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【第二章】尼君の受難(一)

 今度は江戸までの旅であった。寛永十六年(一六三九)というこの年、大飢饉のため日本国中で餓死者が続出したと記録にある。玉と周恵も道中、路上に横たわり飢えて死を待つだけという、哀れな者たちを数多く目にすることとなる。

 しかしついに到着した江戸は、まるで別の世界だった。

当時の江戸は建設ラッシュの最中だった。なにしろ江戸城周辺の深川の運河や神田川そして日本橋川までもが、この頃つくられた人口の川なのである。

 元和二年(一六一六)の第三次天下普請により、神田川掘割がつくられる。神田山は運河によって分断されることとなった。これによって江戸城外堀のさらに外側に外郭ができ、その内側は町となった。川の両岸が開けて、内神田と外神田が出現する。

 城下では人が集い、新たな建造物が次から次へとつくられ、そのために職人が必要とされた。玉には職人たちがきびきびと動く様が、なんとも小気味よく感じられた。誰しもが本音を表に出さず、狡猾で、人間性が常に陰湿な京都ではみられない、人間の明るさがそこにあった。

 やがて玉の視界に江戸城の天守閣が、その威容をあらわした。

「これが企方様のおわす城? さすがにたいした迫力やなあ!」

 玉は思わず驚嘆の声をあげた。

 当時の江戸城の天守閣は、石垣も含めると全長六十メートルほどもあった。これはだいたい二十階建てのビルに匹敵するという。後に明暦の大火で燃えてしまい、以後再建されなかったが、この時代の江戸城には天守閣があった。

 やがて玉と周恵それに数名の尼僧たちは、城からの使いの者に導かれて、江戸城本丸に足をふみいれることとなる。

 だいたい江戸城本丸は三つに分けることができる。将軍や幕閣の面々が政治を行う場である「表」、将軍の日常生活のための空間である「中奥」、そして将軍に仕える数千人の女たちが生活する「大奥」である。



 江戸城では大手門から城内にはいる。御所院御門からしばらく行くと玄関があり、警護の武士たちの詰所である遠侍が見える。そこから先は将軍の住まいである本丸御殿である。

 玉たち一行はしばし、遠侍から先延々と続く松の廊下をゆく。後年ここでおこった刀傷沙汰は、あまりにも有名である。玉すなわち後の桂昌院への従一位の贈呈のため、朝廷の勅使をもてなす大事な儀式を前にして、おこった騒動だったという。

 この時まだ十三歳のお玉は、あどけない目で周囲をきょろきょろと見渡す。しかし、そのようなことは知るよしもなかった。

 それにしても江戸城の広さは予想をはるかにこえていた。江戸城の大広間だけでも畳五百畳ほどはあったという。やがて将軍が来客を謁見する白書院に至る。

 どこか威厳のある初老の女性が姿を現した。玉はまずこの女性の衣装に目がいった。白輪子地鼓に藤文縫取小袖、そして梅の枝が描かれていた。この女性こそは、周恵と玉の運命を左右することになる大奥総取締春日局だった。

「周恵上人殿、これより上様がお会いになられます。供の方々は面倒ではござりますが別室に案内いたします」

 ここで周恵と玉たちは切りはなされた。

「なんや、うちらは駄目なのか?」 

「相手は天下の将軍様ですからね。我らのような身分の者が、じかに拝謁することは許されぬのでしょう」

 尼僧の一人が小声で玉にいった。

  こうして周恵一人だけが、天下の将軍と対面することとなった。




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