三喜雄は、自分の歌が何故か聴く人の印象に残るらしいことに対しては、素直に嬉しいと感じている。しかしコンクールで上に行けないということは、技術か表現か、それとも解釈なのか、何かが足りないと審査員に判断されている証拠だった。
審査員からの講評は、いつもその点に関して、三喜雄に納得いく説明をしてくれない。誰かが足りないと指摘する部分が、別の誰かからは褒められている。三喜雄は混乱して、音楽のコンクールの結果なんて所詮審査員の好みと門下生かどうかだから、という周囲の言葉に妙に納得してしまい、もはや深く考えるのを放棄していた。
「あなたをずっと指導している先生方は、その点についてどう話していますか?」
カレンバウアーに訊かれて、三喜雄は軽くはっとするものがあった。藤巻と国見の言葉に、共通するものがある。
「……もうひとつ奥の扉を開いて見せてほしいのに、隙間しか開けてくれないもどかしさがある……みたいなことを」
伝わるか少し心配だったが、三喜雄の返事に、ああ、とカレンバウアーは目を見開いた。
「上手いこと言いますね、さすがです」
「カレンバウアーさんもそう思うんですか?」
つい食いつき気味になってしまった三喜雄は、我に返って恥ずかしくなった。それをごまかすように、サラダをフォークでつついた。
すると、カレンバウアーは静かに言った。
「それ、そういうところ」
三喜雄はつやつやしたミニトマトに視線を固定したまま、彼の声を聞く。
「たぶん片山さんの性格や考え方の癖なんでしょうね、そのちょっと引くような感じが、曲によっては合うと思うんですが」
もちろん三喜雄は引いているつもりはなかった。ましてや本番で歌っているときは。
「この間、横浜で録音したパパゲーノも、1回目を聴いてもうひと押ししてくれたら、という気持ちになりました……2回目はとても良かったですよ」
「でもあの時は、カレンバウアーさんの指摘に従っただけです」
「少し言われてすぐに修正できるのは、ひとつの才能ですよ……でも言われる前にベストな演奏ができれば、より良い結果が出ます」
歌い手でない人間からここまで突っ込まれた経験が無い三喜雄は、カレンバウアーに感心していた。彼は、知ったかぶりでネットに私見の非難(批判ではなく)を垂れ流す、自称批評家たちとは違う。さすが、音楽が深く根づいた土地で生まれ、教育を受けた人だと思う。
さらにカレンバウアーはピアノを弾いていたので、音楽家の悩みや苦労も理解できるのだろう。彼は口に入れたステーキを飲み下してから、あっさりと続ける。
「片山さんは、コロナで機会を失くしたせいで本番の勘が鈍ってるか、まだ成長過程なのでしょうね……これから舞台を増やしましょう、年内に最低1回はソロコンサートも企画しないと」
またそんな、と三喜雄は弱気になる。地元の札幌ならともかく、東京でソロコンサートなんか開いても、50席ほどのサロンさえ埋められる自信が無い。
「そんな困った顔をしないで……片山さんのスケジュールを音楽事務所と調整しながら、秋以降のコンサートシーズンに動けるようにしましょうね」
2人のメインの皿がほぼ空になったのを見計らい、店員がテーブルに来た。デザートの飲み物を尋ねてから、食器を手際よく片づけていく。
「1年……いや2年、死ぬ気でやってみませんか?」
カレンバウアーはやや諭すような口調になった。
「あなたはきっと、学生時代も一生懸命歌ってきたと思います、でも学生とプロではプロデュースのやり方が変わってくるので……あなたは日本だけでなく、世界の音楽業界へのアプローチの方法を、身につけなくてはいけません」
三喜雄が余程冴えない表情をしているのか、カレンバウアーはほとんど子どもを宥めすかす様相になる。
「ひとつの仕事が上手く終わるたびに、今日みたいに……えーっと、酒池肉林でもてなしますよ」
酒池肉林?
三喜雄は聞き間違えたかと思い、カレンバウアーの顔をまじまじと見てしまった。彼はすっと笑顔を消す。
「何か変なことを言いましたか?」
三喜雄は困惑混じりに考える。ドイツ人は意外とあっち方面に関してアグレッシブなので、美食だけでなく性的な楽しみも用意しようと言っているのかもしれない。しかし。