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6月 31

 寝不足を感じつつ朝食を終えて身支度を整え、いつ誰が来るかわからないので部屋に待機していると、フォーゲルベッカー日本法人秘書室長の武藤が、9時半にやってきた。最近の病院は見舞い客の身元にうるさく、身内以外は面会を断られることもあると聞くが、そうでもないのだろうか。

 三喜雄は瀧が差し入れてくれたTシャツとジーンズ(丈が少し長いが、ウエストサイズに問題は無かった)を身につけていたが、スーツ姿の美しい秘書をそんな恰好で迎えるのは恐れ多かった。


「おはようございます、ご心配をおかけしています」


 三喜雄が頭を下げると、武藤は微笑して、三喜雄にベッドに座るように促す。


「おはようございます、体調はだいぶいいと伺いました……このたびは大変でしたね」


 三喜雄も彼女に、椅子をすすめる。


「とにかく逃げ出せてよかったと思います、カレンバウアーさんにも良くしていただいて」

「COOは朝一番に来客がありまして、片山さんの様子を見て来てほしいと頼まれました……昨夜片山さんの気分を損ねるようなメッセージを送ってしまったそうですが、謝っておいてほしいとも」


 あの件だった。武藤はさらっと言ったが、スルーし辛い空気感を醸し出してきた。三喜雄は口籠もりつつ説明する。


「えっと、私のマンションはかなり酷い状態らしくて、まあ、すぐに戻れない可能性が高いんです」


 三喜雄の話に、武藤は軽く眉をひそめ、重く頷く。


「……カレンバウアーさんは、その……空いている部屋を貸すから、新しい部屋が見つかるまで自分のところに来たらいいとおっしゃったのですが……それはあまりにもご迷惑過ぎると答えました」


 武藤はあまり表情を動かさない人だと三喜雄は認識しているので、まあ! と彼女が声を上げたことに驚かされてしまった。


「そんなことをいきなり言われたら、片山さんも困ってしまいますね、申し訳ありません」


 武藤が軽く頭を下げてきたので、三喜雄は慌てた。


「いえ、心配してお声がけしてくださったので」

「はい、確かにCOOは片山さんのことを随分と、ちょっと過保護レベルに心配しています」


 それを聞いて三喜雄は、いやいやいや、と突っ込みそうになってしまった。否定しないのか、この秘書。

 武藤は微笑を浮かべて、何でもないように言う。


「外国人には日本人が若く見えると片山さんもご承知だと思いますが、COOが片山さんに、息子さんの姿を重ねているような感じがします……あ、これは私の個人的な見解です」


 平然と爆弾を投げてくる武藤に、三喜雄はのけ反りそうになる。そんなことを聞いてしまったら、今後余計に対応に困るではないか。


「そ、そうなんですね……カレンバウアーさんも、息子さんをドイツに置いて日本にいらっしゃるのは、寂しいですよね」


 離婚した妻が、息子を引き取っているのだろうと三喜雄は思ったのだが、武藤は目から上を微妙に動かした。そこに現れたのは、驚きと困惑だった。


「片山さん、お聞きでないんですね……COOの一人息子さんは、もう亡くなっています」

「えっ」

「……奥様とはそれ以前から不仲でいらしたようなのですが、その時離縁なさることを決めたそうです」


 これは、聞いてはいけない話だと三喜雄は直感した。だから武藤の顔から視線を外して、彼女が続きを話さないよう暗に拒絶した。


「COOは家庭のことを隠してらっしゃらないので、片山さんも本人からお聞きになったとばかり」

「あ、その、離婚されているらしいことは、ネットの記事で読みました」


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