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ぬえ散歩 其の一 池袋

  〈ぬえ散歩 其の一 池袋〉


「けけけけ……」

 春の黄昏時の空を黒い綿菓子が流れていく。

 人が発するを感知する怪鳥とり──ぬえである。

 シマエナガを反転させた様なフワフワの羽毛の塊が、絶対にそれじゃ浮かないだろってサイズの小さい翼をパタパタ動かして飛んでいる。その米粒ほどの赤い目で周囲をキョロキョロ見回す。

「けぇ…?」

 いつもなら鬼娘ジャッキーの肩にまっている。彼女の黒いファーベストは自身の羽毛の様に柔らかく、そこにぬくぬくとうずくまっているのがお気に入りの定位置なのである。単純に温かくて居心地が良いだけではない。ぬえは殺意を感じた時には体が膨らむのだが、その際には背筋が寒くなる様ないやな感覚に襲われている。人が恐怖を感じると産毛うぶげが逆立つのと同じだ。鳥肌…は鳥なので元々だが。だから殺気立っている人間のそばには、ぬえ自身はあまり行きたくない。その点、鬼のくせに心優し過ぎるジャッキーは殺気をみなぎらせる事は滅多に無いので、彼女にくっ付いているのが精神衛生的にもラクなのだ。

 しかし今は独り、不安げにパタパタ飛んでいた。


 理由は単純──はぐれた。


「けぇ……けぇ……」

 ぬえは慣れ親しんだ止まり木─もとい、鬼娘と、その相棒パートナーのいつも不機嫌そうな天使を探して飛び回っている。

 しかし目当ての二人はなかなか見付からない。

 何せ人が多いのだ。

 地上3メートルほどの空中から見下ろせば、街は平日の夕方にも関わらず都会の喧騒で溢れている。駅前から続く歩道には絶え間無く人波が押し寄せていて、様々な年齢層のカップルやグループが賑やかに回遊する。それがこの東京二十三区内でも屈指の繁華街として有名なハレの街──〈池袋〉の特徴だった。

 街のシンボルは完成当時アジア一の超高層ビルとして話題になった〈サンシャイン60〉。それを中核とした〈サンシャインシティ〉には水族館やプラネタリウム、劇場、屋内型テーマパーク等のアミューズメントが豊富に揃い、その他にも大型ショッピングモールなどの商業施設が幾つも建ち並ぶ。更にライブハウスや映画館などのカルチャー施設も多くあり、その起点となる池袋駅から次々と吐き出されるエネルギッシュな人達が目当ての場所に民族大移動するので、こんな混雑になるのである。


 そもそもぬえが二人とはぐれたのもその駅の人混みのせいだ。池袋駅は八つの路線が乗り入れる都内有数のターミナル駅なので、駅構内も広く複雑に入り組んでいる。そこで待ち合わせ場所としてJR東日本池袋駅構内に設置されたのが〈いけふくろう〉という名のフクロウの石像だ。『池袋にあるフクロウ』を意味するその像は程良くデフォルメされた丸いフォルムが愛嬌があり、東京駅構内の〈銀の鈴〉や渋谷駅前の〈ハチ公像〉同様の便利な目印として親しまれている。

 その像のそばを地下鉄を降りたぬえ一行が偶々たまたま通りかかった。彼らは地獄に送る殺人犯を捜してパトロールしているのだが、その移動手段はもっぱら徒歩と電車である。何せ唯一ぬえがパタパタ飛べるだけで、鬼は勿論、天使も下級天使なので翼は無く、車の免許や時速119キロで空を飛べる便利なマントも持っていない。なので千葉から電車を乗り継ぎ都心を抜けて、埼玉に向かう途中いったん池袋で降りたのだが、いけふくろうのビジュアルに親近感を覚えたぬえはついジャッキーの肩を離れ、像を囲む鉄柵にチョコンと留まって見れていた。

