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【第一章】青白い炎(二)

 さて、臨済宗妙心寺派の門跡寺慶光院。南北朝の頃まで歴史をたどることができるという、由緒正しき尼寺である。現代の住職は七代目で周長上人だった。さっそくではあるが満子は髪をそり、尼僧姿となる。名も周恵とあらためた。その姿を一目見た玉は、驚嘆のあまり思わず頭を下げた。

「尼君様、なんと見目麗しい」

「これ、私はそのように大それた者ではありませぬぞ」

 満子いや、周恵は思わず苦笑した。比丘尼姿となった周恵の気高さ、そして風格はやはり尋常ではなかった。

「まことこの方は、自分と三つしか年が違うだけなのだろうか?」

 玉は疑念さえいだいた。まるで遠い世界に住む何者かを見ているようである。

「確かにこの方ならもしかしたら、高貴な方に嫁ぐ宿命だというのも納得できる。しかし、それにしても、やはり自分はこの方の影にすぎないのか?」

 玉の疑念は深まるばかりだった。


 やがて周恵と、そして玉の仏教の修行がはじまった。玉は毎日般若心経を唱え、経典を読みあさった。その中でも特に玉が興味をもった物語は、釈迦の故国天竺(インド)でのナンダという少女の物語であった。

 ある時お釈迦様が人々に説法をすることとなった。しかし場所が深い山奥で、夜になると暗闇である。地元の権力者が金にものをいわせて油を大量に購入し、周囲を明るくする。その一方でナンダという、すでに父母を失った貧しい少女もまた、母の形見であった首飾りを売って油を購入する。

 さて釈迦の説法の日、周囲は強風が吹きあれていた。権力者が灯した明かりは風でことごとく消えたが、唯一少女が灯した明かりだけが消えることなく、周囲を照らし続けたというのである。

「私も消えることなく世を照らし、そしてあの方を照らす、かすかな炎となれたら……」

 こうしてかって神社で人々から崇められている神体を、漬物石と取りかえた少女は変貌する。次第に信仰へとのめりこんでいくのである。そしてそれは終生変わらなかった。

 なにしろ、後の綱吉政権時代のお玉すなわち桂昌院による寺社造営、修復は全国で百六ヶ所にも及ぶという。中には東大寺、法隆寺など世界遺産に登録されているものもあり、あれいは彼女の存在なくば、これらは現在まで形をとどめていなかったかもしれないわけである。

 玉と周恵が伊勢に来てから一月ほどがたった。周恵の七代目院主としての晋山式(一寺の住職となるための儀式)もつつがなく終わった。そして突如として跡目相続の挨拶のため、周恵の江戸行きの話しがもちあがる。玉も周恵に従い江戸にゆく。もちろん両者は、この旅が二度と戻らぬ旅であるなどとは、夢にも考えていなかった。






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