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【第二章】宿命の出会い(一)

 いろいろと面倒な手続きの後、お蘭がようやく大奥に入ったのは、すでに夏の暑いさかりだった。

 蘭は最初江戸城の壮大さに驚嘆する。次にどうしても古着屋出身の蘭は、大奥女中たちの服装に目がいく。大奥女中たちの夏の服装は、基本は帷子と単衣である。帷子は裏のない麻織物。単衣も裏をつけない絹、あれいは木綿といったところである。

 描かれている文様は例えば茶屋辻。藍色の建物、流水、植物の文様など、いかにも涼し気である。あれいは水草に鯉を描いたものなどもあった。女中たちが歩くたびごとに、まるで本物の鯉が遊泳しているかのようである。中には打掛を腰巻にして、廊下を歩いている女中までいた。

 蘭は大奥にて、最初は春日局の部屋子として行儀作法を学ぶ。次に御三の間へと昇進し、さらに順調なら中臈へと上がることとなっている。

 ちなみに春日局の部屋は寄棟作りで柿葺だったという。八畳二室、十二畳二室があり、一部に中二階もあったという。この八畳間の二室には、それぞれの床の間が用意され、片方の部屋には脇床も設けられてらしい。

 部屋子として蘭は、春日局の私生活をかいま見ることとなる。春日局自身は、祭礼の時などをのぞいて着飾ることもなく地味な衣装で、食事もまた質素だった。

 蘭はいわば「幹部候補生」であるだけに、春日局も他の教育係の中臈、お年寄りたちもそれなりに厳格である。覚えが悪いと時に叱責が飛ぶ。特に蘭にとって辛かったことは、生まれ故郷の下野の訛りがぬけず、周囲の失笑を買ったことだった。

 しかし蘭は屈しない。なんとかしてここで相応の身分になって、母や弟たちの生活を楽にしてやりたい。そして何よりも姉夫婦への思いが、蘭の意志を強固なものにしていたのだった。


 さて同じ頃お玉は、万と共に寛永寺に代参におもむいていた。基本大奥の女中たちは外に出られないが、寺社への参拝という名目でなら外出ができた。

 参拝が終わると、玉は万と時間と待ち合わせ場所を決めたうえで、別行動をとることにした。そして慣れない江戸の町をうろうろするうち日暮れ時になる。薄闇をふらふら歩くうち、不覚にも天秤棒を担いだ青菜売りとぶつかってしまった。周辺にナスや瓜など野菜が散乱した。

「ちょっと、どうしてくれるのよ! 小袖が水にぬれてしまったじゃないの!」

「うるせいやい! こっちこそせっかくの商売道具の野菜が台無しじゃねえか! どうしてくれる!」

 両者一歩もゆずらぬ口論となり、次第に野次馬があつまってくる。

「だいたい私は京の青菜売りの娘だけど、京の野菜に比べれば江戸の野菜なんて、肥しくさくて食えたもんじゃないね!」

「なんだとてめえ! いわせておけば!」

 と青菜売りは、今にもつかみかからんばかりの勢いである。

「待て! 双方共に落ち着け!」

 と野次馬の中から、頭から笠をかぶった浪人風の男がでてきた。

「なんだよあんたは! 関係ないだろ! 引っこんでなよ!」

 と玉は、浪人の仲裁にも怒りがおさまらない。

「ここは双方共にこれで手を引かぬか?」

 と浪人は二人に金貨を見せた。玉も青菜売りもうなった。

「けっ! 今日はこれで勘弁してやるよ! 以後気をつけな!」

「それはこっちの言うことだ! 次に会ったらだたじゃおかないぞ!」

 こうして玉は、金貨を受け取るとすばやくその場を立ち去る。しかし先ほどの浪人者がついてくる。

「なんでついてくるの! まだ私に何か用!」

 玉は不機嫌にいう。

「いや何、先ほどの話を聞いていると京都の出身だそうだな。その身なりからして、どこぞの旗本にでも奉公している女中といったところだろ。江戸の町を案内してやろうと思ってな。ついでに食事でもどうだ?」

 浪人は、三十代半ばといったところであろう。浪人といっても金だけは持っていることは間違いない。しばらく話しをしていて、都人のように裏表がないところが気にいった。確かに初めての江戸の町で、不安を感じていたところでもある。玉はこの浪人者の誘いを受け入れてしまうのだった。






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