目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
2

「粉塵爆発だ」

 と、朝食の席で里来が言った。

「ワインセラーの吊戸棚が開いていて、中に小麦粉がこぼれてやがった。あそこの吊戸棚は密閉式だからな。開けた瞬間に入った空気の圧で、中の小麦粉が舞ったんだろう。それがちょうど、煙草の火に引火して爆発した。そんで、よろけた東郷がワインボトルを割ってさらに火は燃え広がり……ってとこか」

 彼は文哉のいない空席を見遣り、食後の紅茶を啜った。

「オレとあいつの見立てはこんな感じだ」

「なんで、小麦粉がワインセラーに……」

 杏子が掠れた声で呟く。答えたのは沈痛な面持ちで扉の脇に佇むヒュウガだった。

「搬入時に、〝除湿剤〟と間違って置かれたのかもしれません。あの吊戸棚にはいつも除湿剤を入れていましたから」

「除湿剤……?」

「はい。基本的にワインセラーは空調のみで管理していますが、まれに除湿が追いつかないことがありまして、そのときには粒状の除湿剤を床に敷くのです」

「どんな馬鹿が間違えるってんだ。小麦粉の袋にはでかく〝小麦粉〟と書かれてんだろ」

 里来は真顔で言った。

「それは……わかりませんが……」

「でもヒュウガ、常温室に搬入された小麦粉の数は搬入表通り〝十袋〟だったんだよね?」

 ヒュウガの袖をイズミが掴んだ。

「そう報告してくれたよね?」

「ああ、確かに十袋揃ってたよ。イズミだって個数は確認しただろ? 船の上で搬出の指揮をとってたんだから」

「うん……」

「とはいっても搬出後からこれまで、不可解な減り方もしていないし……」

「じゃあなんだ。ワインセラーに搬入されるはずの除湿剤が一袋消え、代わりに、何故か一袋増えていた小麦粉が除湿剤と間違ってワインセラーに運ばれた。そのあと誰かがその小麦粉の袋を破ってぶちまけた、ってか。しかもご丁寧に用済みの袋を持ち去った」

 里来は深く嘆息した。眉間の皺は濃い。

 仮に里来の推測通りなら、ワインセラーに運ばれた〝十一袋目の小麦粉は〟イズミたちの把握する搬入表とは別に持ち込まれたものとなる。そうなると、その小麦粉がぶちまけられた原因は自然現象やミスではなく、〝誰か〟の明らかな故意である可能性が高い。だが、もしも故意だとして、それをやった人物のメリットとはなんだ。悪戯……嫌がらせ……――

「殺人」

 その瞬間、声の主に全員の視線が集まった。

「僕は……東郷さんは殺されたんだと思います」

 オレの左隣で伊織が顔を歪め、色の無い唇を震わせながらそう言った。

「俺もそう思う」

 と里来が続く。彼は羽織っていたシャツの胸ポケットから、昨夜の煙草の箱とライターを取り出した。

「今朝早く、俺はお前たちの部屋を訪ねて一人ずつに、ワインセラーに落ちてた〝これ〟を見せた。まぁ、ナイトには寝る前に見せちまったんだが。それでだ、今ここにいない文哉も含め、誰もこれを自分のものだとは言わなかった。もちろん俺のでもない」

「煙草吸う人間なんて、ひとりでしょ。それにその銘柄は〝彼〟のお気に入りだ」

 杏子が虚ろな目をテーブルに投げたまま言った。

「いや、これは東郷のじゃない」

 と、ここで里来は箱を開け、皆に中身を見せた。ぎゅう、と詰まった煙草の列の、一番端の一本が無い。

「だが、この抜けた一本を吸ったのは間違いなく東郷だ。他に喫煙者はいねぇからな」

「じゃあやっぱり東郷のなんだろ」

 うんざりした様子で杏子が声を荒げる。

「いいから聞け、杏子。この煙草もライターも東郷のじゃない。あいつは煙草を俺のいる食卓には持ち込まない。十二年前からそうだ」

「部屋に戻って取ってきたんでしょ。何が言いたいの、里来」

「部屋に戻ったなら、部屋で吸って、箱とライターは置いてくるはずだ。そうじゃない。この煙草は誰かの手でワインセラーに置かれていた。そして東郷はそれを吸った。いや、吸わされたんだ。そして爆発は起こり――」

 バンッ、と杏子がテーブルを叩いて立ち上がる。ひっくり返った椅子を彼女は蹴った。

「いい加減にしろよ里来。あんた、推理小説(ミステリ)の読み過ぎだ。私らのなかの誰がそんな回りくどい手で東郷を殺すっての。あれは事故だ。幼稚な誰かの悪戯が、たまたま事故に繋がったんだよ」

 彼女はぎらつく目で里来を睨み、給仕用の扉から荒々しく出ていった。

「杏子様!」

 イズミが後を追いかけ、そのあと、食堂には沈黙が下りた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?