カレンバウアーはスマートフォンを出して、ドイツで作成中のCMの映像を見せてくれた。きな粉の原料である大豆は北海道産を使っているらしく、テロップが出るが、背景が富士山と、振袖を着た女性の後ろ姿というのがややちぐはぐだ。
カレンバウアーは苦笑気味で言った。
「これは駄目だと、ベルリン本社のマーケティングに言いました……片山さんはどう思いますか?」
振られると思わずやや戸惑ったが、三喜雄は思ったことを口にする。
「ちょっと日本のイメージが古過ぎるように思いました、ドイツの人って北海道に来ますよね?」
「ええ、春や夏の北海道は人気ですよ」
「原材料が北海道産だとアピールするなら、北海道の風景でもいいんじゃないですか?」
「そうですね、これじゃ何が売りなのかわかりませんね」
道産子の三喜雄は、本州の人たちが北海道に対し、何やら幻想めいた良いイメージを抱いていることにいつも驚く。土地が広大で、食べるものが美味しいからだという。
カレンバウアーは、そんな三喜雄の話に、興味深そうに耳を傾けていた。
「音楽も意見がまとまっていないんですが、ドマスさんのCMを見て、片山さんに日本の曲を歌ってもらいたいという声が出ているようです」
「え……」
三喜雄が驚くのを確かめてから、カレンバウアーは微笑する。
「もしあなたが歌うなら、背景もきっちり作らなければいけません……俳優は使わないので、ドマスさんのようなストーリー性は打ち出しにくいですが」
外国のCMで、ほぼ無名の自分が歌うかもしれない。ドマスのCMだって、まだまだ実感が無いのに、最近の自分を取り巻いている「流れ」のようなものは、いったいどうなっているのだろうか。こんなラッキーが続く反動が、今朝の火事ということなのか。
三喜雄が持つカップが空になっていることに気づいたカレンバウアーが、そっとそれを三喜雄の手から引き、自分のカップに重ねた。
「ごめんなさい、片山さんが大変だったので、この話は喜んでもらえるかなと……でも驚かせてしまったようですね」
カレンバウアーの瞳には、心配の色があった。しっかりしなくては、と三喜雄は思う。
「すみません、正直なところ驚きました……まだ決定じゃないんですよね?」
「決まりそうになったら、瀧さんに連絡します」
事務所にオファーしてくれるということか。三喜雄は思わず息をつく。
「……ほんとに、今日は何が起こってるのかわからないです」
「ああ、疲れましたね、休んでください」
カレンバウアーはフィナンシェの袋も集めて、コンビニの袋に入れた。そして、怪我をしている三喜雄の左手を、大きな手で包む。三喜雄は軽くどきりとしたが、手の甲に触れるカレンバウアーの掌の温度に、緊張を解いた。
「こんな言い方はいけませんが、あなたがピアニストやヴァイオリニストじゃなくてよかったです」
「……利き手でないのもよかったですよ」
三喜雄はカレンバウアーに笑いかけた。朝からいろいろあったけれど、気持ちはしっかりしていると伝えたかったからだった。
「6時過ぎに瀧さんが来るのでしたね、それまで休んでください……片山さんが退院してからもスムーズに動くことができるよう、瀧さんと段取りしますから、何も心配しないで」
カレンバウアーが言ってくれるので、三喜雄は素直に頷いた。不安は尽きないけれど、なるべく早くに日常を取り戻し、歌えるようにするのが先決だ。
だって、俺は職業音楽家だから。
こんな状況に追い込まれて、やっとそんな風に思えたのは、かなり皮肉だった。三喜雄の胸の内を知ってか知らずか、カレンバウアーは三喜雄の手を取ったまま、励ますような微笑を向けてきていた。