「わかりました、ありがとうございます……もう私が録音に入るということですが、最終審査に残った25名の歌を、直接お聴きにならなくてよかったのですか?」
差し出がましいと思いつつ、三喜雄は問うた。半分冷やかしで音源を送ってしまっただけに、選考に公平性が保たれていなければ納得できないからだった。
秘書室長は微かな驚きのようなものを、上品な整った顔に浮かべた。
「片山さんがそうしたいとおっしゃるなら、24人の歌手に連絡を取ってもいいのですが……」
彼女の驚きが微苦笑に変わっていく。
「残念ながら時間もありませんし、フォーゲルベッカーの人間はコロナ禍を経て、音源のみで演奏家の実力を判断するスキルを身につけたと考えていただきたいと思います」
広報課長も微笑を浮かべつつ、三喜雄に言った。
「私も最終審査員の1人でしたので補足しておきます……25人の歌を聴いて各々が良いと思った上位3人のエントリー番号を提出しまして、1位の数がトップだったのが、片山さんとあと1人で、1票差が2人でしたね?」
広報課長が秘書室長に確かめるように言うと、秘書室長もそうでした、と、何やら楽しそうに応じた。広報課長は背もたれに軽く身体を預ける。
「この4人の審査を生でしようかという話も出たのですが、審査員全員が3位までのいずれかに投票していた人が、この中で1人だけいたんですよ」
秘書室長が三喜雄を見て、ゆっくり口を開いた。
「片山さんでした……開発に携わってきた審査員22名全員が、商品をイメージさせる歌だと感じた事実を重視した、ということです」
思わず三喜雄が深田を見ると、彼は嬉しそうに軽く頷いてきた。三喜雄もこれまで経験の無い気持ちになっていた。大学生になって以降計3回出場した国内外のコンクールでの最高位は、3位だ。そんなコンクール並みの競争率と厳しい審査を経て、選んでもらったのは嬉しかった。気負わず歌った歌がお菓子のCMに合うと判断されたことも、今後の活動のヒントになりそうな気がした。
「すみません、エントリーしている人間が審査に関して問い合わせるのはルール違反ですね」
三喜雄はちょっと気恥ずかしくなったのもあって、小さく謝った。女性たちは気を悪くする様子も無かった。
「いえ、かなりオープンな審査ですから問題ありませんよ……このオーディションの進行に関しては、両社の関係者に周知しておりますし、参加人数と最終審査に残ったかたのお名前を、ドーナツマスター様と当方のホームページ双方に載せる予定ですので、是非ご確認ください」
秘書室長はそう言って、この話題を締めくくった。そして今後のスケジュールに話が移った。三喜雄は3月に札幌でのコンサートや、教えている児童や生徒の卒業式を抱えているので、それを考慮してもらわなくてはいけない。そう伝えると、3人はどうということは無いと言わんばかりなので、三喜雄は自分がぴりぴりし過ぎているのだろうかと思ってしまった。
出演料の話に入ると、契約書をきちんと読んで理解しなくてはならないことがわかっていても、ちょっと目が滑ってしまう。歌手の中には、エージェントにスケジュール管理や契約のあれこれを任せている者もいるが、人気があり忙しいからだけでなく、こういうことに自信が無いからではなかろうかと、初めて思い至った。
1時間半ほどで大体の説明が終わり、三喜雄はかなりくたびれて会議室を後にした。深田が1階まで見送ってくれて、いつものようにやや遠慮気味に言った。
「俺は録音にはたぶんお邪魔できないから、また様子聞かせて……暇な時に連絡くれたら嬉しい」
三喜雄はうん、と頷いた。深田は同い年だが、出会った時点で三喜雄のほうが音楽教育については4年先輩だったからか、いつも彼は三喜雄に憧れのようなものを向けてくる。むしろ三喜雄は、歌以外にさしたる取り柄が無い(しかもその歌だって突き抜けている訳でもない)自分などより、研究者であり歌手でもある深田のほうが素敵だと思っているので、今日もちょっと歯痒いような気持ちになった。