「ハカセ、大丈夫か?」
高重力場装置をワープ航法として採用することにしてから、数日が経過した。
何度も試行錯誤を繰り返した末に、この高重力場装置が突破口になると信じていたんだけど……。しかし、それからの数日は、理論上の課題に阻まれ進展がないままだった。
そんなこともあり、私の顔がずいぶん険しくなっていたようで、イチローは心配していたみたいだ。自分では全く気づかなかった。
「高重力場装置を作って、理論を試したいんだけど……作る方法がどうしても思いつかなくて……」
「俺の知識では何の役にも立てそうにないな……。そうだ! 気分転換に俺が珍しい料理を作ろうか」
気分転換、か……。
私は正直に言って、こういう言葉はあまり好きじゃない。今は、高重力場装置のこと以外何も考えたくないくらいだから。
でも、イチローの優しさは嬉しく思う。何気に、イチローの料理は美味しいしね。
「そうね。お言葉に甘えさせてもらおうかしら」
「実は冷凍庫の奥に、珍しい食材があったんだ。味は保証するから楽しみにしてくれ」
イチローは鼻歌を歌いながら、台所に消えていった。ずいぶんと上機嫌だ。
しばらく経ったのち、複数の皿を持って帰ってきた。
私の目の前に置かれた皿には、いずれも魚料理と思われるモノが載っていた。
「これは魚料理かしら?」
「そうだよ。脂がのっていて美味しいよ」
私は恐る恐る、その魚料理を口に運んだ。
驚くことに、その魚料理は芳醇な香りに加え、上品な脂が口一杯に広がった。
こんな美味しい魚料理は初めて食べた気がする。いや、そもそも魚料理なのだろうか。何か違うような……。
「イチロー、これ本当に魚料理なの?」
「もちろんだよ。でもね、いわゆる深海魚ってやつなんだ」
えっ、深海魚って本当に食べられるの?
あのグロいやつでしょ。
「ちょっと! なんてもの食べさせるのよ! 滅茶苦茶グロいんじゃないの?」
「ほら、こんな感じらしいよ」
イチローが見せてきた写真……。それは予想を超えたグロさだった。
「ふざけないでよ! 私の気分転換のために作ったんでしょ。余計に気分が悪くなるわよ……」
「でもさ、美味しかったでしょ。俺、味は保証するって言ったよ」
イチローは少しの反省もせず、涼しい顔でそう言い切った。
「だからって、深海魚はないんじゃない?」
「そうかな? ハカセの先入観を取り除いてあげようかなと思ったんだよ。悩んでいるときは大事なものを見落としがちだからね。実際、美味かっただろ?」
「まあ、確かに美味しかったけどね」
「ハカセ、深海魚がなぜ、あんな深くで生きてられると思う?」
そんなこと考えたことないわよ。
今の私に深海魚のことを考える余裕なんてないじゃない。
「知らないわよ。まあ、そう言われてみれば、確かに不思議よね」
「深海魚はね、浮袋を持っていないんだよ。代わりに脂肪を蓄えた内臓を持っていてね、それの大きさを変えることで浮き沈みができるんだ」
「なるほどね。ぎゅっと縮めれば水より比重が重くなるから沈むし、逆に緩めれば浮くって訳ね」
「そういうこと。だから深海魚は脂が載っていて美味しいということなんだ」
あ、だから、他の魚とはちょっと違った感じの美味しさだったのか。
浮袋を持たないということは、水圧で潰されることもないから、深海でも生活ができるのか。
ん?
あれっ?
もしかして!
「ねえ、イチロー! 急いでナミを呼んできて!」
「分かった。探してくる」
イチローがナミを連れてくるまでの間、私は自分の考えを整理していた。
うん、これでいける気がする。
「ハカセちん、呼んだ~?」
「ナミ! 分かったわよ。深海で組み立てるのよ」
「深海!? そうか、それは盲点だったわね。でも、組み立てる装置が圧力に耐えられないんじゃないかしら?」
「装置内部の空気を抜いて、絶縁の液体で満たすのよ。そうすれば圧壊を防げるはずよ!」
装置の内部に空気があると、水圧に耐えられず崩壊する可能性が高い。
しかし、絶縁性の液体で満たすことで、内外の圧力を均一にし、構造を安定させることができる。
「ハカセちん、それよ! すごいじゃん、よく思いついたね」
「イチローがゲテモノを食べさせてきたので、ショックで思いついちゃったんだよ」
私が冗談でそう言うと、イチローは困った顔を見せた。
でもね、本当はイチローに感謝している。
困ったときに手を差し伸べてくれるのは、いつもイチローだった……。
病院でどうしていいのか分からなかったとき、私の前に現れたのは大好きだった兄さんにそっくりなイチローだった。
運命的な何かを感じていたのだけど、その後もずっと私を助けてくれた。
今回も半分はいたずらなのかもしれないけど、深海という答えを持ってきてくれた。
逆に訳の分からないことばかり言われて困ることもあるんだけど、本当に不思議な人だと思う。
イチローを見つめながらそんなことを考えていると、胸が少し苦しくなる。
イチローの無邪気な笑顔や、予想外の言動に振り回される日々。
それでも、彼の存在が私にとって特別であることを自覚せずにはいられなかった。
その気持ちを認めるのが怖くて、いつも胸が苦しくなるのだろうか……。