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5月 12

 橋本は三喜雄の感情の動きに敏感だった。


「申し訳ありません、これは感じが悪かったですね……アマチュアに助演なさることに関して、片山さんのスタンスもお聞かせ願えればと思います」


 スタンスも何も。三喜雄は帰国以降、本番の予定さえ合えば、依頼された仕事は全て受けてきた。その8割を占める合唱曲のソリストの仕事は、指揮者とオーケストラとソリストはプロで、合唱団だけアマチュアという編成が多い。出演料は高くないが、チケットノルマは基本的に無い。またプロとしてリスペクトされるので、練習や本番で嫌な思いをしたことも無かった。

 とりあえずそう伝えると、橋本は軽く頷いた。


「例えば、個人的に繋がりの深いアマチュア団体などからの依頼は、我々を通さず受けてくださっても構いません」

「あ、そうなんですか?」

「格安でアマチュアとの仕事を受けないでほしいというのは、プロと共演する際の出演料の差や、他の歌手との料金の違いをとやかく言う人がいるからなんです……変な風に誤解されると、片山さんのイメージダウンに直結します」


 仕事を選ぶことは、自分と共演者に何らかの付加価値をつけることらしいと三喜雄は理解する。大学院生になり留学してから、大学時代のように、「何でもやってみる」だけでは通用しない空気感を漠然と感じてはいたが、今更確信めいたものを得た。マネージャーをつけろと進言したカレンバウアーに感謝するべきなのだろうか。

 橋本は、塚山天音と違ってぐだぐだ考えるバリトン歌手を、それでも気に入ったようだった。


「片山さんは芯の通った歌を歌われますが、普段のちょっとほわっとした雰囲気とのギャップが、推しポイントになりそうですね」


 言われて三喜雄は、やや気恥ずかしくなりつつ、そうですか、と応じた。


「もしかしたら、片山さんの音楽環境がこれからがらっと変わるかもしれないので、メンタルには気をつけてくださいね……そういったご相談も遠慮なさらないでください」


 三喜雄は橋本に礼を言い、早速現在受けているオファーを全て彼に公開した。雑誌のインタビューは、今すぐOKするといいと橋本は言う。


「この本は信頼できます、一度あちらで校正してから戻してくれるはずです……あ、一般週刊誌なんかからお声がかかってきたら、すぐに決めずに連絡ください」


 そして橋本は、アー写撮らなきゃいけないな、と呟く。探るように三喜雄を見た。


「片山さん、普段お使いの写真、結構古いですよね?」


 三喜雄は思わず目を逸らした。

 アー写、つまりアーティスト写真とは、公式の宣材写真のことだ。コンサートの際、プロフィールとともにフライヤーやプログラムに載せることが多い。第一印象を決める大切な写真だが、真っ当なスタジオで撮ると1ショット1万円ほどかかることもあり、クラシック業界では古いものをずっと使う者も多い。三喜雄もその例に洩れなかった。


「えっと、大学の卒業演奏会の前に撮ったやつです」


 橋本はにっこり笑った。


「ということは、12年前? 撮り直しましょう」

「……すみません」

「変わってらっしゃらないんですけど、やはりちょっと可愛らしいですよね」


 長く使っているその写真は、三喜雄にとって大切なものだった。まさか出演者に選ばれるとは思わなかった卒業演奏会のために、大学生になってすぐに作った一張羅のタキシードで、初めて写真館で撮影した。

 気安さからつい話すと、橋本はそうでしたか、と興味深そうに応じる。


「新しいものを使うようになっても、置いておいてくださいね……うちで企画したコンサートで、出演者全員の初アー写をプログラムに載せて、好評だったことがあります」

「ああ、ビフォーアフターみたいな」

「そうです、ファンは喜びます」


 メゾン・ミューズでは、正装した写真と、少しカジュアルな写真の2種類を、コンサートによってアーティストに使い分けさせているという。タキシードはくたびれ気味で、映えるカジュアルなど持っていないので、三喜雄は困ったなと思った。


「天音さんはファッショニスタだし、カレンバウアーさんもスーツの着こなしに定評のある人ですよ……スタイリストも用意できますが、おふたりに相談なさるのもいいんじゃないでしょうか」


 はい、と橋本に答えた三喜雄だったが、そのおふたりともがイケメンで背も高いので、顔も身長も並レベルの自分の参考にはなりそうになかった。

 ただ三喜雄は、カレンバウアーがいつもスマートで、身体が大きいのに威圧感無くスーツを着ていることには好感を持っている。橋本と話したことを報告するついでに、服の相談をしてみようと思った。



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