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【第一章】白蛇の化身(二)

 この年、まず満子の母妙子が三十七歳で他界する。これをきっかけに、妙子の実家戸田家からの莫大な仕送りは消滅した。経済的に苦しくなった六條家では、玉と満子をこれまで通り養う余裕はなくなった。

「実はのう玉、そなたには実家のほうで縁談がもちあがっておるのじゃ。そなたの姉が奉公にあがった日野家につかえておる者じゃ。決して悪くない話だとは思うが……」

 と当主の有純は扇子であおりながらいう。

 玉は驚くと同時に、かたわらに控える満子の顔を見た。

「満子様は、この先どうなるのでございましょう」

「満子なら尼寺に赴くこととなった。伊勢の慶光院という、由緒正しき寺の七代目院主をつとめることとなったのだ」

 玉はしばし沈黙した。

「どうした? そなた喜ばないのか?」

「いえ、ただ私にとって事があまりにも重要なので、しばし考えさせてもらってもかまいませんか?」

 そういって、玉は有純のもとを退いた。

 この頃、玉の満子を見る目は、羨望のまなざしへと変わっていた。別れをおしんで玉は苦悩した。そしてある夢を見た。



 玉が薄目を開くと、そこに青白い顔をした女が立っていた。

「そなたは誰じゃ?」

 玉は思わず問うた。

「我は、そなたの心に宿る白蛇の化身である。名はナータージャという。ほどなくそなたは都の外にでる身である。残念ながら私の力では、都の外に出でて魂を保つことができぬ故、別れをつげようと思ってな……」

「別れとは……?」

「我はこれ以上汝と共にゆくことはできぬ。なれど恐れることはない。汝は生まれながらに、神仏やこの国の森羅万象を引きつける強い力を宿しておる。汝なら必ず、汝の使命をまっとうすることができるであろう」

「わからん? 私の使命とはいかなるものなのだ?」

 玉はおもわず不思議な顔をした。

「そなたの主を守りとおすこと、それだけじゃ」

 ナータージャは、満子のことをいっているのだろう。

「それだけか?」

 玉は満子に畏敬の念をいだいてはいた。だが自らの生涯が、それだけで終わることには納得がゆかなかった。

「そなたの主には我が姉の魂が宿っている。そしてさる高貴な方に嫁ぐ運命をもった女人である」

「私は、私はどうなのじゃ? それに高貴な方とは何者?」

「いずれわかることだ。そしてそなたの天命は、そなたの主に危険が及べば、自らの命を犠牲にしてでも守りぬくこと以外にない。汝はしょせん、そなたの主の影にすぎないのだ」

 玉は露骨に、不服従の表情をうかべる。

「汝が主にいだいている感情、それは一種の恋だ。だがしょせんそれは実らぬものじゃ。やがてそれは嫉妬となり憎悪となる。あれいは満子と汝は敵味方になる時も来るやもしれぬ。その時はあえて道をゆずるのだ。それが影の宿命。いらぬ野心を抱けば、神仏も森羅万象も汝に味方しなくなり、そして身の破滅じゃ。そのこと決してわすれるでないぞ」

 ……玉は六條家のお屋敷で、ようやく夢からさめた。闇の中、隣で満子が寝息をたてていた。ナタージャの魂は消えたが、その胸中には、強い決意のようなものが宿っていたのである。



 翌日、玉は満子の見守る前で、有純にはっきりと自分の決意したことを伝える。

「縁談の件はお断りいたします」

「それでは、そなた今後どうするつもりじゃ?」

「私はいつまでも、どこまででも満子様についてゆきとうございます」

「しかし満子についてゆくということは、この京を捨て、俗世をも捨てるということなのじゃぞ。こなたにその覚悟はあるのか?」

 有純は餅を食いながらも、困惑の色を浮かべた。

「そうじゃ玉、何もそこまでせずとも……」

 と満子もまた困惑する。

「お供がかなわぬと申されるなら、私はすぐにでも自害いたしまする!」

 と玉はきっぱりといってのけた。こうして玉は、満子と一蓮托生の道を選択したのだった。







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