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【第三章】姦計(二)

 問題の鯉は、家光から家綱への贈答品だった。通常は将軍世継ぎの膳ともなると毒味がつく。しかし、家光からの賜り物ということになると非礼であるとして、毒味はされなかった。下手人はその盲点をついたのである。

 ただちに御広敷で調理にあたっていた者一人一人に、厳重な調べがはいった。しかし、ついに下手人を割り出すことはできなかった。

 あまりに信じられない事件に、一時は楽による狂言ではないかという声まであがった。しかし、さすがにそれはありえなかった。

 この時、万は密かに玉を疑っていた。ここ数年、楽や家綱の近辺で奇怪なことがおきることは何度かあった。大奥取締である万は調査の末、玉の仕業であるとはっきりと尻尾をつかむことさえあった。しかし万に玉を罰することはできず、結局、証拠を握りつぶしていたのである。

 しかし、いかに玉といえどこれ以上放置することはできない。万はついに悲壮すぎる覚悟を固めるのだった。


 楽は手当が早かったこともあり、一命をとりとめた。しかしその後も、意味不明な言動や奇行で周囲を困らせた。ある寒い日のことだった。

 楽と家綱、乳母の矢島の局、さらに部屋方の者たちは、この頃、江戸城の西の丸で生活していた。楽は、入浴でさえ部屋方の者の助けが必要だった。湯に浸かり、体を洗い、部屋方の者が浴衣を着せようとした時だった。

「そのくらい一人できる!」

 と楽はいつになく乱暴にいった。

 仕方なく部屋方の者は、しばし別室で待機することとした。しかし、いつまで待っても楽はでてこない。中をのぞきこんでみて、部屋方の者は思わず悲鳴をあげた。

 なんと楽は蝋燭を床にたらし、炎があがっていたのである。

「お方様! なんということを! 誰かー!」

 部屋方の者が半ばパニックになって叫ぶも、楽はかすかに笑みさえうかべた。

「放せ! わらわは花火を楽しんでおるだけじゃ」

 と常軌を逸したことを言った。

 幸いにして場所が場所であったこともあり、部屋方の者達は湯桶で必死にお湯をくみ、鎮火は早かった。結局、楽と楽の部屋方の者が、軽い火傷を負っただけで事は落着した。

 しかし、この噂を遠く中の丸で耳にした玉は、恐るべき姦計を練るにいたるのだった。



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