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第44話:日々を観る

 クリスマスキャンプの余韻をわずかに残しながらも、年の瀬は台風のような慌ただしさを纏って、僕の感傷を否応なしに吹き飛ばしていった。


 業務の引き継ぎもなんとか完了し、送別会を兼ねた忘年会の席で当たり障りないお礼と抱負を述べて、ほろ酔い気分でアパートに戻る。明日引き渡し予定の部屋にはもはやストーブと敷布団しか置かれていない。家具一式は、先日の休みに異動先のアパートへと送り届けていた。

 本棚を動かして初めて発見した壁のシミに、なんとも言えない感慨深さを覚える。10年近く住んでいたアパートなのに、去り際になって新たな発見。僕はこの部屋の全てを知ったつもりになっていたけど、それは単なる思い上がりだったのかもしれない。明日にはこの場所を離れなければならないという寂しさが、擦り傷から染み出す血のように、薄らと滲んでくる。


 テレビもパソコンもないため、スマホの画面を見ながら過ごす。キャンプ場検索サイトで異動先の県にあるキャンプ場を入力すると、今いるところの半分くらいの数がヒットした。おそらくこのサイトに登録していないキャンプ場も沢山あるはずだ。

 向こうでの数年間で、それら全てのキャンプ場を制覇しよう。そしてその中で一番良かったキャンプ場に穂乃果ほのかを招待してやろう。ちょっとした目標だとしても、それを達成した時の穂乃果の顔を想像すると、別れの寂しさも少しだけ和らぐような気がした。



   △



 住処を失ってしまい、必然的に年末は実家に帰って過ごす事になる。


 学生時代は長期連休ともなると毎回実家に帰っていたけど、社会人になってからはその回数もめっきり減ってしまった。車で数十分で行ける距離という安心感が、かえって足を遠ざけさせたのだろう。


 結局、物理的な距離なんてのは単なる数字であって、精神的な距離感には全く影響しないのかもしれない。少なくとも、今の僕はそう思う。


 会おうとしなければ、どんなに近くても会えないし、会おうと思えば、どんなに遠くたって会える。そんなもんなのだろう。


「大学卒業してこっちに帰って来たと思ったら、仕事仕事で全然家に寄り付かないし、そろそろ結婚して根を張るのかと思っていたら、今度は遠くにて転勤なんて。仕事だから仕方ないのはわかるけど、せめて正月くらいは、うちでのんびりしていってよね」


 そう言って溜息を吐くおふくろに対して、今まで好き勝手に生きてきた事へのバツの悪さを感じる。過大な干渉を求めているような両親でないことは分かっているが、とは言え仕事を理由に蔑ろにしていた実感もある。ちゃんと親孝行していかなきゃな、としみじみ思う。


 おふくろから愚痴られた事こともあり、大晦日は実家の大掃除や年末の買い出しの手伝いをして過ごす。

 今までは地元のスーパーへ買い物に行くと、旧友や、学生時代のクラスメイトと鉢合わせするんじゃないかという、期待とも不安ともつかない、なんとも妙な気持ちになっていたものだ。

 でも今回の帰省では、不思議とそういう不安定な気持ちは沸き起こらない。

 それは自分が、「ひきこもり」と呼ばれる状態から脱することが出来たからなのだろうか。自分を取り巻く環境の中心に1本の軸が通るだけで、世界の見え方は大きく変わってくる。

 その軸はキャンプであって、穂乃果なのだろう。


「夕食、作るよ」


 僕がそう言うと、おふくろは不安そうな顔をしたが、キャンプ作った料理の数々を若干自慢げに伝えると、そう言うことならとコタツに戻っていった。


 キッチンで野菜を切る僕の隣に、なんとも切なそうな顔をした親父が現れ、350mlエビスビールを置いた。一人で飲んでいるのが寂しくなったのだろう。


「まあ、飲みながら作ってもいいんじゃないか。大晦日なんだし」


「あ、さんきゅ」


 僕は缶を開けて一口飲む。

 親父は棚を開ける時用の2尺脚立を立てて、その天板に座った。


「まあ、あれだ」


「ん、なに?」


「仕事、頑張れよ」


「うん」


「昇進するんだろ? おめでとう。立場が変わると、上手くいかない事も色々あると思うが、何でも継続すればければ自然と道が開けるものさ」


「まあ、ね」


「たまには、酒を飲みに帰ってこい」


「うん、了解」


 ビールのコップで口元を隠しながら、親父は目だけで笑ったような気がした。



   △



 紅白が始まると、なんとなくそれを眺めながら、最近の流行歌や往年の名曲について両親とポツポツ会話を交わした。

 ここ最近流行っているアイドルグループの曲なんかは、僕よりも親父やおふくろの方が詳しかったりして、自分の情報収集範囲の狭さに、なんだか老いのようなものを感じたり、感じなかったり。

