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2月 6

「フォーゲルベッカーがベルリンとウィーンにケーキ店を持っているのは、片山さんもご存知かもしれませんが、3種類の定番ケーキのテイストを盛り込んだドーナツと、あと1つは日本のお客様のために作ってくださった、きな粉風味のチョコレートを使ったドーナツを開発しました」


 資料に写真が掲載された4種類のドーナツは、シンプルながら美味しそうである。三喜雄がちらっと開発者の顔を見ると、彼はちょっと得意そうだった。

 次は、広報課長の出番らしかった。彼女の指示に従い、三喜雄は資料を繰る。


「フォーゲルベッカー社は高級感や優雅さよりも、庶民的な親しみやすさと味に対する安心感をコンセプトにしていまして、今回片山さんにお手伝いいただきたいパパゲーノと菩提樹は、そこを踏まえて我々とフォーゲルベッカーで選んだものです……2本のCMのBGMで流すのですが、演奏者のクレジットを入れてほしいとフォーゲルベッカーからリクエストされておりますので、ロングバージョンには片山さんの名前も入ります」


 三喜雄は資料の中のコマ割りを見ながら、こういう風にCMが作られるのかと感心していた。三喜雄が歌う曲をバックに、ドマスのキャラクターである人気男性俳優がドーナツを食べる、ということらしかった。クレジットは有っても無くてもいいが、自分の歌がCMに使われるというのは、なかなか楽しそうだ。


「パパゲーノはオーケストラと、菩提樹はピアニストと近々録音したいのですが、今日日程が決められればと考えています」

「録音?」


 三喜雄がやや高い声を出したので、4人の顔がこちらを向いた。広報課長はやや不安げな表情になる。


「問題ございますか? 片山さんの、何と言いますか、演奏のスタンスに合わないとか……」


 三喜雄は焦って否定する。単に驚いただけである。ライブの動画は流出しているが、わざわざ録音をするCDなど出したことの無い身だ。


「あっ、いえ、そんなポリシーは何もありません、良きように計らってください」

「ありがとうございます、NG共演者はおありですか?」

「ええっ? 無いです、もしあったとしてもそんな贅沢を言える身分ではありません」


 その場の4人は、一様に笑いを堪える顔になった。そんなに面白くないだろうと三喜雄は思う。関西人に羨ましいと言われたが、たまに事実を赤裸々に伝えるなどすると、思いがけず笑いを取ってしまうことがある。

 三喜雄はどさくさに紛れて、このオーディションに関する疑問を晴らしておこうと考えた。


「あの、ちょっと確認したいのですが」

「はい」

「今回私を歌い手として選んでいただいたことは大変光栄に思いますし、有り難いと感じております……ただどういう過程で私を選んでいただいたのかが気になっていますので、差し支えなければお聞かせください」


 フォーゲルベッカーの秘書室長がちらっと手を挙げた。彼女は三喜雄の質問を予想していたかのように、手元のファイルを見ながら整然と答える。


「今回録音を送ってきてくださったかたは298名でした、まず1次選抜として、応募資格から外れているかたや録音に手を加えていると思われたかたを省いて246名……2次選抜は技術面を見て92名が合格、ただし歌えるだけであまりに没個性なかたはここで落としています」


 三喜雄は内心、仰天した。国内の声楽コンクールレベルの厳しさではないか。誰が審査したのだろうかと思ったが、フォーゲルベッカーは音楽家を支援する会社である。耳の肥えた社員が沢山いるのかもしれない。


「3次選抜は、歌詞の意味を捉え伝えているかなどを見て25名が残りました」


 秘書室長は報告を続けた。


「その25名の音源を、我が社の日本とドイツの企画部とCOO他、ドーナツマスター様の広報と企画と取締役他の合計22名で審査して、今回の商品に相応しい音質を持ち歌唱をしてくれる歌手を選んだ、ということになります……なお審査員は音源を聴く前に、歌手の情報を知らされておりませんので、歌手の出身地や音楽的経歴等は一切審査に関係ありません」


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