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6月 22

 三喜雄はハミングを止め、ベッドに腰掛けたまま窓の外に視線をやった。この部屋は7階だが病院の別棟の壁しか見えず、良い眺めとは言えない。マンションの自分の部屋は、6階でも割と視界が開けていた。気に入っていたので、できれば戻りたい。

 しかしこればかりは、三喜雄の努力で何とかなるものではなかった。火事が起きてから9時間経っているが、まだ誰からも何の連絡も無い。現場検証に時間がかかっているのだろうか。

 片山さんがもうしっかりなさってるから、ここに警察来るかもしれないですね、と看護師がさっき言ったので、事情聴取を受けるなら、マンションの状態も教えてくれるだろう。今考えても、仕方がない。

 三喜雄は枕元にファイルを置き、上半身をベッドに倒した。廊下からは、医療従事者の足音がたまに聞こえるが、とても静かだ。

 火事で焼け出されていなくても、今頃こんな風に休日を過ごしていただろうか。目を閉じると、エアコンの冷た過ぎない風がふわりと頬を撫で、ようやく少し安らかな気持ちになった。イヤホンを持ち出してくればよかった、何でもいいから音楽が聴きたい。

 看護師が扉を開けたことに、三喜雄は気づかなかった。


「片山さん、そんな格好で寝たら腰が痛くなりますよ……体温と血圧だけ測りますから、布団に入ってください」


 三喜雄は目を開き、はい、と素直に返事をして、やや恥ずかしくなりつつ足をベッドに上げる。看護師は、三喜雄の額に体温計を近づけて、ピッ、と音が鳴るのを待った。


「これからお着替え受け取られたら、シャワー使うといいですよ……夕ご飯は7時です、もしかしたらお腹空かないかもしれないですけど」


 耳鼻科に行く前に部屋のトイレに行くと、ユニットバスのようだったので驚いた。三喜雄が個室に入ったのはたまたまだが、ラッキーだったかもしれない。

 血圧も脈拍も異常が無いのに、入院する理由があるのか疑問だったが、堂々とゆっくりできるのは悪くなかった。看護師が去ってから、もう一度三喜雄は目を閉じた。




 何かが額に触れたのを感じて、眠りの中に沈んでいた三喜雄の意識が浮き上がる。重い瞼をそっと持ち上げると、ここがやはり自分のよく知る場所ではないことを認識させられ、軽い諦めに襲われる。


「おはようございます」


 人の声がして、三喜雄は驚き身体を起こした。左手をついたので、小指側に痛みが走る。そこに座っていたのは、ノア・カレンバウアーだった。彼は数時間前と同じ姿で、三喜雄が目覚めたのを見て微笑していた。


「あっ、おはようございます」


 何で病院で業界挨拶してんだよ、と三喜雄は自分に突っ込んだ。カレンバウアーは静かに言う。


「よく寝てらっしゃったので、電気を点けるかどうか迷ってました」


 今日は朝からずっと曇り空だが、2時間前より薄暗い気がするのは、日が暮れてくる前に、天気が悪くなっているかららしい。

 それにしても、カレンバウアーはいつからここに座っていたのだろう。寝ている自分をずっと見ていたのだとしたら、……ちょっと変な人だと三喜雄は思った。

 部屋の明かりが入り、三喜雄はカレンバウアーのカフェオレ色の髪が、つやつやと光るのをぼんやり視界に入れた。変な人に違いないのだが、自分のことをとても気にかけてくれている。そんな価値が自分にあると思えないので、三喜雄は軽く戸惑う。


「あの、何回も来ていただいてすみません」

「いえいえ、ドーナツマスターのほうからも、片山さんの様子を教えてくださいと言われていますから」


 体調はほぼ元通りで、喉もおそらく心配無いということを、まず伝えておく。それを聞いて、カレンバウアーは笑顔になった。


「それはよかった、では気持ちを整えていきましょうね……何が今、一番不安ですか?」

「……結構大きな火事だったとちらほら聞いてるので、しばらく家に戻れない……最悪、引っ越さないといけないかもしれないこと、でしょうか」


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