 そのぬえに気付いた通行人が声を上げる。

『あれ、こんな黒い鳥いたっけ?』

『何かポワポワして可愛い〜♡』

『ねーねーこっち向いて♡ハイ、チーズ♪』

『けへへ〜』

 ぬえは人の言葉がそれなりに理解できるので、褒められてデレデレしていたら──

『け?』

 天使と鬼を完全に見失ってしまった。

 しばらく駅構内をウロウロ探したのだが、人が多過ぎて連れは見付からない。乗り継ぎをする前に池袋の街もパトロールすると言っていたから、もう駅を離れたのかもしれない。それでぬえは仕方無く、地上に出たのである。


 それから今まで当ても無く街を彷徨さまよっていたのだが、人が多い上にが落ちて辺りがだんだん暗くなり、誰が誰やらよく見えなくなってきた。確かにがれ時ではあるが、それ以前に鳥目なのである。

「けぇぇ……」

 夕陽の名残りの中でシルエットと化したぬえは、子供の手を離れた風船の様にションボリと漂う。

 人混みに疲れて繁華街を外れ、池袋駅北口の薄暗い地下道をフワフワと通り抜ける。人通りの無い線路沿いを選んで飛んでいると、不意に異質な場所が現れた。

 線路脇のビルの足下にひっそりと空いた土地で、木々に囲まれている。暗かったので最初は公園かと思ったが、近付いて見れば小さなやしろが二つ並んでいた。向かって左側の社には白い狐が祀ってあるのでいわゆる稲荷神社─お稲荷さんだろう。しかし右側の社には細長い長方形の石塔が建てられている。

「けけ…?」

 社を囲む鉄柵に案内板があり、そこには『四面塔』と書かれている。それがこの石塔の事だろう。その四面塔の正面には『南無妙法蓮華経』と刻まれているが、その字も案内板も鳥目のぬえには勿論読めない。鉄柵に留まって首を傾げる。

 その時。


「けぇっ!」

 全身に寒気が走り、体毛が一気に膨らむ。

 ──


 それは一迅の寒風の様にぬえの心を逆撫で、吹き過ぎていった。


「けぇ……」

 辺りを見回すが誰もいない。一体今の殺意は…?

 誰もいない?

 いや──誰かいた。

 お稲荷さんの左奥の木の下に、いつの間にか人が立っていた。

 若い女性の様だ。

 様だ─とぬえが思ったのは、見慣れたジャッキーや街中の女性達とは明らかに違う服装だからだ。それはいわゆる〈白無垢〉──仏前の結婚式で新婦が着る花嫁衣裳だ。その花嫁が木陰に佇み、街灯を受けた白無垢がボンヤリ白く光っている。近くに結婚式場があるのだろうか?確かに稲荷神社で結婚式を挙げるカップルもいるが、それにしてはこのお稲荷さんは規模が小さ過ぎる。記念写真を撮るのかもしれない。

 花嫁の顔もよく見えなかった。ぬえからは横向きなのもあるが、頭の上から白い袋の様なモノを被っているのだ。〈綿帽子わたぼうし〉と言うのだが、これはウェディングドレスの花嫁が顔を隠すヴェールと同様に『挙式が終わるまで新郎以外の人に新婦の顔を見せない』という意味があるそうだ。似た様な被り物に〈つの隠し〉という帯状の布もあり、こちらも『怒りの象徴とされる角を隠してしとやかな妻になる』という意味が込められているが、結い上げた髪だけを隠す角隠しに比べて綿帽子は頭全体をスッポリ覆う。花嫁の顔を見ようと思ったら正面に回るしかない。

「けぇ」

 ぬえがパタパタと彼女の許に向かったのは顔が見たくなったのもあるが、厭な殺意を感じなかったからだ。さっき一瞬感じた冷酷な疾風──静かに佇む白い花嫁はその殺意の主ではない。そしてぬえは、大抵の女子が自身を『可愛い〜♡』と褒めてくれるのを知っている。褒められたい。いそいそと花嫁に近付きその正面に回り込もうとしたが、浮かれ過ぎていたのだろう、せっせと動かしていた翼が綿帽子に触れてしまった。

