梅雨入りも近いかと思われる、湿度も気温も高い日々が始まった。最近は北海道もこの時期に雨が降ることが増えたが、東京に出てくるまでは、6月は三喜雄にとって快適だった。
べたつく暑さには未だに慣れないし不快だが、空気が乾燥しないので、喉に負担がかからないのは良い。長らく指導を受け世話になっている
一応プロとして活動する身だが、信頼できる人に定期的に指導を受けるのは大切だと三喜雄は思っている。何故なら、自分の声は自分の耳で聴くことができず、気づかないまま変な癖がつくこともあるからだ。
いずれのコンサートも、所属することになった音楽事務所、メゾン・ミューズを通してもらった上で受けた。三喜雄の出演料が昨年より上がり、驚いた主催者もいただろうが、それで依頼をキャンセルされることは無かった。
新規で、横浜市交響楽団から、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱つき」のソリストのオファーが来た。クラリネッティストの小田亮太は、パパゲーノのアリアの録音光景動画が大人気で、ファンから「片山三喜雄にまず第九」という声が沢山出ていると教えてくれた。同時に、横響と毎年第九で共演しているアマチュア合唱団からも、三喜雄に頼めないかと打診があったという。
『ドマスのCMムーブよりも、去年三喜雄が、いろんなアマチュア合唱団と一緒に演ってたのが布石になったんじゃないかな。歌もいいけど、気さくで感じのいい人って印象づいてるらしいわ。アマの合唱団は平均年齢高いから、おばちゃんキラー三喜雄の本領発揮笑』
小田がそんなメッセージを送ってきてくれたので、すぐに返信した。
『おばちゃんたちの愛が有り難くて涙止まらん、ありがとう』
自分がおばちゃんキラーかどうかはともかく、合唱団の希望でソリストに指名してもらえるなんて、本当に身に余る栄誉だと思う。共演と言っても、ほんの数回合わせをして舞台に上がっただけなのに、片山三喜雄がどんな歌手なのか覚えていてくれるのだから。
「低い音は押しては駄目だ、ちゃんと響いてるんだからそれ以上大きさは要らないよ」
国見に言われて、三喜雄ははい、と応じる。初めてではない曲で同じ指摘を受けてしまう辺り、この部分の発声がまだ身についていないと気づかされる。
バリトンなのに低音に苦手意識がある三喜雄は、合唱曲のソロで低い音を鳴らし続けるとやや不安になる。ドイツで勉強し始めた頃、テノールに変わってもいいんじゃないかと言われたこともあった。
しかしその時、違う、と強く思った。三喜雄は高校のグリークラブに入部した時にテノールパートに配属され、半年後にバスバリトンパートに変わった。その時、主旋律が歌えない不満は確かにあったが、徐々にハーモニーを作り支える楽しさが上回った。自分はバスバリトンで歌っていくのだという気持ちは、その頃からずっと変わらない。だから、そのための訓練は手を抜かない。
「先週久しぶりに藤巻と電話で話したよ」
曲が一段落つくと、国見はコーヒーの入ったマグカップを手にした。三喜雄は水筒の蓋を開く。
「藤巻先生、東京にいらっしゃるんですか?」
「いいや、片山くんの話をしたんだけど?」
あ、そうですか、と三喜雄は小さく言った。2人の師は先輩と後輩の関係である。
「まさか片山くんが、ネットの動画で注目を浴びるようになるとは思わなかったってね」
国見は肩を揺すりながら笑う。動画はあくまでもCMの派生物なので、三喜雄が一番、想像したこともなかった展開に戸惑っている。動画の再生数が増えるのに比例して、3日に1回しか投稿しないSNSのフォロワーが、1日平均10人ずつ増えていく。最早恐怖でしかない。
「ああ……俺も狙った訳ではなく……」
「そうなんだろうね……でもやっと歌手としてやっていく気になったんだな、長かったなと話してた」
6月1日付けで音楽事務所に籍を置く手続きをしたことも、2人の師にはすぐに話した。プロになる気は無いと言い続ける三喜雄に、彼らがずっとやきもきしていたことは、もちろん知っていた。
「すみません、ご心配ばかりおかけして」
「いやいや、コロナで廃業寸前に追い込まれた歌手も沢山いたから、教職を得る選択は賢明だったと思うよ」
「はい、安心して歌えます」