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【第三章】姦計(一)

 中の丸に追放された玉は、あの家光の名ばかりの正室鷹司孝子と、同じ不遇の者同士親しい仲となった。

「それで、こなた、この先一体どうするつもりじゃ? 徳松君の行く末のこともあろう」

 ある日、碁を打ちながら孝子は玉にたずねた。

「お夏憎きのあまり、そして我が子かわいさのあまり、私が愚かであったのです。今後はいらぬ野心をもつことなく、徳松を立派な徳川の臣として育てるまで」

 と玉は自嘲気味にいう。

「果たして、そううまくゆくものかのう……」

 と孝子は難色をしめす。

「そなたも存じておろう。上様の弟君の忠長公が自害した一件のこと……。春日などは忠長君は乱心をおこしたゆえ、上様は泣く泣く、弟君を成敗したなどと申したが逆じゃ。ゆくゆくどの道、己は命奪われることを察したがゆえに、乱心したのじゃ。

 古を思いおこせば、源頼朝公も弟義経公の命を奪った。足利尊氏公も織田信長公も弟を殺した。上様と外様大名でありながら、あれほど親しい仲であらされた奥州の伊達政宗公も、若年の頃は弟を殺しておる。武士の世界では、兄が弟を殺すは通過儀礼のようなものなのじゃ。徳松君がいかほど竹千代君に忠誠を誓おうと、その思い果たして通じるであろうかの?」

 この言葉は、玉の胸に深く突きささった。たった一人の我が子可愛さのため、このころから玉は、かっての聡明さを失いはじめるのである。


 やがて時は流れ、慶安四年(一六五一)の正月をむかえた。この年、万は二十七歳、玉は二十四歳になっていた。

 将軍家光は、昨年十月に激しい頭痛にみまわれて以来、めっきり体力が落ちこんでいた。好きだった鷹狩りもできなくなり、室内での能の鑑賞にもあきた。そこでお万が一月十九日に、歌舞伎の上演をおこなう計画をたてた。

 しかし当時、歌舞伎はまだ卑しいものとされていた。そのため幕閣の間からは反対の声もあがるが、万は大奥総取締の権限をもって強行にこれを通した。結果、幕閣の間から万をして「第二の春日局」と揶揄する声もあがることとなる。

 その頃、お楽は長期の療養を続けていた。そして、ついには体だけでなく精神までも病みはじめる。意味不明の言動を繰りかえしたり、あれいは今度は薬をもられたわけでもなく、幻聴に悩まされたりした。

 ちょうど歌舞伎の上演を明日にひかえた、十八日の夜のことだった。

 楽は夢の中で御鈴廊下にいた。周囲に人影はない。突如、将軍の出現を告げる鈴がやかましく響いた。そして背後を振り返った楽は、そこにある人物の姿を見た。

「春日様、春日様ではありませんか?」

「明日の歌舞伎の席で、家綱の膳に毒が盛られている。毒は鯉の塩焼きに盛られている。そなた心せよ! そなたが家綱を守るのじゃ!」

 そこで春日局の姿は消えた。


 翌日、予定通りに初世中村勘三郎一座が江戸城に呼ばれた。舞台は本丸の庭に作られ、お目見え以上の女中たちは全て参加することとなった。

 楽の子の竹千代は、まだ十歳ながらもすでに元服し、名を家綱と改めていた。異変は歌舞伎の上演が、まだ始まったばかりの頃におこった。

「母上、母上ではありませぬか?」

 家綱の声に、奥の女中たちの目が一瞬舞台からそちらに移った。家光もまた、そちらの方角を見た。それはまぎれもなく、療養のためここに来られないはずの楽だった。まったく誰も予期しない楽の出現だった。

「母上、お体の具合はよろしいのですか?」

 家綱の声が聞こえているのか、いないのか、それすらもはっきりしない。突如として楽は、家綱の膳にあった鯉の塩焼きに、素手でかぶりついた。

「楽、一体どうしたのじゃ?」

 将軍もまた一瞬この奇行に驚く中、信じられない事態はおこった。突如として楽が口から血を流して、その場に昏倒したのである。

「家綱……さらばじゃ。民に慕われる良き将軍に……」

 座は騒然となった。

「誰ぞ! 早く匙を!」

 歌舞伎の興行はその場で中止となり、大奥女中たちが騒ぎたてる中、お楽は人事不肖のまま運びだされた。





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