 花嫁の頭がピクリと揺れる。

 いけない、驚かしてしまう──そう思った時。


 ズル。

「け?」

 花嫁の頭が僅かにズレた。


 そのまま綿帽子ごと前に傾き、落ちる。

 ゴトッ。

「けっ?」


 ブシュウウウ━━━ッ。


 首の断面から噴水の様に鮮血が噴き上がり、白無垢を赤く染めていく。

「けけけっ……」

 血のシャワーを避けてわたわたと空中で逃げ回るぬえ。

 怖い。

 泣きそう。

「けえぇーっ!」


「ぬえちゃん!」

 聞き慣れた声がして振り向けば、ジャッキーが心配そうな顔で駆け寄ってくる。

 後ろに天使もいるが、こちらはニヤニヤしていた。

「けぇっ……」

 ぬえはジャッキーにすがる様に飛び付いて、その豊かな胸元に顔を埋めてブルブルとふるえた。

「あらあら怖かったのねえ…よしよし……」

「異界の化鳥けちょうのくせに弱っちいヤツだな〜」

めなさいよテンちゃん」

 満面の笑みでディスってくる鬼の様な天使を、天使の様な鬼がたしなめる。

 しかし天使のテンちゃんはどこ吹く風で笑顔のままだ。

「いつまで怖がってんだよ鳥。


 ?」


 その言葉に恐る恐るぬえが顔を上げると、確かにそこには何も無かった。

 地面に落ちた白い頭も、真っ赤に染まった花嫁の体も。


「けぇ……?」

「こんな厄介なとこに来るから変なモンるんだよ」

 テンちゃんは右手の社に歩み寄り、その案内板を見ながら言う。

「享保年間って書いてあるから徳川八代将軍吉宗の頃だな。その暴れん坊の治世下でこの近辺の四つ辻──現在の西部線池袋駅東口で、夕方になると追い剥ぎや辻斬りが毎日の様に出没したんだと。村人はすっかりビビって、日が暮れると出歩く人がパッタリと途絶えたそうだ。

 それでも油断したんだろうな。享保六年─一七二一年の夏、一晩で十七名が辻斬りに遭って斬殺死体で発見されたんだってさ。その供養の為に建てられたのがこの四面塔だよ。

 その犠牲者の中に花嫁がいたかは知らないけどな」

 天使も鬼も、そして異界の生き物であるぬえも、幽霊は生きている人間同様に視えて、さわれる。白無垢の首が落ちて、慌てふためくあたりから見られていたのだろう。相変わらずニヤついているテンちゃんには腹が立つが、ぬえは彼の説明で腑に落ちた。

 花嫁を視る直前に感じたあの一迅の殺意──あれは辻斬りの犯人が抜刀して花嫁の首を一閃した瞬間の、凝縮された剣の達人ならではのモノだったのだろう。

 そして花嫁の首はその達人の刀捌きが凄絶過ぎた為、斬られても落ちる事なくその場にとどまっていたのだ。テーブルクロスを鮮やかに引き抜けば、テーブルの上にはワイングラスがそのまま残るのと同様に──

 本来殺意は瞬間的なモノで、発生しても短時間で消える為、ぬえもリアルタイムでなければ感知できない。しかし殺意は勿論、霊も人間の思念体なので、特別な事情があれば〈残留思念〉として残り続ける事がある。幽霊の正体は起こった出来事をそのが記憶して再生しているのだという〈ストーンテープ理論〉という考え方があるが、辻斬りの殺意と花嫁の無念も四面塔に刻まれ、その惨劇の記憶がこの池袋の地で永遠に繰り返しリピートされているのかもしれない。まるで壊れたビデオの様に──


「さあ、じゃあ行きましょうか。

 もうはぐれちゃダメよ、ぬえちゃん」

「けぇ…」

「へっ、どうせすぐ忘れるだろトリアタマ

「けぇっ!」 


 (其の一 了)

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