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 すぐにでも口から逆流しそうなほど胃にシフォンケーキを詰め込んだオレは完食後の皿をヒュウガに預け、のろのろと立ち上がった。居間を出るとき、背後にかちゃんという里来のフォークの音が聞こえた。

 満腹だが、満たされない気分だった。腹ごなしに散歩でもしようかと、ふらつく足取りでエントランスへ続く階段をのぼった。玄関扉を数センチ押し開けると、長い唸り声のような風音と吹き込む雨に驚かされた。そこで今朝のイズミの言葉を思い出す。そうだ、今日一日、外は台風に揉まれているのだった。

 踵を返して目に入ったのは壁に掛けられた〝歌〟。惹かれるように近づき、あの夜以来の意味深な言葉の響きに静かに向き合ってみた。

「姫、魔女、楽園……かぁ」

 ウィッチ・ピロー。そう呼ばれるこの島の火山を枕に目を閉じるのは、この歌の中の魔女なのかもしれないと、ふいに思った。


 ここは楽園

 その上で

 残された魔女は嗤って目をとじる


 オレは昨日の夕食時、文哉から館の過去の話を聞いたことで、この歌についてある推測を完成させていた。結論を言えば、この歌は、地下に閉じ込められて自殺した女性たちがつくったもの、あるいは、文哉が彼女たちの手記を参考につくったものだ。

 まず、楽園とは文哉が地下庭園をつくった場所のこと。これは簡単に予想がつく。手記や改築前の館の構造から、あの場所が〝楽園〟と呼ばれる場所であると文哉は知ったのだ。そして彼は、楽園を美しくつくり直した。

 次に、少女・姫たちのことだが、これは、自殺した女性たちであろう。登場する少女・姫たち全員が歌の中で〝死〟を連想させる状況にあることから予想されるのだ。

 例えば最初の〝少女〟は、アンデルセン童話の『マッチ売りの少女』にかけられている。彼女は〝冷えたマッチ〟が売れなくて凍死してしまう。次の〝親指姫〟もアンデルセン童話。〝土竜〟とは、親指姫を娶ろうとしてさらった土竜のことだ。その〝穴に埋もれる〟とはつまり、この地下に埋もれて死んだ女性たちを示唆しているのではないか。三人目の〝シンデレラ〟はグリム童話の『灰かぶり姫』だ。〝灰で真黒に染まる〟というのは――

「あー、……うーん……」

 そこまで考えてオレは思考をとめた。灰で汚れて死ぬ姿を想像できず、途端に自信が無くなったのだ。灰で死ぬ方法……。あるとすれば例えば、たいそう潔癖症な女性が灰まみれの自分の姿を見て卒倒し、頭を打ち、残念なことに打ち所が悪く……いや、馬鹿馬鹿しい。

 かち、かち、と頭の中ではまりかけていたピースが無残にもバラけてしまった。パズルのやり直しである。

「死んだ女性たちじゃないのかなぁ」

 ぼそぼそと独りごちた。しかしまだ自分の推測を捨てきれない。

「灰……肺……。シンデレラは喘息持ちだったとか? はは」

 浮かぶ考えがこじつけすぎて、自分で笑ってしまう。

「そうだ」

 伊織に聞こう……これは我ながら名案だった。彼なら西洋の童話について詳しく知っているはずだ。この春学期、彼はオレと一緒に外国文学の講義を取り、『東西童話の相違と一致』という小難しいレポートを提出していたのだから。

 思い立ったら行動。オレはその足で伊織の部屋をノックした。

 彼の目の下の隈は気持ちひいており、出迎えてくれた声にも張りが戻りつつあった。しかし、童話の話を始めるや否や彼は顔色を変え、オレは腰を落ち着ける間もなく部屋から追い出されてしまった。

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