「隠しても無駄です。あなたは姉と一緒に不忍池にまいりましたね」
蘭の執拗な追求に吉次は困りはてた。
「確かに、お前の姉と一緒に不忍池に行った。だがそれは商売のためであって、決してやましいことではないし、お前を裏切ったわけでもない!」
「嘘おっしゃい!」
蘭は吉次に背をむけた。吉次の体に姉のスラリとした体がまとわりついて、篭絡されてゆくところを想像しただけで、虫唾が走りそうである。女としての色気では姉に到底およばないことを、実の妹である蘭はよくわかっていた。それだけに余計くやしかった。
「吉次さん、姉と私どちらかを選んでください!」
それだけいうと蘭は、その場を立ち去ろうとした。
「待て蘭!」
吉次は、蘭の手首を強く引いた。
「俺はお前の姉でもなく誰でもない。選ぶとしたらお前以外の女を選ばない」
吉次は真剣な顔でいった。それから吉次の必死の説得が続いて、蘭もようやく吉次を信じる気になった。いや信じたかった。
「本当に偽りではないのですね吉次さん?」
不安気な表情で見つめる蘭に、吉次はゆっくりとうなずいた。
しかし、やはり事が恋愛ということになると、蘭よりお網のほうが一枚も二枚も上手だった。事実上古着屋の店主であるこの姉は、吉次の常陸屋に大口の取引をもちかけたのである。もちろん交渉相手は吉次であり、これにより常陸屋での吉次の株がおおいにあがり、出世も十分にありえた。ただしお網との婚姻が条件だったのである。
お網は仮病で店にでてこなくなり、蘭は育ての父といっていい七沢清宗に呼び出され、事の子細を告げられた。
「この一件は吉次さんはもちろんのこと、うちにとっても大変な利益になることなんだ。お前も大人ならわかってくれ」
「吉次さんは、なんと申したのですか?」
蘭はまだ信じられないという表情で聞き返した。だが清宗は、そのことには言葉を濁した。
「よくわかりました。母様のため、幼い弟たちのためにも、私は吉次さんのことはあきらめます……」
それから蘭は魂がぬけたようになって、自分の部屋にひきこもってしまった。そして吉次宛の手紙を父にたくすのである。吉次がその手紙を開いて、さぞや恨み言が書かれているのかと思ったが、内容はまるで違った。
「話は父からすべて聞きました。いつの間にか吉次さんの気持ちが、私から離れてしまっていたこと、私は知りませんでした。正直いって私はまだ子供です。父から割り切ってくれといわれても、中々割り切れるものではありません」
この後、今までの幼い頃からの思い出が延々と克明な記憶として書き続けられ、吉次の体や、その後を気遣う優しい一面ものぞかせた。しかし恨み言らしきことは一言も書かれていなかった。そして最後には、
「あなたと共にいた日々は私にとって必ずや信念にかわるでしょう。私は去ります。そしてあなたのことを姉にたくします。今まで本当にありがとう。そしてさようなら」
吉次は根は正直な男である。そのため手紙の内容を額面通りに受け止めてしまった。しかし、行間を読むことはできなかったのである。