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最終話:26回目 遠くの町での海浜キャンプ

 あれから2回の冬が過ぎ、3回目の夏を迎えた。


 この町の冬は日陰のアスファルトの窪みに張った厚い氷のように、いつまでも地表にしがみついている。その反面、夏はカメラのフラッシュのように白く短く輝き、一瞬だけを切り取って去っていく。


 そんな片田舎の短い夏を謳歌するべく、僕はいつも通りキャンプの準備を始めた。


 去年の夏に買った一人用のワンポールテントがここ最近の主戦力になっていたが、今回は久しぶりに、キャンプを始めた頃に買った大きめのテントとタープを押し入れから引っ張り出した。

 天日干しをしっかりやってから片付けた甲斐もあり、カビが生えていなくてほっと一安心。前回使った時に入り込んだ芝生が、茶色く変色して収納袋からパラパラと落ちる。


 狭いアパートのワンルームに明日使う道具を並べ、消耗品の残量をチェックする。ランタン用のOD缶が心許なかったので、新品を一つ収納ボックスに入れた。当初に買って今も現役で使用している電池式のLEDランタンも、単一電池を交換しておく。


 一通りの準備が整うと、明日行くキャンプ場の立地を再確認するために、YouTubeでキャンプ場を検索した。テントを設営する時のためにイメージを固めてくという目的もあるけれど、単に他の人のキャンプ動画を見て気分を盛り上げたいというのもある


 ふと思い立って、登録チャンネル画面を操作する。画面が変わり「ふうこのキャンプ動画」のページが表示された。

 女子大生となった彼女だったがキャンプ熱は未だ健在だ。むしろバイト時間が増えて資金が潤沢らしく、より白熱化しているようにも感じる。どうやら先週もソロキャンプに行ってきたようで、編集された動画がアップされていた。

 動画を視聴したあと、あまり多くないコメント欄を眺めて、何か書き込もうかと思案し、結局はブラウザを閉じてLINEを送る。


『今回のキャンプ、新しいランタン買ったんだ? いいね、あれ』


 スマホをクッションに放り投げて準備を再開していると、LINEの着信音が鳴った。


『適度な照度で雰囲気がすごく良かったですよ! ジャブローさんにもオススメです!』


 動画テンションとは明らかに異なる彼女の様子に僕は苦笑する。

 コミュニケーションが苦手と言っていた彼女らしく、その動画は終始無言というか、ただ黙々とキャンプをする様子が配信されている。たまにキャンプ場の紹介文言とか、新しいキャンプ道具の説明などを織り込んで入るのだが、相変わらず『あの、その、あの』と言葉を探している時間の方が明らかに多い。しかしその素朴な感じがむしろ可愛らしいと、妙に熱量のある固定ファンがいるのも事実である。

 かくゆう自分も、その一人であり、いつもほのぼのさせてもらっているわけだ。


『是非検討します。明日は久しぶりにキャンプなので、楽しんでくるよ。いい写真が撮れたら送るね』


『了解です』


 文末にベッドのマークが付いている。もう寝る、という意味だろう。

 さて、僕もそろそろ寝ようか。

 楽しみ過ぎて目が凛々に冴えているこの状態で、ちゃんと眠る事が出来れば、だけど。



   △



 新幹線の発着駅は、田んぼと背の低い建物が並んだ町外れに、北極の海に聳え立つ氷山みたいな様相で佇んでいる。

 初めてこの地に脚を踏み入れた時、この駅の放つ存在の異様さに首を傾げたものだったが、いまではそんな感覚も薄れ、氷が水となって海水と混じり合うみたいに、日常的な町の風景の中に溶け込んでしまっている。


 新幹線が到着し、僕は開くドアを凝視した。


 毎回、この瞬間は胸が高鳴る。

 いつも頭の片隅に存在しているその顔や姿が、この世界に具現化されるような不思議な感覚がするのだ。でも実際には、記憶の中にいる数ヶ月前の姿から微妙なアップデートが施されていて、その違いもまた新鮮な感動を呼び起こす。


「あ」


 人混みの中にその姿を見つけて、僕は手を振る。

 それに気付いた彼女は、困ったような、でも嬉しそうな笑顔を見せながら、気持ち早足で僕に歩み寄る。


「穂乃果(ほのか)、久しぶり」


「久しぶりって言っても、数ヶ月前にあったばかりじゃん」


 気のない返事は照れの裏返しだと僕にはわかる。


 関係性は出っ張りと窪みがあるからうまく重なり合う。特に遠距離恋愛になってから、なんとなくそんな感覚が強くなっているように感じた。お互いに『会いたい会いたい』と出っ張っていたら、結局ぶつかり合って壊れてしまう。僕が出る時は穂乃果が窪み、時にはその逆も然り。


