逢坂の部屋の前で彼女と別れて、三喜雄はひとつ奥の部屋の鍵を出す。もし斜め下に暮らすピアニストが、仕事にもありつけず独りで病んでいるならば、ちょっと他人事とは思えなかった。
もしこれから歌う仕事が沢山入るようになれば、という期待感は、無いと言えば嘘になる。しかし現在の、とりあえず食うには困らない平和な生活が乱されるかもしれないのは、やはり怖かった。また、沢山の仕事をもらえたとしても、聴衆の期待に応え続ける自信も、あまり無い。
三喜雄は自分だけの縄張りに戻ってほっとすると、米を洗って炊飯器に入れ、キッチンとリビングの境目にあるクローゼットを開けた。本番用タキシードは、大学生になってすぐに購入して以来何度となくクリーニングに出して、生地そのものがくたびれている。デジタル画像は修正目的の加工もできるとは言え、これでアー写はまずいかもしれない。と言って、このためだけに燕尾を一式借りるのも、もったいない。
普通のスーツの手持ちも、少ない。4着のうち3着は、体型がよく似た父のおさがりである。あと数年で会社の定年を迎える父は、良いスーツを着て営業や接待に行くことが無くなったからと、数回しか腕を通していない上等なものを譲ってくれたのだ。
この間カレンバウアーと食事をするのに着て行ったチャコールグレーのスーツは、それらの中で一番仕立てが良かった。サロンコンサートにも使ったし、この週末の後輩の結婚式でも着るつもりだ。ちょっと地味なのだが、アー写に使うならこれだろう。
悩ましさを引きずったまま、三喜雄はカレンバウアーにお礼がてら、今日の報告をしておいた。もし着る物の相談をするなら、塚山天音よりカレンバウアーのほうがいい。
塚山は学生時代から、人に見られることを意識した着こなしを常にしていて、ミラノへの留学では歌だけでなく、そちらのセンスも大いに磨いた。三喜雄には真似できないし、おそらく塚山に服を選んでもらっても、着こなせない。
一緒に舞台に立った、例のヴェルディの「レクイエム」の楽屋でも、塚山は本番直前に三喜雄の髪をいきなりワックスでセットし始めた。思わず逃げようとすると、もっさりと俺の隣に立つな、などと言っていた。共演した学生たちやオーケストラの面々から評判が良かったのは救いだったが、あんな髪型は自分で作ることができない。動画配信サイトに残るあの時の演奏のビデオを見ると、大学デビューした無理する陰キャのようで、自分的にはやや痛い。
夕飯のおかずを作っている間に、カレンバウアーから返信が来ていた。彼は三喜雄が音楽事務所にアプローチしたことに喜びを示し、アー写もしっかり撮ってもらうといいと激励していた。
『非常に個人的な見解ですが、先日片山さんが来ていたスーツはよくお似合いだったので、シャツとネクタイを替えて撮影に臨むといいのではないかと思います』
三喜雄はスマートフォンの画面を見てから、テーブルに着いて質素な食事の前で手を合わせた。
「いただきます」
箸を手に取り考える。やっぱりシャツとネクタイは、この間のだとサラリーマンっぽいから駄目だよな。カレンバウアーの意見はもっともである。
服装を選ぶのは苦手ですが、頑張ってみます、と三喜雄は返し、心遣いへの礼を述べておいた。そして、メゾン・ミューズのホームページを覗きに行く。
大きく写真を掲載されているアーティストの中に、当然塚山天音も入っていた。彼は紫がかった黒いスーツの中に、オープンカラーの白いシャツを合わせ、微笑しつつ少し目線をカメラから外している。どれだけカッコつけた写真なんだよと三喜雄は突っ込みたくなるが、アー写の塚山はそこら辺の俳優に負けないオーラを発していた。
器楽奏者は自分の楽器と一緒に写っているので、何者かがすぐにわかる。楽器にも目が行くよう配慮しているのか、男性の奏者はほとんどタキシードか燕尾服だ。しかし手ぶらになってしまう歌手、特に男性は、どうもタキシード以外を身につけ個性をアピールする傾向があるらしい。