食事の後は、神田川沿いを二人でゆく。ちょうど夏祭りがおこなわれ、花火が打ち上げられていた。
「そなたの仕えている主人というのは、どういう人間だ?」
新三郎は、ほろ酔い気味の顔でたずねた。
「女だ。美しく教養もあり、気品もある。一生仕えるに値打ちのある人だと思っている。ただ、昔ある人物にいわれたことがある。所詮、私はその人の引き立て役にすぎないと……」
その時、花火がまるで江戸の夜をいろどるかのようにうちあげられた。
「きれい……」
玉は思わず驚嘆の声をあげた。そしてひと昔前、戸田邸でお万と花火を楽しんでいた時のことを思い出した。わずか数年前なのに、はるか遠い昔のように感じられた。
「そなたはどう思う? やはり己を、そなたの主の引き立て役にすぎぬと思うか?」
新三郎は立ち上がったが、足元がおぼつかない。玉が支えようとしたが、その時事件はおこった。突如として、新三郎は玉の体に重心をかけてきて、そのまま馬乗りになったのである。
「何をする!」
「どうじゃ、そなたわしの妾にならぬか? 浪人をよそおってはいるが、これでもれっきとした旗本の跡取りじゃ。余もとにくれば、そなたも引き立て役どころか、相応の身分になれるぞ。
次の瞬間、鈍い音と共に、平手打ちが新三郎の顔にあびせられた。
「失礼した。無理にとはいわぬ」
と新三郎はあっさりと引き下がった。玉は自由の身になると、新三郎に背を向けて半ば露わになった胸を必死に隠す。
「とにかく今日は楽しませてもらった。玉よ、もしまたわしに会いたければ、先ほどの店に末尾に五がつく日に、同じ刻限に来るがよい。まあわしはこれで忙しい身であるから、必ず会えるとはかぎらんがな。そなたのことは店の者に申しておくので、新三郎と親しい者だと告げれば、金など払わずともうまい物を食うことができるぞ」
それだけいうと新三郎は、夜の闇に小走りに姿を消した。もちろん玉はこの時は知るよしもなかった。浪人山中新三郎が、実は身分を隠して町をうろついていた将軍家光であることを……。
さてお蘭は春日局の部屋子から、ようやく御三の間に昇進した。御三の間というのは、将軍御台所やお年寄りの部屋の清掃、湯水の運搬などをつかさどる役職である。お目見え以下の身分では最高位で、一種のエリートコースである。やがてこのお蘭が、手ごわい敵としてお万や玉の前に立ちはだかるのだった。