デパートのハイクラス紳士服売り場には、中途半端な時間のせいか、客がほとんどいなかった。落ち着いた雰囲気の売り場の中に立つ、見るからに上等な生地のスーツを身につける背の高いマネキンたちは、何となくノア・カレンバウアーを連想させなくもない。
今のところ濱涼子からしか、彼はイケメンだとはっきり聞いたことが無い。しかし三喜雄はいつも彼が、顔だけでなくトータルでハンサム、洗練されていると感じる。派手ではないが堅実というのか、安心感がある洗練だ。
日本人のクォーターであるからか、カレンバウアーの容姿には、ゲルマン人的ないかつさがあまり無い。それはおそらく、外国人に対して距離を取りがちなこの国で、上手くやっていくには多少利点になっているだろうと三喜雄は思う。
カレンバウアーとは売り場で合流することになっており、先に着いた三喜雄は、彼を待たせなくてよかったと軽くほっとした。彼が一緒だと心強いのは確かだけれど、しょぼいバリトン歌手の服選びにつき合うなんて、本当に物好きだ。それに、どれだけ頼りないと思われているのか……。
「片山様ですね、お待ちしておりました」
ベテラン感を醸し出す男女の店員2人がにこやかに迎えてくれた。三喜雄は慣れない雰囲気にぎくしゃくしてしまう。
「あ、今日はよろしくお願いします」
女性店員が、三喜雄の持つガーメントバッグに目をやった。
「スーツをお持ちくださったんですね」
「そのほうが合わせやすいかと思って……」
「おっしゃる通りです、ありがとうございます」
男性の店員も、三喜雄がバッグを開けるのを興味深そうに見守る。後輩の結婚式の後、すぐにクリーニングに出してよかったと思った。
店内の照明のせいか、いつもより高級に見えるチャコールグレーのスーツは、店員たちにおおっ、ともてはやされた。
「いいお色ですね、このブランドでこういう色味はちょっと珍しいです」
「お父様から譲っていただいたのですよね、2代に渡って大切に着てらっしゃる」
えっ、俺その話したっけ? カレンバウアーさんにしたのが伝わったかな? 三喜雄は首が傾きそうになるのを堪えた。
「いや、父も私もそんなに着てないというだけで……」
「いやいや、普段の扱い方が出るんですよ」
おだてられて悪い気分ではないので、父にも言っておこうと思う。店員たちは、スーツと三喜雄の顔を見比べて、そうですね、と話し合い始めた。
「プロフィール写真をお撮りになるということでしたね?」
「はい、その、めちゃくちゃお洒落でなくてもいいんです、サラリーマンっぽ過ぎなければ」
頷いた女性店員はジャケットをそっと持ち、イギリスの高級ブランドの取り扱いコーナーに三喜雄を導いた。ディスプレイされたシャツの値札に、高いなと感じたが、この2年間まともに服を買っていないので、まあいいかと思い直す。
彼女が選んだのは、艶のある黒いシャツに、銀色のタータンチェックが織り込まれた紫色のネクタイだった。木のテーブルにジャケットを広げて、その上にシャツとネクタイを並べた彼女は、三喜雄に笑顔を向ける。
場の雰囲気に呑まれていた三喜雄は、我に返って仰天した。こんなの、塚山しか無理だろ!
「すっ、すみません、これはたぶん私にはハードルが高いというか」
「そうですか? お似合いになると思いますよ」
「たぶん反社のカースト下位の人々みたいになりそうでは……」
2人の店員は、チンピラの婉曲表現に笑いを堪える顔になった。その時、片山さん、と三喜雄を呼ぶまろくて低い声がした。男性店員が、いらっしゃいませカレンバウアー様、と頭を下げたので、三喜雄はそちらを振り返る。
「いらっしゃいませ」
女性店員も丁寧に一礼する。ノア・カレンバウアーがハイクラス紳士服売り場の上客であることが窺える。彼が薄いグレーのスーツを、白いシャツと軽く着こなし、梅雨入り前の暑苦しさを感じさせないのは流石だと三喜雄は思う。
三喜雄も彼にぺこりと頭を下げた。
「こんばんは、いつもありがとうございます」
「乗りこんできてごめんなさい、ドマスのほうも落ち着いてきて、ちょっと時間ができました」
カレンバウアーは笑顔でおかしな言い訳をした。
「ですから片山さんの事務所デビューの世話を焼きます……これから
「えっ?」