 一見、自分興味がないような分野においても、目を凝らしてみると輝く欠片が見つかる事もある。今年一年は、まさにそんな一年だったと思う。

 その流行のアイドルの曲は、サビをCMで聞いた事があるという程度の知識だったが、一曲通して聴いてみると意外と心に響く曲調だった。


 穂乃果にはLINEを送っているが、返事がないところを見ると、実家に集まった親戚の晩酌に付き合っているのかも知れない。


 23時を過ぎたところで、僕は立ち上がりコートを羽織った。


「あれ、こんな時間にどこいくの?」


「いや、ちょっとだけ、友達と会う約束をしてて」


「あ、そう。お酒飲んでるでしょ、送ってく?」


「いい、そこのコンビニで会う予定だから、歩いてくよ」


 肩までこたつに入り込んだおふくろと、寝そべって寝息を立てている親父。この温かく、何処か懐かしい匂いのする空間に名残惜しさもあったが、僕は思い切って部屋を出た。


 コンビニで友人と会う、という理由は、両親に邪推されないための方便だった。


 玄関のドアを開けると、冷たい冬の空気がコートの隙間から流れ込む。



   △



 あの頃よりも、全てが小さく感じられた。


 サビが浮いて黄色いペンキが禿げかけているブランコや、枯れた蔦が巻き付いたフェンスから、古ぼけた神社に視線が移る。

 ポケットに手を突っ込んで見回す境内は、蓄積された時間の圧力によって押し固められたようで、記憶の中にあるそれよりも小さく、固く、縮こまっていた。

 こんなこじんまりとした場所で、小さいとは言え焚き火をするなんて、今考えると笑えないレベルの火遊びだったな、と少し反省する。

 しかし、あの頃の僕らは、こんな日のこんな時間に、こんな場所に二人で座っていると言うだけで、日常から抜け出せたような気持ちになっていたんだろう。


 一人だったら、そこから抜け出す勇気は出なかった。


 二人だったからこそ、顔を見合わせながら、ほんの少しだけ足を踏み出すことが出来た。


 あの頃感じていた閉塞感、目の前に聳え立つ壁は、並べられたドミノのように際限なく連なっているものだと知った。それを倒さず、慎重に飛び越えていく日々が、これからも続いていくと思う。

 今も目の前に、道の壁が立ち塞がっている。

 助走をつけて、その壁にいざ走り出そうとする時、同じように隣に並ぶ誰かの存在を、僕はずっと求め続けていたのだろう。


「あ、慎三郎?」


 声がした。

 でも、驚きはなかった。

 示し合わせていたわけじゃない。

 ただ今の僕たちの原点がここにあるなら、彼女もまたここに来るんじゃないかという、確信めいたものがあった。


「寒いな」


「そうだね」


「なんか、懐かしいな」


「中学に入ってからは来たことなかったし、15年ぶりくらい?」


「うん」


「親戚が集まってたから、LINE返せなかったね」


「大晦日だしな」


「本当は駅前の神社に初詣行こうと思ってたんだけど、何となくここが気になっちゃって」


「僕も、まあ、そんな感じ」


「うー、すごく寒い。あの頃の私らは、よくこんなところで年明けを待ったもんだよ」


「また、ポケットからライターを取り出す?」


「まさか」


「あの火、小さかったけど、あったかかったな」


「火はいつだってあったかいよ」


「まあ、そりゃ」


「二人であたる火は、いつだってあったかい」


「だな」


 穂乃果のスマホのアラームが鳴る。


「年が、明けたね」


「うん、明けた」


「あけましておめでとうございます」


「これからも、よろしくおねがいします」


 暗くて表情は見えなかった。ただ彼女がどんな表情で、仕草で、どんな感情で、言葉を紡いでいるか、僕にはわかる。


 この火は、いつまでも燃え続ける。




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