夕食は、よく言えば落ち着いた、悪く言えば沈んだ空気のなか始まった。全員が粛々としてオムライスをつついた。気を利かせた杏子が明るい話題を投げるのだが、話は文哉の巧みなトスのあと、下手くそな里来のレシーブで高級感溢れる石の床に転がるのだった。
オレは彼らの会話に微妙な相槌を打つ程度で、あとは黙々と咀嚼を続けた。左隣の伊織も同じ感じだった。それでもどうにか、なめくじの這うようなもどかしさで続いていた会話は、里来のうすら寒いギャグを最後にぷっつりと途絶えた。この人は本当にそういうことが苦手なのだな、としみじみ思う。
オレは助け舟のつもりで、半分は好奇心も混ざって口を開いた。
「あの、気になってたこと、聞いてもいいですか」
全員の視線が一斉に集まった。それらの代表として文哉が言う。
「気になっていたこととは?」
「この館のことです」
「と、いうと?」
文哉がスプーンを置き、海水を呑んだような碧眼をすっと細めた。
「この館、改築したのだと聞きましたが……もとはなんだったのですか」
昨夜の里来の言い草では、あまり好ましいものではないように感じた。地下庭園で里来に聞くはずが結局聞けなかった真実を、館の主人ならば答えてくれる気がした。
「その話、誰に聞いたんだい」
「俺が話した。別にいいだろ。それでビビるようなたまじゃねぇよ」
里来が食事の手を止めて食い気味に答えた。文哉はどうにも具合の悪そうな顔で唸る。
「知りたいというならば教えよう。いくら無料の招待とはいえ、そうでなければ筋が通らないな」
碧眼がオレと伊織を射る。伊織は唾を飲み込んで頷いた。文哉は固く閉じていた口を開く。
「この島……灰島は、かつて女性ばかりが暮らす流刑地だったんだ。流刑地といいながら、看守もいて、そうだな……流刑地と監獄の中間のような場所だった」
「監獄……」
隣から掠れた呟きが洩れた。
「刑に処された女性たちは皆、地下で軟禁されて生活していた。強制労働は無く、食事や物資は本土から輸送されたものが与えられる。けれど彼女たちは、決して地上へ出ることは許されなかった」
「その女性たちが軟禁されていた〝地下〟というのが、この館なんですね?」
「そうだ。ここ、〝涅下の館〟は、看守たちの暮らす本館、つまり地上の館と対(つい)になる形で存在していた。それがあるとき、火山の噴火によって地上の館は看守もろとも消滅してしまった。昨日話しただろう。一世紀と少し前に起きた、最後の噴火のことだ。流れ出した溶岩は島中を覆い、涅下の館から地上へ繋がる出口をも呑みこんだ」
「それで、女性たちは……?」
オレは、答えを予測しながらも、それを催促せずにはいられなかった。もうすぐ繋がりそうだった。島の違和感、館の奇妙な造り、里来の意味深な言葉、エントランスに飾られた歌……。
「全員、自殺した」
食堂に文哉の重厚な声が響いた。およそ和やかな食事にはふさわしくない、ものものしい台詞。
一時の静寂のあと、それを破るかのように里来が(恐らく場の雰囲気を良くしようと)、
「ヒュウガ、これうまいな。ソースが特に」
「恐れ入ります、里来様」
「麺にも合いそうだ。そうめん……じゃなくて、うどんか?」
「私はソースの絡みやすいペンネをお勧めします」
「ぺんね?」
「ペン先状の短いパスタで……」
「ああ、スパゲッティか」
オレは不覚にも軽く吹き出した。ペンネとスパゲッティの違いくらいはオレでもわかる。
と、それはさておき。右隣からこちらをじっとり睨む里来の視線には気付かないふりをして、仕切り直しだ。
「悲しい物語ですね。文哉さんは、今のお話を誰から?」
「女性たちの手記が、その全貌を語ってくれた。十四年前、とある理由からこの島を買ったとき、私はまだ館の存在を知らなかった。業者を引き入れ、溶岩の層を排除する段階で、ようやく改築前の館を見つけたんだ。中は言い表しがたいほど無残なありさまだったよ。白骨化した遺躰がいくつも出てきたときには驚いたものだ。未開の無人島だと聞いていたのだからね。まったく、売買契約違反だよ」
文哉は肩をすくめて笑った。オレは彼に代わり、確認のつもりで口を開く。
「けれど、文哉さんはこの島を手放さず、しかも館を壊さずに改築することにした。さらにそこを別荘とし、南国に不釣り合いな地下庭園まで造った」
「疑問だろうね。答えよう。……私は楽園をつくりたかったんだ、亡くなった女性たちの」
「それが、地下庭園ですか」
「そうだ」
彼が答えるその脇で、ヒュウガとイズミが食堂の扉から厨房の方へ姿を消した。文哉はそれを目の端に捉え、オレに食事の続きを勧めて、自分もスプーンを持った。だが興奮したオレはスプーンを手に、なおも話を続ける。
「つまり地下庭園は、〝霊園〟なのですね?」
「それは少し違うな。あそこに彼女たちの骨は無い。墓をつくりたかったわけではないんだ」
「では楽園とはなんですか」
「文字通り〝楽園〟だよ。内島無人とはなんだ、と聞かれて、無人は無人であるとしか言いようがないのと同じことだ。どういう人物か、と聞かれれば答えようはあるがね」
文哉は余裕の滲む目で微笑した。
「そんなのは、その……揚げ足取りです」
「大人はそんなものさ。……さぁ、料理が冷めてしまうよ」
気付くと、オレと文哉以外の四人は食事を終えており、手持無沙汰な様子だった。
厨房から戻ってきたヒュウガたちの手には、なにやらカラフルで眩しい色のデザートが乗っている。オムライスを丸呑みする勢いでかき込み、オレは空になった器をイズミに渡した。
華やかなデザートの登場により、オレたちの話はいったん打ち切られた。それまで黙っていた四人も口々に目の前の秀作を褒め、舌鼓をうった。
皆が活気づいたことに乗じて文哉は、先程の話を保留にするつもりらしかった。話題は彼の話術で完全に別の方向へ変えられてしまった。だが、オレも素直にその話題に乗ることにした。せっかく和やかになった食卓を再びぶち壊すほど非常識ではないつもりだ。
良い雰囲気のまま、二日目の夕食は幕を閉じた。ばらばらと食堂から人が散るなか、文哉はオレの傍に来て小声で、
「さっきの件だが、中途半端にしてすまなかったね。あの手の話は人を選ぶんだ」
「いえ……あの、一つだけ聞いてもいいですか」
「なんだい」
「〝楽園〟をつくった理由はなんですか? ただ、女性たちを弔うためですか?」
問われた彼は、遠く見るような目でオレを見て言った。
「憧れたからだよ、楽園に。ここは私にとっても、そういう場所だからね。君もいつかわかる、いつか……。わからなくて済むなら、その方がいいのだが」
オレを見下ろす碧眼の奥には深く暗い色が見え隠れし、けれど、彼の表情は優しい。一回り以上大人な男の言葉は、未熟なオレへの警告のようにも思えた。