両開きの扉の片方からエントランスへ入る。
「それ」
里来は正面の壁に掛けられた額縁へ真っ直ぐに歩いていった。
「読んだか」
「いいえ。詩……ですか?」
「歌だ」
オレは額縁の中の白い紙に毛筆で縦書きに書かれた文字を目で追った。
少女の冷えたマッチが売れねども
親指姫が土竜の穴に埋もれども
シンデレラが灰で真黒に染まれども
眠り姫がいばらに指を刺されども
ラプンツェルの髪が絡まり縺れども
人魚姫が海の真白な泡となれども
白雪姫が毒の林檎を齧れども
赤ずきんが狼に喰われども
赤い靴の少女が踊り狂えども
ここは楽園
その上で
残された魔女は嗤って目をとじる
なんだかあまり明るい歌ではなさそうだった。
「誰が書いたんですか」
「毛筆の文字のことをいうなら、文哉だ」
「はぁ。なんというか……」
要領を得ない回答だ。
里来はまた歩き出した。質問タイムは終わりらしい。エントランスの階段を降りる彼の頭をなんとなく見ながらついてゆく。
地下一階。ここは共用スペース、厨房、文哉の居室、使用人の居室があるフロアである。里来はここには用が無いようで、階段を降りてすぐ右に曲がると右手の奥に見えてくる地下二階へ続く階段を目指した。
地下二階は、客室用フロアである。六つの客室と、それらを三部屋ずつ南北に分断する巨大階段、その他には何も無い。
「この下にはもう行ったか」
「まさか。こんなものものしい階段、勝手には降りられませんよ。他と明らかに異質じゃないですか」
巨大階段は、古代ローマの神殿のような重厚な手摺に左右から見下ろされ、下方へずっと段が続いている。広い横幅もさることながら、驚くべきはその長さ。地下二階フロアのシャンデリアの明かりが途中までしか届いていない。奥にはまだ墓穴のような暗闇がぽっかりと口を開けていた。
「照明は無いんですか」
「無い。文哉の趣向だ」
里来は階段に一歩足を下ろした。そのまま躊躇い無い足取りで進んでゆく。
「懐中電灯とか……」
「いらん。ただの階段だ。転びそうで怖いなら、手でも繋いでやろうか」
振り返り、悪戯っぽく口角を上げて彼が手を差し出す。子ども扱いされているようで、オレは「結構ですよ」と強めに言って投げやりに階段を降りた。正面に向き直った里来は歩きながら、
「まぁ、そのうち目が慣れる。そのころにはもう、下に着いてるだろうがな」
◆
ずいぶんと深く潜っているのに少しも息苦しさを感じない。そのように里来に言うと彼は、この館内の空調について教えてくれた。
この館には酸素濃度調整システムというのがあり、管を通じて各フロアごとに最適な量の酸素を循環させているのだという。
ずっと真っ直ぐ続いていた階段を壁伝いに右へ曲がる。ようやく視界が薄ぼんやりとしてきて、前を歩く里来越しに階段の終わりが見えた。
「着きましたね……廊下も真っ暗……」
「そういう趣向だ。文哉はあれでいてロマンチストだからな」
階段を降りてすぐ右の扉の前に里来が立った。古い木の材質でアーチ形の扉である。ノブの上あたりからほんの一筋だけ光が伸びている。
里来がノブを引くと、扉はぎぃと音を立てて手前に開き、瞬間、内部から強烈な光が漏れ出した。視界が白く飛び、反射的に目を瞑る。
瞼の裏が赤く滲んでいた。頭のてっぺん辺りがつんと痛む。
「なに突っ立ってる、ナイト」
その声に、オレはゆっくり瞼を上げる。
「……なんだ……これ」
枝を広げた大樹、色とりどりの花、薔薇のトンネル、動物の置物、そしてそれらへ続く土色の小道の上に里来が立っていた。