。


 戦いながら注射を打ち込むと、体が熱くなるのを感じた。

 視界もいつもと違う。全てスローモーションになったかのように見える。


「フィリアーネ!」


 私は大声で叫びながら、攻撃を繰り出す。

 踏み込んだ瞬間、地面がひび割れるほどの衝撃が走る。今の自分には、まるで重力がなくなったように感じられた。

 これまで私の攻撃を平然と受け続けていたフィリアーネの顔色が変わる。


「お前! 薬を使ったな……」


「知るか! どんな手を使ってもお前をここで倒す」


「ぐあっ」


 私の攻撃はガードの上からでもダメージを与えているようだった。

 フィリアーネは攻撃を受けるたびに弾き飛ばされ、見る間に傷が増えていった。

 あと少し、あと少しだ……。


 フィリアーネは口元を赤く染めながら、ついに片膝をついた。

 よし、これでトドメだ!


 渾身の蹴りを繰り出そうとした瞬間、全身から力が抜け、私は床に崩れ落ちた。


「あと少し……あと少しなのに……」


「薬なんかに頼るからだ……お前を見損なったよ」


 フィリアーネは哀れな目で私を見下げた。

 私は……体に残っている僅かな力を振り絞り、重い体を引きずるようにフィリアーネへ向かっていった。

 腕が鉛のように重い。視界の端が黒く染まり始めている。それでも……まだ、私はなんとか立っている。


「あと一撃……」


 パスンッ。


 私の最後の一撃は、間抜けな音を出した。

 フィリアーネはその最後の一撃を避けることなく受け止めた。もちろん、ダメージなんて一切ない。

 その一撃と引き換えに、私の体は完全に力を失った。


「勝負あったようだな。この勝負を薬なんかで終わらせたことを後悔させてやる」


 フィリアーネは無造作に私の体を蹴り飛ばした。

 私は受け身を取ることもできず、ただ部屋の中を転がった。


 私は最後の力を振り絞って、最後の言葉を発した。


「ハ……カセ……150番……」


 意識が闇に沈んでいく。遠のく視界の向こうに、フィリアーネの顔が消えたことを確認した。

 これで……終わりだ。

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