「りーん、りーん」
と鈴虫の鳴く声が周囲に響いた。京の都はよく夏暑く冬寒いという。盆地特有の蒸し風呂のような暑さもようやく一段落した。残暑のため、背中をつたう汗もまた、幼い玉にはここちよいほどだった。
二人のお河童頭の可憐な乙女が、虫籠をのぞいている。一人は公家の名門六條家の姫君で満子、この時十三歳。いま一人は半年ほど前、六条家に奉公にあがった玉という十歳の少女である。
京というところは、かの応仁の乱以来百年以上の長きにわたり、戦につぐ戦で支配者がめまぐるしく変わった。そしてその度に荒廃し、都人は貧苦にあえいできた。今は寛永十三年(一六三六)三代将軍家光の世である。徳川の支配体制による長きの平和が都人にも実感として、ようやく感じられるようになり、次第に活気がわいてきた。
「この鈴虫は、日々何を楽しみに生きておるんやろ? この籠の中には何にもあらへん」
と玉は不思議なことをいった。
「玉そないなこといわれても、わてかて鈴虫じゃないよって、鈴虫のことは鈴虫じゃないとわからへん」
と満子は、かすかに苦笑しながらいった。
すると玉は虫籠を持ったまま立ちあがり、障子を開いた。月の光がすーっと差しこんでくる。そのまま玉はしばし沈黙した。
「どないしなはった?」
「鈴虫も月を見て、今宵は満月が美しいおますと感じるのかと、ふと疑問におもったんよ」
「はて? よう意味がわからへん?」
「わてらが見るから、月は月なのではあらしゃりませんか? 鈴虫が見ても、月はほんまに月なんやろうか?」
満子は玉のいうことがよく理解できず、しばし困惑せずにはいられなかった。
後年この二人の幼子が、徳川幕府や日本国の行く末を左右しようとは、もちろん世人の誰一人として知るよしもない。もちろん当の本人達もまた、そのようなことは想像すらしていなかった。