このお玉という数奇な運命をたどった女性について、生い立ちについては不鮮明な部分が多い。
母親は、京都西陣出身の「おくる」という女性だったという。このおくるなる女性の生い立ちについても詳しいことはわからない。さらにわからないのが父親である。
おくるは、十二の時に貧乏公卿の家に奉公に出されたという。そしていかなる成り行きか、公卿の家に出入りしていた青物売りの家に引き取られてしまう。青物売りの名は仁右衛門といった。およそ実直なだけの男だった。
やがて、おくるは年頃になる。そしておくるの方から父親代わりで、事実親子ほど年齢がはなれた仁右衛門を誘惑するようになる。仁右衛門が夜寝ていると、何か重いものがのしかってくる感覚がする。見るとそれは、おくるだった。
「よさないか! 何をする!」
振り払っても、またしばらくするとおくるは、仁右衛門の布団の上にのしかかってくる。
そういうことが幾度が続くうち、とうとう仁右衛門は、おくるの誘惑に屈してしまうのだった。
もっとも、おくるは心の底から仁右衛門を慕っていたわけではない。京都の西陣で育ったおくるは、とくに美しく着飾りたいという願望がひじょうに強かった。正直で真面目なことしか取り柄のない仁右衛門は、罪悪感からいっそう自分に尽くすであろうという打算が、すでにおくるにはあった。事実、仁右衛門はそのようにした。いわば仁右衛門は娘ほどの年齢のおくるに、巧みにコントロールされていたわけである。やがて玉の姉で「こん」が生まれる。
おくるの狡猾さはそれだけではなかった。幼いこんを母親に預けると、家計を助けるという名目で、今度は茶屋に奉公にあがった。客あしらいがうまく、たちまち店の人気者となる。
やがて、茶屋に出入りしている公卿二条光平の家人、本庄太郎兵衛と親しい仲になる。太郎兵衛は五十に届く年齢で、すでに妻子がいた。最初は妻の目をはばかっていたが、やがて妻は精神を病んでしまう。子供たちはとっくの昔に成人して、他家に奉公なりにでている。
そのため両者は誰に遠慮するわけでもなく、広大な二条邸の敷地内で関係に及んだ。なぜ十八のおくるが五十男と関係をもったのかというと、高々家人とはいえ、おくるには公卿の世界に対するあこがれがあったからである。
こうしておくるは、年が親子ほども離れた男といわば「二股」の関係をもった。さらにその一方で、年が二つほど下の末端公卿の舎人で武光とも関わりをもった。五十男との関係にあき初めていたおくるにとって、このいわば年下との関係は、また違った意味で生きる楽しみであった。
「どないしなはったん? こないに顔を赤くして、それにしても貧弱な体やなあ」
ようするにおくるは「三股」をかけていたわけである。そうした最中におくるは、二女として玉を出産した(また一説には、仁右衛門が店で雇っていた朝鮮人の下卑と、おくるが関係をもって生まれてきたという説もある。いずれにせよ後年朝廷の官位で従一位まで登りつめるお玉の出自は、きわめて卑しく、謎につつまれているといってよい)もちろん玉が成長して実の父のことをたずねても、おくる自身にも答えようがなかった。
後年、玉が江戸城大奥で見せる異常なしたたかさ、ずる賢さは、この女狐といっていい母親ゆずりであったといえるだろう。