雨雲は想定より早いスピードでこの島の空を薄暗く覆い尽くした。海から吹き込む風はしだいに湿っぽさを増し、南国の熱気とあいまってねっとりと肌の上を這う。
裾野の森を歩き回り、前日の不眠もあって躰が疲れきったころ、追い打ちをかけるように灰色の空が泣き出した。霧雨はまもなく大粒に変わり、緑の葉をうるさく打ち始める。汗ばんだ躰には心地よいともいえる雨だったが、オレと里来は早々に捜索を打ち切って館を目指した。森の中を走ったために木々が雨よけとなり、かろうじて濡れ鼠になることは避けられた。
どのペアも、ほぼ同じタイミングで館へ戻った。イズミとヒュウガが皆にタオルを配り、オレもそれを受け取ってわずかに濡れた髪を拭いた。
それぞれ飲み物を前にソファへ着席したのが午後三時半。文哉が自分の腕時計を確認し、ねぎらいの言葉と共に皆に時刻を告げた。
「それで、チトセを見た者はいないのだね」
皆の表情からすでに明白なことではあったが、文哉は念を押す意味でそう言ったようだった。
答える者はいなかった。オレもまた沈黙するしかなかった。
「森にいないとなれば、館内を探すしかない。昨日のあの状況で、誰にも見られず館に戻ったなどとは考えにくいが」
イズミが、かつては血色の良かった頬を蒼白くさせ、ぽつりぽつりと呟くように言った。
「昨夜、幸一様のご遺躰をお運びした後、私とヒュウガで館中を見て回りましたが、チトセはどこにもいませんでした」
隣で暗い顔をしたヒュウガはゆっくりと頷いた。イズミは続ける。
「スペアキーを使ってチトセの部屋も確認しました」
「スペアキー?」
と、オレは問うた。
「はい。皆様のお部屋と旦那様の居室、使用人の各部屋の鍵は、館の改築に際し、旦那様が新しく取り付けられたものですので、スペアキーが存在します。そのスペアキーはエントランスの額縁の裏の隠し金庫に保管されており、金庫の鍵は島では私が管理することとなっています」
「そうか。じゃあ、チトセが他の人の部屋に隠れることはできないんだ?」
「そういうことになりますね」
「地下の、あの場所は……?」
オレは横目でちらりと里来を盗み見た。里来はオレに一瞬視線を寄越し、組んでいた腕と脚をといて、前屈みに言った。
「地下庭園は俺と文哉で探して、そのあと外から文哉が鍵を掛けた。すぐ隣の機械室には杏子がいたから隠れられるはずがない」
ちゃり、と金属音が耳についた。音の方を見ると、文哉がその手に二本の鍵を掲げている。二本とも、オレが持つ客室の鍵とは違い、擦り切れてくすんだ金色で、さながら中世ヨーロッパといった古風な趣をたたえていた。
「庭園の鍵は私の持つ一本しかない。同じく、ワインセラーの鍵も私の持つ一本だけだ。ワインセラーは常時施錠している。念のため開けて中を見てみたが、誰もいなかった。もちろんチトセが一か所にとどまっているとは限らない。館内を移動して私たちの目を逃れたとも考えられる。だが、狭い館内に戻り、見つかる危険を冒して隠れ場所を転々とするよりも、私だったら、この島中を移動の範囲とするな」
「もしかして、ウィッチ・ピローに登ったとか」
オレはやや強調して、昨日聞いたばかりの奇妙な火山の名を口にしてみた。このいわくありげな名……神隠しでもしそうではないか。
「仮に登っていたとしたら、下りてくるのを待つしかない」
だが文哉は、チトセが山に登った可能性をあまり考えてはいないようだった。彼は思案するように、静まりきった目をガラステーブルに投げている。
長い沈黙。
やがて東郷が煙草を吸うため居間を出てゆく。それがきっかけだった。続いて杏子が席を立つ。
「ごめん、寝てないんだ。部屋に戻るよ」
彼女は目の下の隈を擦った。
次にヒュウガとイズミが夕食の支度のために去り、オレも、疲れ切った伊織を連れて部屋に戻った。
自分の居室内に一歩足を踏み入れると、疲れがどっと襲ってきた。オレは、森の中で汚れた躰を清める余裕もなく、強烈な睡魔に身を任せてベッドに倒れ込んだ。