年末になり、俺たちは地球への引っ越しを始めた。
ナミ氏が戸籍やら住民票やらを上手いことやってくれたみたいで、晴れて(?)地球人となったのだ。
地球人として生活する目的の1つは、ハカセの高校受験だ。
ハカセが選んだのは新宿教育学園とかいう、進学校らしい。都内の選りすぐりの生徒が集まる学校らしいけど、ハカセなら楽勝だろう。
ワープ理論を確立させるほどの物理の天才だからね。
と思っていたのだけど、意外にも苦戦していた。特に日本語が難しいらしく、塾にも通い始めたみたいだ。
まあ、俺たち宇宙人だしね。
住居はマンションを丸ごと購入し、それぞれ部屋を割り当てた。
女子3人は一番大きな部屋で共同生活をすることになった。一人暮らしの経験がない、ハカセとナミ氏を考慮した結果だ。
そんな背景もあって、彼女たちは姉妹設定となり、『藤原』姓を名乗ることになった。
ハカセが受験勉強で『藤原……』とぶつぶつ言っていたので、いつの間にか皆刷り込まれていたらしい。
日本の歴史って、藤原さん多すぎみたい。
そんな藤原三姉妹だけど、あまりにも似てなさすぎじゃないかって俺は思っている。
髪色も全員違うし、言葉遣いや性格もバラバラだもんね。
共通点といえば、全員美形ってことくらいか。
俺の日本名は『佐藤一郎』となった。
これは二階堂さんからの助言なんだけど、目立たないように地味な名前か、ありふれた名前というのが理想なんだとか。
俺の名前は、とてもありふれたものみたい。
カトー氏は『加藤弘』、 ボス氏は『田中和夫』、ナカマツ氏は『中松英雄』、サクラ氏が『藤原さくら』、ナミ氏が『藤原奈美』、ハカセが『藤原博美』と、ボス氏以外はコードネームが含まれる名前で決まった。
サクラ氏は平仮名にこだわっていて、理由を聞いてみたら、画数を減らしたかったということらしい。
自分の名前なのに、適当すぎじゃない?
こういうのもサクラ氏の良さなのかもしれないけど。
マンションの一室は共同で使えるようにしたので、食堂と会議室が主な用途なんだけど、一部屋を宇宙船と常時繋げている。
一応、地球人として生活を始めたものの、宇宙船に行き来できるので、まだあまり実感が湧かない。ナミ氏とナカマツ氏は、まだ宇宙船で寝ているみたい。
せっかく地球に移住したんだから、朝日を浴びながら目覚めればいいのにね。
「イチロー、せっかく引っ越したんだからさ、なんか美味いものでも食わせてくれよ」
こんなことを言ってくるのは、もちろんサクラ氏だ。
だが、いつもの事なので、今回は準備ができているのだ。
「じゃあ、俺に任せてくれるかな。意外なものを用意できそうなんだ」
「意外なもの? 初めて食べるものかしら?」
「うん、多分初めてだと思うよ。でも、ビールとかホッピーにすごく合うって言われているね」
「質問ばかりで悪いんだけど、ホッピーって何?」
「ホッピーってのは、ビールに似た麦から作った清涼飲料で、焼酎を割って飲むものなんだ。俺は下戸だから飲んだことないけど、サクラ氏ならきっと気に入ると思うよ」
「おおっ、じゃあ今回はビールじゃなくて、ホッピーにしようかな」
「了解、キンキンに冷やしておくから楽しみにしていてくれ」
- その日の晩 -
「イチロー、ハカセがいないんだけど知らない?」
サクラ氏がハカセを探して、部屋をキョロキョロを見渡している。
俺は思わず、ニヤリとしてしまった。
「ハカセのことなら大丈夫だから、全員席について」
「なら、全員揃ってるよ。そろそろ初めてくれる?」
「よし、じゃあ始めようか。ハカセ、持ってきてくれ!」
厨房のドアが開き、エプロン姿のハカセが姿を現した。
とても可愛い姿なのだが、皆ハカセのエプロン姿にトラウマを感じるようで、一様にざわめきだした。
そんな動揺を感じ取ったのか、緊張した面持ちで各テーブルにホットプレートとホッピーを配膳していた。
「今日の夕食は『お好み焼き』です。お酒を飲む人にはホッピーも用意しました」
ハカセが力強く説明をした。
「お、ホッピーが来たか。イチロー、飲み方を教えてくれ」
「了解。では、まずジョッキを見てくれ。側面に★が3つあると思うけど、まずは一番下の★のところまで焼酎を入れてくれ」
とくとくとく……。
焼酎を注ぎ込む音だけが聞こえる。
「こんな感じか?」
サクラ氏が自分のジョッキを掲げた。
「そう、そんな感じ。そうしたら、ホッピーの栓を抜いて、ホッピーの瓶を逆さまにしてジョッキに注ぎ込むんだ。」
「おお、これはなんか楽しいな」
「これだけで完成だよ。この★の位置まで焼酎を入れたらアルコール度数5%、その上の★なら7%になるよ。今日はこのために、ホッピー、焼酎、ジョッキをキンキンに冷やしているから冷たいうちに飲んでね」
と、説明している最中に、サクラ氏が一気に飲み干していた。
「ぷはあ、美味いな。ビールもいいけど、ホッピーも最高じゃないか!」
「そして、お好み焼きは……これからハカセが作ります!」
「ぶっ!」
カトー氏がホッピーを吹き出したものだから、ハカセが怖い顔で睨みつけた。
「あのね、私はイチローにずっと料理を教わっているんだよ。今日はその成果を見せるために、私だけで完璧に作ってみせるわよ!」
俺は無言で頷いた。
お好み焼きはそれほど難易度の高い料理ではない。タネの仕込みと、火加減さえ気をつければ、ハカセだって上手くやれるはずだ。
大丈夫、何度も練習したはずだよと、俺は目で合図を送った。
ハカセは慣れた手つきで全員分を次々に焼き始めた。
お好み焼きを美味しく焼くコツはいくつかある。
タネは、焼く前に空気を入れるように混ぜることで、ふっくらとさせることができる。
焼き中は※コテで押し付けると、空気が逃げてしまうので、じっと我慢することが大事だ。
ハカセはせっかちなタイプだが、全員分を一気に作っていたので我慢する暇もなかったのが良かったようだ。
※ 金属でできたヘラのことです。様々な呼び方がありますが、ここでは『にっぽんお好み焼き協会』で公式とされている『コテ』で統一します。
焼き時間は5:3になるように、コテでひっくり返すのだが、そのタイミングは表面にポツポツと空気の穴が空いた頃だ。
ハカセは俺が教えたとおり、きっちりと時間を計測して、絶妙なタイミングで次々と返していった。
部屋中に香ばしい匂いが充満し、全員分が見事に焼き上がった。
ハカセは表面にソースを塗り、かつおぶしと青のりを振りかけた。
「まるで、かつおぶしが踊っているようだ……」
サクラ氏がホットプレートを眺めながら、静かに呟いた。
ホットプレートの熱で生まれた微かな上昇気流が、薄くて軽いかつおぶしを踊らせていた。
手早く6つに切り、マヨネーズをかけたら完成だ。
ハカセと言えば、料理下手の代名詞みたいな存在だったけど、今日は完璧だった。
さあ、皆の反応はどうだろうか。