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 シーフード、マルゲリータ、イベリコ豚と目にも鮮やかな巨大ピザが三つ、テーブルに並ぶ姿は圧巻である。

 オレが食堂についたときには杏子と東郷が既に来ており、ヒュウガとイズミがピザに切れ目を入れるさまに感嘆していた。

「すっごいねー、これ。生地から作ったの?」

「はい。それほど難しくありませんよ」

「またまたぁ。お世辞抜きで、いいお嫁さんになるな、こりゃあ」

 からかい交じりに言う杏子にヒュウガは微笑して軽く頭を下げ、ちょうどイズミと目が合うと、照れたようにまた笑った。

「あはは、若いっていいな」

 杏子が昔を懐かしむように哀愁漂わせて言う。オレはなんだか複雑な気持ちでそれを聞く。彼女だって若いじゃないか。スタイルもよければ肌艶も――今は疲れが滲んでいるが――良い。

「なに無人、私ばっか見て。……もしかして、恋?」

「あ、いえ、なんとなく」

「いやぁ、まいったなー。若者の心を奪う……罪な女だね、私は」

 やがて夕食が始まると、東郷が酒を飲みたいと言い出した。扉横に待機していたヒュウガは、

「ビールでしたら、厨房にご用意が」

「いやー、ビールは合うよな。でも炭酸よりも、あー……」

 そこで東郷は言葉を濁し、ピザの一片をナイフとフォークで切り分けている文哉をちらりと窺った。オレはその視線の意図に気づき、楽しく成り行きを見守る。

「なんだ、東郷」

 とぼけた口調でそう言い、文哉はホタテの乗った黄色の生地を上品に口に運ぶ。

「なんだ、って……わかるだろ」

「わかってても、大事な幼馴染の奥方のことを思えば承服しかねるのでね。昼間、ブランデーを空にしたのは誰だ?」

 文哉は皮肉半分に笑う。

「そりゃ俺だけど。だが、その……ピザにはワインだろうが」

 里来の方を一瞥し、

「煙草も吸いてぇとこ、我慢してんだからよ」

 彼らのやり取りは、まるで何度も繰り返された遊びのようだった。里来と杏子は慣れた様子でいる。

「わかった、文哉。今度こそ一杯きりにするから、な?」

「旦那様、あの白ワインはいかがでしょうか。本邸でお二方がよくスポーツ観戦をしながらピザと一緒に嗜んでいらした。使用人どもの間でも、ピザによく合うと好評でございましたよ。ぜひ、皆様にもお試しいただければと」

 見兼ねたイズミが助け舟をだす。こういうところは本当に、よくできた使用人だと感心してしまう。

「だよな、イズミ。いいこと言った」

「料理の味も一層引き立ちますので」

 イズミはことりと首を傾げて文哉に笑いかけ、そしてヒュウガにも視線を向けて同意を求めた。ヒュウガは澄まし顔の唇を弓なりにし、

「そうですね。本来でしたらアルコールと共にご提供したいところです」

 二人のうまいアシストで、東郷の希望は叶いつつあった。文哉は食事の手を止め、思案している。ごくりと一度嚥下した喉は、ピザと嗜むワインの味を思い出しているようだった。

「そうだな。ピザにはワインの一杯も出さなければな」

 やがて文哉は反っていた眉を穏やかに寛げた。大きな手がポケットを探り、中世ヨーロッパ風の古風な二連の鍵を取り出す。

「ではチトセ、いつもの白を――」

 瞬間、オレを含め、おそらく場の全員が息を呑んだ。何気なく耳に飛び込んできたのは、ここにいないメイドの名前。タブー視されたかのように誰も口にしなくなったソレ。

「――いや、すまない。酒はいつも彼女が」

 言ってしまった本人が一番動揺しているようだった。

「イズミ、君はワインに詳しかっただろうか」

「いえ、あまり……。ですが名前を聞けば探し出せると……」

「俺が行ってくるさ。鍵貸せよ、文哉」

 立ち上がったのは東郷だった。イズミが「しかし」と言いかけたが彼は、

「ワインのラベルは複雑だからな。まかせろ」

 と気障(きざ)っぽく口角を上げ、居間へ繋がる扉を出ていった。


   ◆


 髭の骸骨が笑ったようなあの顔が、彼の見せる最後の笑顔になろうとは……。

 帰りがあまりに遅いということで様子を見に行ったイズミが、靴音も激しく、血相変えて戻ってきたときには、オレは何かを悟っていた。

「と、東郷様が……」

 かちかちと鳴る歯の間からその台詞が絞り出されるや否や、全員が席を立ち、居間を抜けて廊下へ出た。イズミが開け放ったままのワインセラーの扉からは、不快な焦げ臭さが漂ってくる。

 その異様な臭いにオレたちの足は凍り付き、カーペットに貼りついたように動けなくなった。けれども文哉だけは止まらなかった。彼の足音は臭いの吹き出すワインセラーの中へ消え、間もなく、静寂の中から彼の咆哮がとどろいた。

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