「いやー、毎回思うけど、やっぱり遠いね」


 助手席の穂乃果がペットボトルのジャスミンティーを傾けてから、ため息みたいに言う。


「まぁ、この移動もあと半年の辛抱だし」


 助手席に彼女がいる景色を横目で見ながら、僕は応える。半年後には、この尊い景色も、再び日常へと戻っていくのだろう。


「そういえば、ふうこちゃんの動画更新されてたね」


「ああ、良さそうなキャンプ場だった。そっち戻ったらさ、行ってみようよ」


「了解。てか、来月私一人で行ってくるかも。いい?」


「いいよ。それじゃ、偵察頼む」


「オッケー」


「それとさ、新しく買ったランタン、勧められたよ。買っていい?」


「うん。あ、いや、あれ私も気になってたやつだから、私が買っちゃっていい?」


「いいよ。どうせ共有財産になるんだし」


「さらっと言うね。まあ、そうなんだけど」


「否定されたら、動揺して事故るわ」


「やめなさい。ぶつかるなら運転席から行って」


「ひでー」


 車はキャンプ場への道を辿る。

 開け放った車窓から流れ込む空気は、潮の匂いに加えて、すでに秋の匂も含まれているような気がした。


 海沿いの草原。

 気持ちの良い風が通り抜ける海浜キャンプ場。


 手慣れた設営は10数分で終わり、タープの下に椅子を並べて海の方を眺めた。敷地を区切る柵の向こう側で、太平洋が小刻みに波打っている。穂乃果が立ち上がり、コーヒーを入れ始める。

 その手捌きを僕はいつも眺めているはずなのに、なぜか今だにその味には辿り着けていない。それは何故なのか穂乃果に尋ねると「簡単に再現されたんじゃ、私とのキャンプの楽しみがなくなるでしょ」と、答えなのか何なのかよくわからない返事をした。


「私らのポテンシャルは、二人合わせて初めて最高値に達するのだよ、新三郎くん」


「そう言い換えると、なんかいい事のような気がしてきた」


「いいことだよ。お互いが不完全で、未熟で、凸凹してるからこそ、二人でのキャンプが楽しいんだもん」


 なんだかいつもより語りが達者な穂乃果。それに気付いたのか、カップに滴るコーヒーの滴を眺めて、照れ笑いを浮かべた。


「そっすね」


 何だかこっちも恥ずかしくなってきて、目を逸らして素っ気ない返事をする僕。


 そしてコーヒーを飲みながら、お互いの時間に没頭する。プラモを作る僕と、漫画を読む穂乃果。

 日は傾き始め、斜め後ろからタープを照らしている。むず痒さを感じて地面に根を張ったサンダル履きの足を見下ろすと、小さな蟻が親指のあたりを這い回っていた。


「今回は何作ってんの?」


 穂乃果が問う。いつものようにパーツの接着部分にヤスリをかける僕。


「あ、これはZガンダム。ウェブライダー……飛行機に変形するやつ」


「トランスフォーマーみたいな?」


「ていうか、マクロスみたいな」


「マクロス、わかんない」


「ロボット系にはあまり興味ないよな」


「レイアースは好きだよ」


「あれはロボット、なのか? ていうか、穂乃果は何読んでんの」


「ファイアパンチ」


「あー、そっちなんだ」


「うん、そっち」


 飲みかけのコーヒーが、夏の熱気と折り合いをつけて、生温い温度を保ちながらカップの底で眠っている。それを強引に目覚めさせるように、凪いだ水面を揺らしながら、喉へと流し込んだ。

 蝉が鳴いている。

 いつも聞こえているはずの声なのに、何処か懐かしい。


 ミンミンゼミはやがてひぐらしに変わる。


 背後の海へと、日が沈んでいく。


「そろそろ、やるか」


 僕は立ち上がる。


「そうだね」


 机に頬杖をついた穂乃果は、タープの向こうに消えていく、大きな大きな赤い焚き火を眺めている。


 そして僕は、消えていく火の跡を引き継ぐように、小さな焚き火を灯した。



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